大人になるってことは

専門学校に入って、デザインというものを学び始めて10年。
働き始めてもう8年なので、新人です!というには時が経っているなと感じますね。
8年も経てば考え方も変わる──というよりは、考え方が定まってきたというか
許せる部分と許せない部分というのが明確になってきたような気がします。

デザインの話をさせて欲しいんですけれど。
デザインはわたしの人生ではあるけれど、多分それだけじゃないのかもしれない。
というのが最近のわたしの考え方です。

環境がめちゃくちゃ変わったから考え方が変わった、という感じではなくて
なんていうんですかね……年齢ですかね……わかんないけど、最近「大人になったな……」と思うことが多くて。
例えばご飯のレパートリーの中に魚が入ってきたこととか、味噌汁がめちゃくちゃ好きになったとか
食べ放題でそれほど食べれなくなったとか、慢性的に腰が痛いとか……
あと、許せなかったものが許せるようになったとかね。

曖昧だった思考を尖らせるために、好きと嫌いをはっきりすることでデザインを洗練させていく、という話を
以前どこかでお話したような気がします。
好きなものをどんどん追求していく、という意図でそういうことを言ってるんですけど
わたしは最近、「嫌いなもの」をなくしたいなと考えていて、
それはつまりは「嫌いなものは嫌いのままでいいから、それを許せるようになりたい」ということなんですけど。

例えば。
わたしはデザイナーなのでデザインの話をしますけれども。
「もっとこうすればいいのに!」と思うことがいっぱいあるデザインがあるんですけど、
でも結局それって自分だけの話であって、それが万人と同じ考えではない。
そもそもデザインって結局は好みの問題なので、わたしがいいと思うものが、他の人がいいと思うとは限らないんですよね。
チープなものだと思うデザインも、そのチープさが好きだという人もいるし
洗練されているデザインがいいと思っても、文字が小さくて頭に入ってこないっていうパターンもある。
万人受けされるデザインというのは本当にこの世には存在しなくて、
それは多分デザインが生き物であるという部分に即している事実だと思う。

わたしが「こうすればめちゃくちゃ良くなるのに……」と思う。
でもこれを作成した人物のことを考える。
どういう風にすればいいかわからないけど、こういう雰囲気の、素敵な感じにしたいなっていう気持ちは
そのデザインからとっても伝わってくるから、その部分を無碍にはできない。
わたしはこれを「許す」ことだと思うようにしてる。

もちろん、アドバイスが欲しい時はすぐに伝えるし、自分が作るものが一番だと思ってるので自信自体はあるんですけど
あれですね「この二本の腕だけでは世界は救えない」というような気持ち。
きりがないので諦めている部分もあるかもしれない。

デザインに関して、だけでもないかもだけど、システマチックで冷静な部分があるので、自分自身に。
あと、わたしが基本的に他人からの意見を受け入れることを拒むタイプなので、いいたくないという気持ちもあるけど……
だから驕ることはやめようと思って。そもそもそういう考え方が作った人を無碍にしていると思って。

でもこれって、多分デザイナーとしてはだめだと思うんですよね。
だめですよ。怠ってる。そんなんじゃいいデザインはできない。

3年前にデザイン事務所を出た時点で、こうなることはわかってたから、いまさら何もいわないし、後悔もない。
ただ、3年前に別の事務所に就職していたら多分わたしはデザイナーとしての自分に誇りを持ってたと思う。
思うんですよね。わたし多分人間としては、ちゃんと先に進んでるんだろうなって。
3年前みたいに試行錯誤して自分の中のレパートリーを増やしていく期間はもう終わってしまったのかもしれない。
だからって別にデザインのことが億劫になったとかじゃなくて
デザインをしていない期間があったからこそ、こういう風に考えられるようになったんだと思う。
あまりに距離が近すぎたので……、ちょっと離れるくらいがいい関係よね、わたしたちって……。
なんか大人みたいだなと思う。

大人になるってどういうことだろう、って考える。
わたしが憧れていた大人ってどういう人だっただろう。
私の憧れはずっと母親なので、ああいう人になりたいと思っていて
母は多分きっとやりたくないと思ってきたことを我慢しながら生きてきたんだと思うんです。

やりたくないことはしなければいい、と思うんですけど
それじゃだめなときもあるんですよね。
だってそうしなきゃみんな死んじゃうから。
我慢しなければいけないけれど、我慢しないようにするにはどうすればいいかっていうのを
最近ずっと考えています。

全然変わってない〜っていう風に言ってたんですけど
多分来年は色々変わるのは、ほとんど決定事項なので、そういう風に考えちゃうのかもしれない。
結婚して他人と暮らすことも
子どもを産んでその子を育てることも
やらなくちゃいけないこと、やりたくないことが多分きっといっぱいあって
それを放棄することはできないので。

わたしは自分本位で他人には冷たい部分があるので
他人に優しくできるかが不安でしょうがないから
だからせめて大人でありたいなと思う。

デザインのことについても、許せない部分に目を瞑ることをよしとするのは
円滑に物事を進めていく、なるべく波乱を起こさない為には必要で
そりゃあ貯め込むのは良くないと思うので、自分の中でいい感じに納得させる落とし所を
今必死に探しているような感じ。

デザインをする前の自分の考えかたに戻ってきてるな〜
これがいいことなのか悪いことなのか、全然わからなくて困ってる。
がむしゃらにがんばることはもう終わってしまった。
でもがむしゃらにがんばるのは楽しいので、1年に1回くらいでいいのかもしれないな。

この間友人が私のことを他の人はな紹介するときに「デザイナーのすごい人」と言ってくれたことが印象に残ってる。
私はデザイナーというよりは会社の基幹に関するシステムの変更とか、業務の見直しとかを中心にしているので
多分、同年代の頑張っているデザイナーに比べれば、デザイナーとしての割合は少ないんですよね。
それどころか会議に出たり、昇格して部下を持ったり、その人たちのために奔走する機会が増えているというか。
それでも友人はわたしのことをまだデザイナーだと思ってくれているんだなというのが嬉しかった。
デザインがなけりゃわたしはわたしとして構成されていないというのは事実なので。

30までは自分の好きなことをし尽くすんだ!と自分と約束していたことなので
自分だけが楽しいことは終わりにするね。
ちょっと寂しいけど、1年に何回も旅行できなくなるかもしれないし、好きなものを好きなだけ買えないのも
それはもう、しょうがないことだし、まあわたしやりすぎな部分があったから、終わりにするね。
今度は自分が楽しかったことをいろんな形で伝えていけたらいいなって思います。
あっ、そうか。
これがわたしにとっての、「大人になる」ってことなのかもしれないな。

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