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Vol.5 細田 凌平

日頃からSS伊豆を応援してくださりありがとうございます。

コロナウイルスの影響で活動制限がかかるようなご時世にも関わらず、SS伊豆を支えてくださるスポンサーの方々、現地まで足を運んでくださるファンサポーターの皆様いつも支えてくださりありがとうございます。
今季もSS伊豆への変わらぬご声援をよろしくお願いいたします。

今回は 辻 清志郎選手より指名されました、
新加入の作新学院大学からきました
背番号2番の細田 凌平です!長野県東御市出身!好きな食べ物は餃子🥟です!趣味は料理の動画を見ることです!
生年月日は1999年7月28日生まれの22歳です!

今回自分の文章を読んでもらう皆様に注意⚠️があります。自分を知っている人ならわかると思いますが本当に文章を書くのが苦手です。あと頭が悪いのでおかしな日本語や言葉使いが多々出てくると思います。頭が悪いなりに頑張って書きます!
最後までお付き合いください!

では前置きが終わりましたので自分のサッカー人生を振り返っていきたいと思います。
自分がサッカーを始めたのは小学校の3年生の時でした。友達のお父さんの紹介で土曜日だけのサッカースクールに参加したのがサッカーをやるきっかけでした。

土曜日しかサッカーの練習がなかったのでもっとサッカーをやりたいと思っていた時にそれもまた友達のお父さんの紹介で新しいチームを作るから入ってみない?と言われて入ったチームが「アルティスタ東御」というチームでした。

現在では名前が変わり「アルティスタ浅間」に変わりました。

自分は四年生から本格的にアルティスタ東御でサッカーをおそわるようになりました。最初の頃は周りの友達が上手くてついていくのに精一杯でした。ですが自分は負けず嫌いなので絶対周りに負けない上手くなってやると思い家や学校でサッカーの練習をほぼ毎日のようにやるようになりました。リフティングの練習では30回できたら100円をくれると親に言われ猛烈に練習していました。100円でよくあそこまで頑張れたなと今では思います。笑

自分の武器を見つけるのもこの頃でした。小学生の小さな大会に出た時そこで初めて「オーバーラップ」というものに出会いました。オーバーラップはボールを保持している味方の選手を追い越していくことを言います。コーチに初めてこのことを聞いてすぐに試合で使ってみました。その動きをするだけで味方がボールを出してくれたりクロスを上げてアシストができたりするようになり凄くチームに貢献している走るだけでコーチに褒められる自分の武器はこれだ!と思った瞬間でした。その大会では人生初めてのMVPを取ることができ自分自身も自信が持てるようになりサッカーが以前より大好きになりました。今も自分の武器はオーバーラップと走力です!!🔥

小学6年生の時には1番大きな大会の全日本少年サッカー大会に出場することができました。一勝も出来ずに終わり全国との差を見せつけられました。特にすごかったのは柏レイソルのジュニアチームでした。「コイツら本当に小学生かよ体ゴツすぎだろ、うますぎるだろ」と決勝戦を見ながらずっと思ってました。笑

これが自分の小学生の時のサッカーの思い出です。サッカー以外のことを話すと自分が小学生の頃は手紙交換などが流行っていて手紙のやり取りを女の子としていてそれが好きだった記憶があります。笑
今ではスマホでメッセージを送れる時代になりましたが時には手紙で大事な人にメッセージを書いてみるのはいかがでしょうか?笑

それでは中学校時代のサッカーの思い出を話したいと思います。
アルティスタ東御の中学校のチームに所属することになりました。中学校時代はとてつもないほど走りました。時にはキツすぎて練習中嘔吐したりきつすぎて泣くこともありました。1番練習できつかったのは夏場の夜練習の時のウインドブレーカー着用を義務付けられた時が1番きつかったです。笑
今それをやっていたら保護者からクレームが来そな感じがします。笑
ですが走り込みや夏のウインドブレーカー着用などがあったからこそ夏の試合では走り負けなかったり夏バテしなかったかなと思います。
中学3年生の時自分はチームのキャプテンをやることになりました。そこでとても印象にのこ取っていることはミーティングです。合宿をすると必ず自分達でミーティングをすることになっていました。ミーティングを自分達でやるとふざける選手や話を聞いてない選手、自分はいじられキャラなので何か自分が言うといじってくる選手がいていつも大変なミーティングでした。自分は1回泣いてブチギレてトイレに隠れようと思ってトイレに入ったはいいのですが鍵がついてないトイレですぐにドアを開けられて泣いているのがバレてしまった記憶があります。本当に恥ずかしかったです。笑
中学校時代はあまりいい結果は出ませんでしたがサッカーの基礎ができたのが中学校時代だったと思います。

これが自分の中学校のサッカーの思い出です。
サッカー以外のことを話すと、自分は英語が本当にできません。中学の英語テストで1点を取ったことがありました。これは流石に冷や汗が止まりませんでした。笑
今でも英語は全くできません。

次は高校の時のサッカーの思い出です。自分は長野県の松本市にある松本山雅FCのユースに所属することになりました。親元を離れ寮での生活を始めることになりました。入寮してから少しホームシックになることがありました。流石になにも知らない土地でまだ15歳のガキが暮らしていくので不安でしかありませんでした。まず洗濯機の回し方すらわからないところからのスタートでした。いつもなにも文句も言わずに家事をしているお母さんのありがたみが寮に入ってからわかるようになりました。今では実家に帰ったらできるだけ家事を手伝うようにしています。面と向かって言うの恥ずかしいのでこの場を借りて伝えたいと思います。お母さんお父さんいつも自分も支えてくれてありがとうございます。すみません。話がそれてしまいました。

高校の話に戻します。高校の時は全てが刺激的でした。まずJリーグの下部組織に加入し中学では味わったことないが無い経験をしました。まずプロ選手が近くにいるといことが自分にとってすごいいい経験だった思います。練習場に行けばトップチームが練習していてその練習を見れる環境にいてとても幸せでした。高校2年生の時に松本山雅FCトップチームの練習試合に参加させてもらったことがありました。初めてプロ選手とまじり試合、最初本当に緊張しました。とにかくがむしゃらに頑張りました。このような経験ができて本当に嬉しく思います。

また高校2年生のJユース選手権という大会があるのですがその大会で全国ベスト4になることができました。その大会の中ででとても印象に残っている試合があります。それは準々決勝の南長野運動公園で行われたヴィッセル神戸U-18との試合です。ヴィッセル神戸U-18はプレミアリーグに所属しており自分達のリーグの二段階も違うリーグに所属している格上のチームでした。長野で試合が行われることもあり松本山雅のサポーター様がユースの試合に1000人来てくださいました。高校の先生や友達も来てくれて本当に力になりました。ありがとうございます。たくさんのサポーターがいる中での試合は今まで経験したことがなくアップ中からウキウキワクワクが止まりませんでした。プロになった感覚でした。笑
その試合ではなんと格上相手に先に2点を取ると言う展開になりました。ですがそんなに甘くありませんでした。格上のプライドがあり後半に2点追いつかれてしまいました。その後延長戦も動きがなくPK戦で決着をつけることになりました。PK戦ではヴィッセル神戸U-18の2人目の選手が外しそのまま自分達が全員決めて勝つことができました。最高の環境で最高の勝利を掴むことができたのもユースの試合で1000人ものサポーターの皆様がいたからこそだと思います。本当に松本山雅のサポータの皆様は熱があり本当に頼もしいです!是非これを読んでる皆様も松本山雅の試合に足を運んでください。🟢

高校時代挫折も味わいました。自分は2年の最後の頃から試合に出させてもらっていました。ですが3年生に上がるタイミングで監督が変わり怪我をしてしまい監督にアピールできずにリーグ戦前半はあまり試合に出ることができないまま前期は終わってしまいました。練習でアピールしようとしても空回りしてミスのオンパレードどんどん沼にハマっていくような感覚でした。この時期自分は練習から帰ってきて前所属していたコーチに電話をしてアドバイスをもらい部屋で1人で泣いていることが多々ありました。笑
この状況をどうにかしようと思ったので毎日腕立て伏せと腹筋をするようになりました。何か努力しなければ絶対に試合に出れないと思い努力を続けた結果夏の大事な大会でスタメンで試合に出れることになりました。毎日何かを継続してやると言うことがとても大事だとこの挫折を経て学べました。本当に高校時代様々な経験ができ人生において高校時代の経験は自分の財産です。

これが高校時代のサッカーの思い出です。
サッカー以外のことを話すと自分は初めて本田翼さんに出逢います。恋仲と言う月9のドラマがやっていて本田翼さんが主役でておりそこで本田翼が好きになりました。本田翼ラブです。

次は大学のサッカーの思い出です!
大学生も様々なことがありました。自分は栃木県にある作新学院大学と言う高校の野球が有名な大学に通っていました。自分は栃木におばーちゃんがいたのでおばーちゃんの家に住むことになりました。自分のばーちゃんはファンキーです。パチンコ大好き、タバコ大好きな元気なばーちゃんです。家はタバコの匂いに包まれています。ばーちゃんは煮物系がとてもうまいです。特に自分が好きなのはモツ煮がとても美味しくお金を取れるレベルでした。ご飯をいつも用意してくれたことめちゃめちゃ感謝してます。話がずれてしまいました。すみません。

大学でのサッカー部の活動でとても印象に残っていることは4年生の時のアイリーグ開幕戦です。自分はアイリーグのキャプテンを4年になってからやるようになりました。自分がキャプテンになってから新チームになってなかなか勝てない時期がありました。開幕が近いのに上手くいかない、チームがまとまらない感じがしました。これではアイリーグのカテゴリーが降格してしまう4年間1部残留してきたのに自分の代で2部に降格するのは絶対やだと思っていました。そこで取り組んだのは週1で特定の人を集めてミーティングを行いそこで出た課題を全員に伝えると言うことをしていました。徐々にチームが変わっていった感じがしました。そこで迎えた開幕戦。拮抗した試合の中で自分達が先制点を取りました。ですが前半の終わりに同点に追いつかれてしまい後半を迎えることになりました。後半の10分ぐらいに相手がクリアーしたボールをうまくトラップできてそのままシュートをうちました。ポストに当たりボールはゴールに入りました。その時人生初めてのペナルティーエリア外からのシュートが入った瞬間でした。自分で言いますがスーパーゴールでした。笑
開幕前チームがまとまらず本当にプレッシャーに押しつぶされそうになりました。その中の開幕戦のゴール本当に嬉しかったです。自分で鳥肌が立ちました。
そのゴールで2-1で勝つことができアイリーグもなんとか1部残留することができました。自分達の代で降格しなくてよかったと思います。キャプテンをやらさせてもらって貴重な体験ができ本当に良かったです!本当に大学生活苦しいこともたくさんありましたが本当に楽しかったです。

サッカー以外のことを話すと自分はやよい軒で4年間ずっとバイトをしていました。自分はホールとして入りましたが最後ではキッチンもやるようになり二刀流としてやよい軒で活躍していました。やよい軒で1番好きなメニューはミックスとじ定食です。是非食べてみてください。ご飯2杯食べれること間違いなしです!笑

現在は大学の最後の練習試合で右膝の前十字靭帯を断裂し今リハビリ中です。こんな長期離脱するにも関わらず自分をとってくれた片岡代表ほんとにありがとうございます。SS伊豆に全力で貢献していきたいと思います!サッカー以外の活動にも力を入れていき伊豆を盛り上げたいです。
今年中に復帰して公式戦に出て新しいユニホームを着て全力でピッチを走る姿を見てもらえるようにリハビリめちゃめちゃ頑張ってやっています!是非SS伊豆の試合に足を運んでください!

こんなに読みにくい文章に最後までお付き合いしてくださりありがとうございました。今後ともSS伊豆をよろしくお願いします。今年細田凌平に注目しててください!怪我を乗り越えて前の自分より強くなって帰ってきます!🔥🔥🔥🔥
本当に最後まで読んでくれてありがとうございました。

次は背番号3番イムさんこと井村勇斗選手です!是非期待しててください!!

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