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磐梯山

会社とか組織に入ることが本当に嫌で、今の就活の風潮がキモすぎて、就活も全力で避けてたし、日本社会への不満嫌悪が募る一方だったけど、いくつかの偶然が合わさり、理解や尊重してくれる人々がいる場所に巡り会って、福島という場所で会社員をやり始めた。

会社とか組織に入ることが嫌というのには、つまり自分の意思や意向に関係なくイエスやノーと言わなければならないことが多くなるということが一因にある。この数年間、自由を求めて生きてきた、すべての時間が自分のものであったのに、月に数十万円の給料と社会的地位の確保のために、毎日の大半を自分のものではないことに提供しなければいけなくなる。

もっと正確に言うと、大学にいた頃からインターンやアルバイトでいくつかの組織に属したことによって、わたしの体はそこから反発するように離れて行こうとした。だから大学最後の1年間やその後の1年間は、属性や立場を排除した自由を求めた。社会的に自由になるということは、肉体や精神、思想的にも自由になることだ。

会社という組織に入った今は、髪型や服装にTPOという制限を受け、発言や人間関係、批判に常に注意をし、会社のために働くという考え方が求められるから、100パーセントの自由はない。

言いたくもない喉から出てるような言葉を繰り返し、そんな人間だと思われる。理解力の無いだけの人間に、上辺だけ刈り取られて品定めされる。

それから、

無視していた時間や金銭の概念も直視しなければいけなくなる。わたしなんて放送に関する時間と金銭(売上や利益)を管理しなければいけない仕事をすることになるから、まさにこれまでと真逆の環境に接することになる。

こうやって毎日をやりくりしていくうちに、きっとわたしの本当の自由、なんてものは消えていってしまうんだろう、と思うから、こうして書き記す、ということによって魂を生き残していく。すでに半分くらいは愛想笑いの渦に消えていってしまったような気がするから。

これまで溜めてきた自分の要素が、環境に混ざって薄まっていかないように。
競争に巻き込まれて擦り減っていかないように。
大勢に公表されることで、だれかにむやみに否定されないように。


磐梯山だけは真っ直ぐにみつめることができる地点だ。

もうこんなところに来てまで偽って生きなくていいんだよ、と。

好きにすることが難しい性分だなんて、日本人だなあ、というか、損を被ってしまうけど、反抗する睨みだけはしっかりと持っているんだよ。


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