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Vol.6 井村 勇斗

「怪我をしない選手は良い選手」とスポーツ界ではよく言われています。
たしかに怪我をしないに越したことはありません。
しかし、怪我を経験したことによって得られたものも数多くあると私は思います。
今までのサッカー人生は、そんな良い時に限って私の壁となってきた怪我との闘いでもあったように思います。

SS伊豆背番号3番 今シーズンで入団3年目を迎えます伊豆市出身の井村勇斗です。
SS伊豆に関わる全ての皆様、またコロナ禍でありながら、スポンサー新規契約、スポンサー増額・更新、クラブアンカーズ入会等、日々チームを支えて頂きありがとうございます。
まずはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

人生初のノートですが、私のこれまでの歩んできたサッカー人生とSS伊豆に入団してから今までを皆様に少しでも知って頂ければと思います。

私は1997年、伊豆市修善寺に5人家族の次男坊として生を受けます。兄弟は兄と妹がいます。とにかく小さい頃から体を動かすことが大好きで、保育園では園内を走り回ったり、登り棒を登っては降り登っては降りを繰り返したり、体を動かす楽しさを生まれながらにそなえていたように思います。
保育園の持久走大会では、スタートからトップを誰にも譲らず、ゴールまで走り切るような負けず嫌いの精神を持っていました。これは陸上をやっていた祖父と父の血を受け継いでると感じています。ちなみに今でも、祖父と父は趣味でよく走りに出かけています🏃

小学校に入り2年生の時、幼馴染の誘いでサッカースクールに行き、初めてサッカーというスポーツに出会います。この時サッカーのことは全く知らなかったので、コーチにドリブルしてと言われて手でドリブルし始めた自分を今でも覚えています。しかし、私のサッカー人生はここからスタートしました。
スクールでは基本的にパスやドリブルの練習が主で、対外試合はありませんでした。サッカーをしてるなら、広いコートで色んなチームと試合がしたいと思い、近くのサッカー少年団に入団します。修善寺FC Jr.(現サンライズFC)です。ひと学年15人ほどで決して多くはない田舎のサッカーチームです。ポジションはこの時フォワードやトップ下をやりながら、たまに好きでゴールキーパーもやっていました。体が大きくて走れたので、みんなからボールが集まりゴールを量産していた記憶があります。

中学進学を前に、部活動でサッカーをするかクラブチームへ行くか悩んでいました。セレクションもいくつか受けましたが、Jの下部組織には引っかからずに決めかねていた時、長泉アミーゴスの代表の方から小学生時代のプレーを見ていたと誘いを頂き、実家からは車で片道45分くらいかかるような遠い所ではありましたが行くことを決めました。今考えてみると、私の為に多くの時間を割き、仕事を早く切り上げて送迎をしてもらい、私の練習中も車内で仕事をして、父には本当に感謝しています。
その分自分のためにできることはなんでもやろうと、中学校の部活動で陸上部に入部し、放課後は陸上部として走ってから、急いで帰宅しサッカーの練習に行くこともよくありました。また週末の試合の時も、昼間は陸上の大会に出て終わってから、サッカーの試合に行くというようなハードなスケジュールの日もありました。とにかくそのような日々を送っていることが楽しくて仕方なかったのだと思います。
こうして走る能力に自信のある私は、フォワードからコンバートされ、右サイドバックを務めることになります。中盤にはチームの司令塔現SS伊豆背番号19番根本海斗がチームメイトにいて、ホットラインが確立されていました。彼は動き出したら素晴らしいパスがいつでも来るような、チームに欠かせない選手でした。

中学卒業の時、高校の進学先はもちろんサッカー中心で考えていましたが、実家から出ることは全く頭にありませんでした。地元のサッカーが盛んな所に行き、チームを引っ張れる存在になれればと思っていました。しかし、中学校3年時の担任の先生に、本気でサッカーしたいなら全国や静岡県で名の知れた所のサッカー部で、高いレベルを目指すべきだと背中を押されました。とにかく熱く、一人一人の生徒と本気で向かい合い、時にはぶつかり合うような関係でしたが、今思えばサッカー中心で考えているのに自分の考えは甘かったな思います。

最終的には某有名公立高校の裁量枠で落ち、藤枝明誠高校へ入学します。実家を離れ、藤枝での寮生活が始まります。初めはホームシックになることもありましたが、寮のメンバーと仲良くなり、先輩方も分け隔てなく面白い方ばかりだったので、充実した寮生活でした。藤枝明誠は部員数はひと学年60人もいるような強豪校で、練習は時間と場所が細かく分けられていました。藤枝明誠の良い所は、全部員をコーチがしっかりと見てくれる所です。カテゴリーは5カテゴリー(1カテゴリー約30人)に分かれていましたが、時間と場所が確保され、コーチがついて短い時間で質の高いトレーニングを行なえる環境でした。監督も、下のカテゴリーだからと言って軽視することは全くなく頻繁に顔を出して、時には監督自らトレーニングを指導することもあり、皆が日々高いモチベーションでやれる環境にありました。
私自身、高校3年間でトップチームに関わる時間はそう多くはありませんでしたが、決して下を向くことはなく、日々仲間と共に高め合えるサッカー生活を送れました。高校最後の公式戦東海プリンスリーグ参入戦も大学受験と重なり、歓喜の瞬間には立ち会えませんでしたが、仲間から勝利の報告をもらいめちゃくちゃ喜んだことは忘れられない思い出です。

大学進学はサッカーと勉強の両立も考えて探していましたが、最終的には静岡県浜松市にある常葉大学に進学しました。ここでは、大好きなサッカーをしつつ、スポーツのことを学びながら中学高校の保健体育の教員免許も取れると、私にぴったりだと思ったのが決め手でした。初めてサッカー部の練習参加に行った際、トップチームの練習参加で次の日が大事な試合だったためその日は調整メニューで、ほとんど見られることもなく社会人リーグを戦うカテゴリーに所属することが決まりました。ここでも中学時代のチームメイトである根本と再会を果たします。この年、東海一部社会人リーグ(現JFLの鈴鹿ポイントゲッターズ・ヴィアティン三重が所属)を戦っていましたが、試合にはほとんど絡むこともなく、大差で敗れる試合を目の前で見ることもありました。相手のレベルが高く、ここで戦える選手になるために、もっとトレーニングから意識高くやらなければいけないと感じました。私はそこまで技術が突出してるわけでもなく、上手い選手でもありません。そこで練習以外でのウエイトトレーニングや体幹トレーニングを取り入れるようになりました。技術の高い選手や上手い選手もチームには必要ですが、戦える選手もチームには欠かせないと思っています。
大学2年生になると、少しずつ試合に絡めるようになり、公式戦への出場も増えていきました。しかし、ここら辺から足首の捻挫癖を持つようになりました。対人競技は個人スポーツと比べて特に怪我が多く、防ぐのが難しいケースも少なくありませんが、私は大事な時に限ってその時が来てしまいます。大学4年生の全国大会前にも怪我を負い、全国大会ではベンチを温めて、途中出場のみという結果になりました。
チームは全国ベスト8という素晴らしい結果を収め、私自身も素直に喜んでいましたが、どこかでやり切れてない歯痒さが残っていました。

就職活動をしている中で、自分のやりたいことはなんなのか、若いからこそ今しかできないことをと思い、サッカーを社会人でも続けられる環境を探していました。そこで、中学校のアミーゴス時代に繋がりのあった現SS伊豆代表兼監督の片岡代表から連絡を頂き、チームへの入団が決まりました。
入団初年度はコロナウイルスが日本でも流行り始めた頃で、長い期間トレーニングを行えない日々が続いていました。やっとリーグの日程が決まり、トレーニングも再開された2020年7月8日の夜の練習で事件は起きました。1対1のトレーニング中に接触で膝から崩れ落ちたのです。初めは立って普通に歩くこともでき、近くのクリニックで受診して前十字靭帯を軽く損傷してるから、保存治療とリハビリで2・3ヶ月と言われていました。しかし、一向に痛みが引かず大きい病院で精密検査を受けた方がいいと大輔さんに言われ行ってみると、前十字靭帯断裂でサッカーをする為には手術するしか無いと言われました。手術すれば復帰までのリハビリは最低でも1年近くかかります。でも手術する選択肢しか頭には無く、すぐに日程を決めて入院・手術となりました。麻酔から目が覚め、痛みと自分の脚ではないような感覚で、復帰への不安は募る一方でした。しかし、前十字靭帯断裂のオペを経験した選手がチームにいたこともあり、相談に乗ってもらいながら少しずつリハビリを行うことができました。とにかく地道で毎日が同じリハビリメニューで心が折れそうになることもありました。リハビリ期間中はトレーニングのサポート、試合のビデオ撮影など外からチームを観ることも多く、気づいた点はどんどん選手に伝えていき、少しでもチームのプラスになることを考えて行動していました。そして受傷してから319日、手術から255日で復帰することができました。入団2年目は少しずつ怪我からの復帰で、ゲームの出場時間は徐々に増やして行くような形で、公式戦への出場は数えられるほどでした。また、9月には半月板断裂によって2度目の手術を経験し、2ヶ月半ほど戦列から離れていたのでなかなかチームに貢献することはできませんでした。

そして迎えた2022シーズン、SS伊豆に来て3シーズン目の年です。今年は東海昇格を掲げたチームにとって、そして怪我から復帰しシーズン初めから戦える、個人としてもチームとしても勝負の年になると感じています。昨シーズンは勝ち切れないゲームやチームの課題である決定力不足が露呈し、不甲斐ない試合をすることもありました。今シーズンは、観ている方々もやっている選手も熱くなれる楽しくてアグレッシブなフットボールを1年通してやっていきたいと思います。
SS伊豆と共に戦って下さい!
宜しくお願い致します!

次回は今季新加入、海の町西伊豆町出身の佐藤藍選手です。

お楽しみに!!!

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