コミュ力と言語能力は違うんです

コミュニケーション能力と言語能力は似ているようで異なる。言語能力というのは、言語を用いてなにか表現する能力である一方で、コミュニケーション能力は、その言語能力を他者との関わりの中で適切に運用する能力を言う。(もちろん非言語コミュニケーションも存在するが、ここでは言語を用いたものを指して言う。)

 このことを理解するために「好きな食べ物はなんですか?」と聞かれた場合のことを考えてみよう。

 適切な回答は当然好きな食べ物を答えることだから、「カレーです。」とか「ハンバーグです。」である。この質問に回答するために必要な言語能力は、「質問を理解する能力」と「食べ物に関する名詞を話す能力」、である。

 しかしこんな回答もあり得る。例えば「辛い食べ物」とか「肉を使った料理」といった回答である。これらは単なる名詞だけではなく、形容詞や動詞も組み合わせている。そのため先程の回答より少し抽象度が高く、必要とされる言語能力も高い。

 抽象度を高めると、回答の範囲は広がる。「辛い食べ物」には「キムチ」も含まれるかもしれないし、「カレー」も含まれるかもしれない。もちろん辛ければなんでも好きなのであれば、「好きな食べ物はなんですか?」という質問に対して、この答えは適切である。

 しかし、次の場合はどうだろうか。例えば、「カレー」を「複数の香辛料を用い、風味が複雑に絡み合うことによって生じる独特の風味を有する液状の食べ物」という風に複雑に表現することもできる。この表現を行うためには「カレー」や「辛い食べ物」と言うよりもずっと高度な言語能力が必要である。しかし「好きな食べ物はなんですか?」と言う質問に対する回答としては不適切である。一つ一つの単語レベルでの抽象度は「カレー」よりも高いが、全体で見ればこの回答が指すものは「カレー」以外にないだろう。存在するかもしれないが、その場合回答を複数挙げればよいだけの話である。こうした回答ができるのは「言語能力」の高さを示してはいるが、「コミュニケーション能力」は低いと言わざるを得ない。

 もちろん、上の想定はかなり極端なものである。しかし、身の回りには言語能力が高いにも関わらずコミュニケーションがうまく取れない人が意外と多いように思う。日常生活で自身のコミュニケーション能力を客観的に見ることは難しい。発言が理解されなくても「相手の理解力が足りないのだ。」と思うことができるし、理解できない相手側も「理解力が低いと思われたくない。」という考えから、わからなくても聞き流す場合があるからだ。実際にはコミュニケーション能力が低いのにも関わらず、言語能力が高い場合、コミュニケーション能力も高いと過大評価してしまいがちである。だから言語能力とコミュニケーション能力が異なるものであると認識することは極めて重要である。

 恐らく我々日本人のライフステージの中で初めてコミュニケーション能力の客観的評価が行われ、現実的に突きつけられるのは就職活動である。面接で一つの質問に長々と回答する人間は、仮に言語能力が高いとしても、コミュニケーション能力は低いと判断され、選考を通過できない。例えば「志望理由はなんですか?」と聞かれているのに、こういう回答をする者を見かける。

「私は大学時代、サークル活動打ち込んでいました。サークル活動ではサークル長を務め、その中でリーダーシップと協調性を養いました。私なりの理想のリーダー像は、常にメンバー全員を気遣い、一人一人と向き合う姿勢を大事にすることです。もちろん組織を引っ張る上で自分の軸を持つことは大事ですが、この理想のリーダー像は協調性なくしては成り立たないものだと考えます。このリーダーシップと協調性を貴社でも活かしたいと考え、志望しました。」

こう答えるのは、一見回答しているように見えるが、実はほとんど志望動機として成立しておらず、回答できていない。こういう回答でも面接官が脳内補完で理解してくれることが多いが、積み重なるとストレスを生じさせる。相手に考えさせる回答は面接では不適切なのだ。しっかり話しているのに選考を通過できないとすれば上のような回答をしてしまっている可能性が高いだろう。(仮に内容を変えずに回答として成立させるとすれば、「リーダーシップと協調性という自分の能力を最大限に発揮できると考えたから。」みたいな感じだろうか。サークル云々の下りは聞かれたら答えればよい。)

 言語能力は読書や作文を通じて一人で向上させることができる能力である一方、コミュニケーション能力は他者との関わりの中でしか体得することができない。その上客観的に評価される場面が非常に少ないため、フィードバックをもらって改善することも難しい。逆に言えば、就職活動での面接はその貴重な機会であるとも捉えられる。自分の能力を客観視することは自己改善のための最初の一歩だからだ。希望を言えばそれよりも前の段階で、コミュニケーションに関する体系的な学習の場が設けられて欲しいものであるが、二十数年の経験でなんとか自力で体得するしかないのが我々の現状である。

 


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