白昼夢

「俺、刑事になりたいんだよね」

 柄にもなく、そう零したことがある。しかもよりにもよって1年の、その頃そんなに仲が特別よかったわけじゃない出席番号2番のクラスメイトに。ええと、なんの時間だったかな。放課後の掃除の時とか、そういうのをサボっていた時だったような。
 今でこそ見た目がものすごく若く見える男は、あの頃はもっと幼くて、今も白く血色の良い肌にじゃまくさい黒髪をなびかせて一ヶ谷告はへらり、と笑う。続けて口を緩めてへえ、と答えた。
「なんで刑事?」
「うーん、向いてると思うから」
「そうかなあ〜? もしかしてヨリってば結構ナルシスト?」
「えー、違うよ」
 否定はしたけれど、もしかしたらそうなのかもしれない。一ヶ谷にそう指摘されるとだんだん恥ずかしくなってきた。おれってナルシストだったのかあ、へえ。じゃなけりゃ自分で「向いてる」なんて思わなかったもんなあ。
「ヨリくんは刑事ってガラじゃないよね」
 ていうかいまヤンキーみたいだし、あんまり世の中のこと興味なさそう。というかただの拳銃狂いなだけじゃん? なんてそこまで言われたらなんだかそんな気もしてきた。まあようするに銃を使いたいってだけで他はどうでもいいと思ってたんだけど、でも悪を追う、市民を守る、そういうのが当たり前にできるのって、結構カッコイイと思うんだよね。なんてことを伝えると無感情なふうんという声が聞こえてくる。お前、確かに正義のため!とかそういうの興味なさそうだもんな。わかるよ。
「お前は? 夢とかないの」
 一ヶ谷はうーんと本当に悩んでいるのか良くわからない、少し演技っぽい腕組みをしながら、ないなあと呟く。
「でも前はお菓子屋さんになりたかったかなあ」
「お菓子屋? パティシエじゃなくて?」
「ほんとにちっちゃな頃の話だから。あーでもお菓子屋さん良くない? 甘いものいっぱい食べれるじゃん?」
 いたずらをする子どものような笑い方で、一ヶ谷は肩を揺らす。すげえ安直すぎてこっちまで笑えてくる
「まあ本当に幼いころのなりたいものなんてそんなものだったよ、確かに。ウルトラマンになりたいとか、仮面ライダーになりたいとかさ。ちなみにおれは戦隊モノのブルーに憧れてたかな」
「うわ、っぽいわ。赤じゃないところね」
 赤は目立つから。その影に隠れて暗躍する青とか、かっこいいじゃん。そういうかっこいいものに、俺は昔からもしかするとあこがれを抱いていたのかもしれない。小さい頃は特段正義感が強い方なわけじゃないし、今だってそう。ただ筋が通っていないことに関してはものすごく反発したくなるし、理不尽な目に遭うのはもっと嫌だった。頑張ったら頑張った分だけ報われる人生のほうがいいに決まっているし、でも頑張りすぎると身体を壊したり心が弱くなったりするのを、俺は知っている。
「ヨリはすごいねえ。もう将来の夢とか見つけちゃってさあ」
「まあ、楽に生きたいからね、今から準備してりゃ後々楽に就職とかできるわけでしょ」
「うっわ真面目」
 確かに1年の夏で将来の方向性を決めるのはあまりにも早すぎたのかもしれないけど。でもまあ、先が見えないよりは見えていたほうが歩きやすいと思うしさ。
 それにしても、なんで一ヶ谷に言ったのかは、正直良くわからない。なんでだろう、なんで先生にも話していないこんな話をお前にしたんだろう。わからない。けどなんとなくお前なら笑わないで聴いてくれる気がしてさ。
 風が、一ヶ谷の前髪を軽く書き上げる。水晶体が夕日に照らされてキラキラしている。こちらを見ずにぽつり、と言葉を落とした。
「おれさ、夢とかじゃあないんだけどね————」

「——ヨリ?」
 一ヶ谷の声にはっとして焦点の合っていなかったフロントガラスを注視した。幸い高速道路はまっすぐな一本道でぼうっとしてても大丈夫だった。いや、ぼうっとしてちゃだめだろ、と首を左右に振って意識を運転に集中させる。助手席の声の主がこちらを覗き込むのが目の端で分かった。
「どうしたの、ぼーっとして」
「あーいや。ごめん」
「運転疲れた? 交替する?」
「お前そんな運転慣れてないだろ、大丈夫」
「そう? ならいいけど、刑事さんが自動車事故なんて洒落になんないからね」
 助手席の一ヶ谷はあくびをしながら軽口を叩く。そりゃそうだ、こっちはそれを取り締まる方なんだぞ、と改めてハンドルを握り直した。
 乾いた温かい風が密閉された社内に満たされて、外気との温度差で窓に結露ができていた。無音だと気が狂いそうなので小さいくラジオを付けている。エンジン音とパーソナリティの声だけが響く車内で、俺たちはまっすぐ前を向いていた。あと1時間ほどで目的地には着くだろうか。休憩を挟んでも4時間くらいかかるんだ、運転しない方も疲れるだろう。またひとつあくびをする。寝ていいと言っておいたのに、じゃあ寝るとか言っておいても結局起きてるような男だということを、俺はよく知っている。
 なんで今さら高校の時のことを思い出したんだろう。あの頃語った夢はスムーズに叶って今ちゃんと刑事やってる。あんまり上司とは上手くいっていないしお世辞にも今の仕事が楽しいとは思えない。でも責任はあるし、やりがいも、まあある。今だってちゃんと、刑事の仕事をしている。……まさか一ヶ谷が情報屋をやってるとは思わなかったけど。
 この男との付き合いは長い。高校3年はクラス一緒だったし、上京したての頃は良くこいつが家に入り浸ってたし、1年ちょっと前に再会してからはまたなんかちょっと住み着くようにもなったしで、なんだかんだ一緒に居る時間が長くなっている。腐れ縁という奴だろうか、俺もこいつも、あんまり友達が多いタイプではないし、なんだかんだ、気は合う。そんな奴が裏社会の情報屋として出てきた時の俺の気持ちといったら……まあ向こうの方が驚いていたけど。一介の巡査長が裏を覗いてたらそりゃ驚くとは思うけど。
 気のいいやつだと思う。思いやりがあって、寂しがり屋。10年以上の付き合いだから、なんとなく考えていることもわかる。今こいつがどんな気持ちなのかも、だいたいは予想がつく。どうせくだらないことを考えているんだろう。
 捜査中だからか、いつもみたいな軽口を叩く気にはなれなかった。それを察してか一ヶ谷もあまり口数は多くない。人が死んでいるんだ、今から誰か死ぬかもしれない。そういう不安がずっと根底にある。いや、もしかしたらこういう不安はどこかで感じていたのかもしれない。いつか誰かが死ぬかもしれない、自分じゃない誰かが。自分のせいで。
 ——もしかしたら、楠さんも、鬼頭ちゃんも、一ヶ谷も。
「イチ、」
 気づいたら呼んでいた。息をするくらい自然に。
「なぁに?」
 少し眠そうな声がする。ちらりと見ると少し目がとろんとしていた。もしかしたら起こしてしまったのかもしれない。申し訳ないなと思いながらも、言葉を紡ごうと口を開く。——この事件が終わったらさあ。
「——……やっぱいいや。なんでもない」
「はあ?」
 なんか今言っても仕方ない気がしてきた。いつ言っても多分結果は一緒なんだけど、でもなんだかそれを抱えたまま調査を続けるのは一ヶ谷の負担になるんじゃないかと思って、言うのをやめた。
「帰ったら言う」
「気になるなあ。今言ってよ」
「いや」
「今言っても後でいっても一緒じゃん?」
「生きて帰ってくればいい話だろ」
 また、車内は静かになった。これから起こる何かとてつもない闇を感じながら。
 一ヶ谷は、笑うだけでそれ以外の返事はしなかった。

20180208
せさみ

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