見出し画像

ゆるやかにおわる

最近、いつも頭をぐるぐるといくつかのテーマに対して思考が回ることがある。そして、文章がかけなくなったという自覚があった。仕事でも、なんだか出来るだけ文章を書きたくない。

文章、ひいては言葉という概念は、誰かが誰かに「伝える」ために生まれたもの。うーん。やっぱり、自分の中に言葉が「溜まっている」状態なんだと思う。言葉の渋滞や。

そんな日々を1ヶ月くらい過ごしていたら、ひとまず溜まったことば達を放ってあげないと次の場所に進めないんじゃないかと思うようになった。なので、文章への苦手意識はひとまず頭の片隅に。がんばって書いてみよう。

人は、死ぬ

今回は、死について。

数ヶ月前、おばさんがガンの再発と転移と診断された。3週間前、良くしてくれていた親戚のおばあさんが亡くなった。2週間前、おばあちゃんが亡くなった。(もうそんなに経つのか)

おばさんのガンの再発の知らせを母から聞いたとき、そっか…としか言えなかった自分がいた。なんてことだって思うけど、向き合えずに、逃げた。


そこから幾ばくかの後ろめたさを心の端っこに抱えつつ過ごしてきて、3週間前の訃報を聞いた。今東京に住んでいるけど、片道5時間、朝一番に電車で帰ってお葬式に出た。おばあさんとおばあちゃんは道をはさんで向かいに住んでいるので、直接血はつながってないんだけど、良くしてもらったのだ。のに、怖くて、触れんかった。

おばあさんは、旦那さんを6年位前に亡くしてから、身体が弱って、寝たきりになって、一人で広い家に住んでいた。何人ものヘルパーさんに頼ることになって、たくさん金品も盗まれた(違う恨みが混ざってるけど笑)。人間の黒い部分とか、弱い部分とか、どうしようもない部分とかをみて、やるせない気持ちで、、でも憎いくらいに晴れたその日。お見送りのときには兵庫の田舎の広い空に、優雅に空を飛ぶ鳶が二羽いて、少し救われたきもちになった。

でも、その日におばあちゃんも危篤状態だと知らされた。心不全でパンパンになった手足、苦しそうな顔、そして声をかけても返事がなくって。言葉にするだけでも苦しいな。手を擦って、「来たよ、しんどそうやね、またくるね」って。それだけで精一杯やった。

また5時間かけて帰って、次の日からまた仕事を頑張って。平日の夜に何回か恋人と会った。

捉えかた

私よりも10年くらい長く人生を過ごしている彼は、死についても多角的だけどもはっきりした意見を持ち主であり、実に大きなクッションのような受容力と、優しく突き放す力の持ち主でもある。

恋人の関係になって半年以上、ようやく信頼することができるようになった彼に、いろんな話をした。大阪で近くに住んでいたもうひとりのおばあちゃんは、私が小学生のときにがんで心を病んで自殺をしてしまったこと。それから「死に悪いイメージ」があったこと。自分に希死念慮の波があり、抑えがたいこと。前職をやめるときにかなり精神的に参ってしまい、うつ症状で長くカウンセリングにも通っていたこと。最近、自身のADHDの気質に気づき、生きづらさを感じていること。おばさんのがんの宣告に向き合えなかったこと。なんでも出来るようになりたいのに、なんにも自立できていないこと。

死についても、生についても、全部まるっと大丈夫だよと言ってくれた。すべては知ることから始まるし、知ったところから、少しずつ受け入れていけばいい、と。そして、死は悪いことじゃないよ。と。

---

金曜に担当しているマガジンの入稿日があって、ギリギリの寝れない仕事をしていたのだけど、木曜の夜中、おばあちゃんの訃報が入った。涙が出てから、ため息が出た。また、何もしてあげられなかった。

職場の方々の優しさで、仕事を休みにしてもらい、締切も伸ばしてもらって(本当に感謝)、金曜の内にまた片道5時間。兵庫の端っこまで電車に揺られた。道中では奇跡みたいに家を出る直前のタイミングで届いた「生きているのはなんでだろう」という絵本を読んだ。その本では、個や種や地球の概念を超えて、宇宙という秩序のために、「生きている」話で、かなり腹落ちした。でも、人間という存在は理論だけじゃない。感情も動くのよ。

お通夜には出れてよかった。檀家のお寺さんは先代の頃からの知り合いで、愛情の籠もった説教を聞けたし、先生で明るくやさしくきびきびとしていたおばあちゃんはいろんな人に愛されていたこともわかった。お葬式では、ちゃんと触ることができた。冷たかった、でも、うん。きれいやでおばあちゃん。そして、最後の骨上げまでいれて、少し諦めがついた。

晩年は認知症や、うつ、心不全などいろいろと苦しんでいたけど、母が最後の寄せがきに書いていた言葉が全てだと思った。「そちらでは穏やかに過ごせるね。」そうやなあ、ゆっくりおじいちゃんと過ごしていると想像すると、ちょっと安心する。

父、母、兄、姉と家族の話もたくさんして、東京に帰ってきて、夜に恋人と電話をした。

老いと死

彼との話の中で、いくつか総意となったことがあって

・老いが死の準備となること。どんどんできないことが増えていく(年齢的な老いもあるし、病気などで身体的にできなくなることもある)と、周りの助けが必要になる。自身も周りの人も、助けられる・助ける過程を経て、死へと向き合うことができるようになっていく。受け入れる苦痛を伴う。

・自分の人生を生きること。老いて死ぬことは有り難く、期待値が低い。明日病気になるやも、なんかの手違いで倒れてきた自動販売機に轢かれるやもしれんわけだ(満タンの自販機って800kgもあるらしいで)。なので、自分の決断をする。自分の幸せを自分で決める。死のリスクを恐れずに生きる。


まだ、自分の中で明確になってきたわけではないが、今回の一連の出来事については少しずつ受け入れていくことができそう。自分の中には、何もできなっかったという後悔の年が渦巻いているが、でもきっと、彼女たちは彼女たちなりの人生を生き、幸せを感じていたのだ。後で悔いたところで、彼女たちの幸せになるまい。これからに活かすのだ。


終わりに向かって、進む

胃腸炎に倒れ、1週間その後寝込んだ。ちょうど、いいタイミングだったんだとは思う。いろいろキャパオーバーだった。

生きることも死ぬことも、わからないことだらけだ。でも、、みんながそれぞれに自分なりの幸せを見つけて前に進んでいるっていうのは、自分にとって絶望でもあり希望でもある。

今日もまぁ、おいしいもの食べて、自然に触れて、好きなことして。終わりに向かって、のんびりと前に進もう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?