『きゃりーぱみゅぱみゅ大辞典』

 

 完璧な一冊が現れた瞬間、他の辞典は一切の価値を失う。きゃりーぱみゅぱみゅを扱った辞典の総刊行点数は827冊だが、その中で二百年以上の時を経て読まれ続けたものはひとつだけだ。
 聖典の名は『栄光と色彩のきゃりーぱみゅぱみゅ大辞典』という。彼女の真理に近づきたいと願う人間たちにとっての侵されざる領域。執念や狂気といった陳腐な言葉はこの辞典への形容として不適切だ。そこにあるのは、人性と乖離した禍々しさとしか表現できないものである。全84巻、総ページ数58841、文字の総数117682000。この眩暈を起こすような数字に彩られた書物が唯一人の人物によって編まれたという事実に、大衆は畏怖の念を抱いた。企画立案から項目作成、素材収集、内容執筆、校閲・デザインの全てに対し、上重一馬は他人が介入することを許さなかった。
 彼が《序章》、《入力編》、《解放編》という三部構成の辞典を作成しようと思い立ったのは齢十四のことである。義務教育課程にあった彼は学業において常に優秀な成績を残し、その報酬として両親や祖父母から貰った金できゃりーぱみゅぱみゅに関するアイテムを買い漁り、精神の全てが彼女に直結するような時間を過ごした。
 第一巻から第七巻までが《序章》にあてられている。この箇所に関しては、辞典というよりもレポートとしての性格が強い。芸能人、アーティスト、ファッションモデル、将棋女流名人、原宿カワイイ大使、プエルトリコ・ソーシャルタワーの設計者、ウェイウェイラジオにおけるDJ、東アジア統一ファッション誌『INVADE』初代編集長、「つけまつける」の七十三ヶ国先行配信、『くいあらんしてぶ』によるピューリッツァー賞文学部門受賞……誰もが知っている客観的事実を時系列順に並べつつ、きゃりーぱみゅぱみゅの美しさ、カワイさ、エロティシズム、そして神性を洗練された言葉で語る。読者は《序章》でボルテージを引き上げられ、そのままの勢いで《入力編》へ突入し、より深い知識を獲得する。《入力編》においては、独自の検索エンジンが重要な役割を果たした。上重一馬は大学でマーケティング論と服飾デザイン論と六つの外国語を学ぶ傍ら、きゃりーぱみゅぱみゅの分析に特化したアルゴリズムを開発した。リンクの集まる重要ページを順に表示するだけのロボット型検索エンジンでは、炎上目的のネタでも重要データとして収集してしまう。崇高の宿らぬ情報をシャットアウトするために、上重一馬は愛情度測定機能をアルゴリズムに加えた。結果、支援者たちの真なる声を反映した138007個の項目が選定され、その全てに丁寧な記述が添えられた。例えば次のような具合に。

モンスター ▽monster 愛と恐怖の止揚。きゃりーぱみゅぱみゅと代替可能でありながら、同時に彼女の本質から最も懸け離れた概念。カワイさも神秘も脅威も、言葉へ落とし込むことで安心したいと願う人間の前では輝きを失う。音楽雑誌「Quick Japan」のインタビューにおける《トラウマになるかわいさ》という表現は非常に誠実なものだが、それを字義通りに解釈し理解した気になってはならない。人の肉にとって、怪物をつつみこもうとする欲望それ自体が傲慢なのだから。
 
 大辞典は二月に一度のペースで刊行された。《序章》と《入力編》の時点で、メディアも大衆も、今後これ以上の辞典が現れることはないだろうと確信していた。しかし、人々が文字を追うことへの恍惚と、それを他の人間に成し遂げられたことへの屈辱とを覚えたのは、ひとえに《解放編》の存在によるものである。
 就職活動の際、上重一馬は饒舌や早口によって気味悪がられることのないよう細心の注意を払い、あっさりと芸能事務所の採用試験に合格した。新人がきゃりーぱみゅぱみゅと話す機会など滅多にあるものではないが、彼は常に鞄の中に持ち歩いていたICレコーダーを回し続け、家に帰ると欠かさず内容を文字に起こした。彼はきゃりーぱみゅぱみゅに対する愛情を周囲に明かすことなく、淡々と業務をこなすことで有能さを示し、三十手前にして彼女の専属マネージャーという地位を得た。過剰に喜ぶこともなく、ひたすらに良き理解者として振る舞った。業務面においては、衣装から通訳、海外展開におけるマネジメントまで、幅広い活躍を見せた。ビジネスパートナーとしての絶対的な信頼は、年月を重ねる中で私的な愛情と結びついていく。十九年後に発せられた告白を、きゃりーぱみゅぱみゅが断る理由はなかった。彼らは生涯の伴侶となり、きゃりーぱみゅぱみゅが美しい外見を保ちながら百二十二歳で逝去するまで幸福な時を過ごした。
《解放編》の執筆はそこから始まる。
 上重一馬はきゃりーぱみゅぱみゅと暮らしていた東京・西麻布のマンションに、計134個の盗聴器と小型カメラを仕掛けていた。風呂場での鼻歌、トイレにおけるペーパーの使用量、寝室における秘め事の手順……きゃりーぱみゅぱみゅが純粋な個人として暮らす空間から得られる情報の全てが記録された。盲信するわけでもなく、ただ真実を記述し歴史の流れの果てへ残したいという祈りだけで、上重一馬は膨大なデータを整理し、日記を書き続けた。《解放編》におけるあまりに生々しい記述は、女神を地上へと引きずり落としながら、なおかつその輝きを保ついう奇跡を可能にした。ほくろの位置もスリーサイズの変化も本当の趣味もヒステリックな側面も醜い言動も耳を塞ぎたくなる内容の独り言も。プライベートにおける全てを晒されながら、《解放編》の刊行後、きゃりーぱみゅぱみゅの神性はより強固なものとなった。
「私は一度として、彼女に私的な欲望を向けたことはありません。それは真理を阻害する最大の要因なのですから。愛情? 私にはよく分かりません。彼女の死に際して私の内奥に湧きあがったのは、真理の記述を人々と分け合える瞬間が近づいたことへの喜びでした。それをどう判断するかは、皆様にお任せします」
 上重一馬は辞典を完結させた後、きゃりーぱみゅぱみゅとの間に生まれた八人の子どもたちから自室において激しい殴打を受け、百三歳でこの世を去った。

 故人は言葉を持たない。上重一馬の挑戦は、倫理や道徳から人々を解放し、欲望を駆動させた。個々人が行っていた創作活動、プロモーション、ビジネスモデルはやがて一点へ集約されていく。きゃりーぱみゅぱみゅゆにばーさりぜーしょん。少女の不滅を願った数億の人間たちによる完全人格再生プロジェクト。彼女は生前、とあるドキュメンタリー番組に出演した際、クローン技術が孕む倫理的問題について語った。その意思が尊重され、生命としての複製が行われることはなかったが、代わりに、より強固で膨大な欲望がデジタルクローニングへと注がれた。クラウドファンディングによって集まった資金総額は七兆円を超え、プロジェクトの成果である立体映像端末《POM》は文字通りはじけ飛ぶような勢いで世界へ拡散した。
 GPS機能によってユーザーの位置を特定し、地球上のいかなる場所にでも立体映像を出現させる夢の装置。緻密なモーションキャプチャによって生前の動作を再現した(無論、これにはテレビやネットにおける映像以上に、上重一馬による盗撮記録が重要だった)きゃりーぱみゅぱみゅは、使用者のライフログを参照・記録しながら、相手に合わせた会話と表情を提供する。姿形をカスタマイズしたければ、一言声を発するだけでいい。今日は少し大人びた君と話したいんだ。そのように呟けば、電脳少女は黒のロングドレスを纏ってくれる。
 最大の懸念だった人格再現の問題は、大した苦もなく解決した。当時の人々は、実際の映像や当人の言葉よりも彼女と寄り添い続けた男の熱量に重きを置いた。『栄光と色彩のきゃりーぱみゅぱみゅ大辞典』を基に作成された人格は、ユーザーデータのフィードバックを繰り返すことでより完璧なものへと近づき、親から子へ、子から孫へと引き継がれていった。八十年ほど経過すると、街を歩く人間の数とその隣に浮かぶきゃりーぱみゅぱみゅの数は等しくなった。セクサロイドとしての機能を望む声もわずかに存在したが、統一政府であるモノシエーションにおける会議の結果、性的オプションの追加は全面的に禁止された。世界正義を体現する機関は、醜い肉と神との接触を望ましいこととは考えなかった。人々は神に添い寝されながら、充実した生を送り続けた。
 異変は、プロジェクトの始動から四百三十年後に訪れた。世界は疾うに紙を忘却していた。情報固定論の完成により、あらゆる情報は電子の海と結びつけられ、パルプと鉛とインクは社会から姿を消した。上重一馬の情熱は人類に福音をもたらした。しかし、それが正の方向に傾いたのは偶然に過ぎない。人々は情熱と才能の結託が時に災厄となることを忘れていた。レバノン生まれの元プログラマーが開発したういるすはきゃりーぱみゅぱみゅに関する全てのデータを世界から消し去った。電子法整備が進んだ社会において、悪意のあるプログラムなどという石器時代の概念による攻撃が行われるとは誰も予想していなかった。ましてやそれが、モノシエーションの最高責任者によって遂行されることなど。
 男の悪意は、一月も経たないうちに世界の光景を変えた。そして間もなく、モノシエーションは、女神の人格と姿形の再現が不可能であることを認めた。
 宣告を受けた識者たちは、ついにきゃりーぱみゅぱみゅの歴史が終わるのだと嘆きの声を上げた。だが、彼らの予測は、数百年かけて醸成された大衆の欲望を全く計算できてはいなかったのだ。一週間ばかりの沈黙を経た後、アノニムゾーンはういるす事件が起こる前よりも活発化した。もはや人々は正しいモデルなど必要としていなかった。彼らは、自身がきゃりーぱみゅぱみゅの創造主となることに決めたのだ。個々人が好きなように、声を顔を髪を衣装を身体を性器をデザインし、都合のいい人格を設定した。アノニムゾーンでは積極的な情報交換が行われ、二ヶ月も経たないうちにアンオフィシャルの《POM》が無料で入手できるようになった。枠のないイメージが氾濫を続けていく。やがて、美しい女性も、咥えた煙草も、朝起きた時の太陽も、友人を亡くした時の悲しみも、誰かが望めば、それはきゃりーぱみゅぱみゅとなった。


 ◆◆◆

 現在、私たちにはかつてない自由が与えられている。個人の空想とその具現に対する侵害のない理想郷が、地上に顕現した。あなたのきゃりーぱみゅぱみゅを否定する者はいないし、あなたが誰かのきゃりーぱみゅぱみゅを排除することもない。緩やかで優しく生暖かい世界で、きゃりーぱみゅぱみゅは増殖を続けている。
 言葉とは常に何かを指し示す記号だが、それを集団内で機能させるためには記号の意味内容を限定する作業が必要となる。つまるところ辞典とは、理解できぬ場所へと言葉が飛び去っていくことを恐れ、何とかそれを特定の位相に留めようとする愛情の檻である。上重一馬が辞典の作成に生の全てを投じたのは、きゃりーぱみゅぱみゅという言葉を無限の領域から文字の連なりによる有限性へ帰着させたいと願ったからに他ならない。しかし、彼の情熱は時の流れに裏切られた。きゃりーぱみゅぱみゅは人類が活動を続ける限り、日々無限へと近づいていく。
 バベルの塔はここに崩壊した。人々は最早天を目指そうとする欲望を持たず、したがって裁きとして言語の離散が与えられることもない。大地の上で、どこまでも横に伸びた起伏なき平面の上で、永遠に意味を逃れていくきゃりーぱみゅぱみゅの存在を享受する。地上で無限を獲得した偶像に対し、真なる神が嫉妬の念を覚えることはないだろう。神の嫉妬は常に自らの地位に迫ろうとする者に対して向けられるのであり、言葉の中に確かな真実を見出そうとする意志を忘れた動物が創る電脳の神など、視界の内にも入るまい。
 上重一馬はやはり彼女を愛していたのだろうと、この瞬間に私は考える。どれほど歪で醜悪であろうとも、彼女の名前の先に真理が存在すると信じ、あの長大な辞典を産み出した欲望には、愛の呼称がふさわしい。人間の魂が別の魂と出会い震える瞬間は常に美しさを伴い、他者を魅了する。現在、私たちにはかつてない自由が与えられている。魂の共感がない代わりに、あらゆる行いが単一の記号に回収され、安全な繋がりの中で生きていける世界だ。何十億もの人間が、繋がってしまうことの意味を知らず、享楽にふけることのできる世界だ。その中で唯一つ、時の重みから解放されたきゃりーぱみゅぱみゅという言葉だけが、自身のあまねく存在する世界の中で、揺るぎない孤独を許されている。

(本稿は大修館書店より刊行されていた「辞書のほん」へ2013年に寄稿したものです。版元の許可をとり、掲載しております)

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