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デザインとことば

今、頭を巡り巡っていることとかがある。
グラフィックデザインとか、センスとか、マーケティングとかの移り変わり。

例えば、WORLD HAPPINESS。高橋幸宏の主催する音楽イベントの名。
ダサいのでは?とおれは思っていた。あまりに率直的な、0.2秒で意味のわかる、思考一ミリも余地のないパワーワード。
デザインに例えると、与えられた四角のなかに四角にデザインしてしまう行儀の良さと声の大きさに、思わず虫酸が走ってしまう。言いたいことを素直に言っているし、マーケティングでは正解なのだろう。

最近はアダルトビデオも、タイトルを読むだけでどんなプレイが行われるのかすべてわかるように書かれているそうで、めちゃくちゃタイトルが長く、情緒もへったくれもあったもんじゃないと製作者が嘆いている記事を見たことがある。そうしないと全く売れないそうだ。
しかし現在そういうセンスがグラフィックデザインにもはびこっている。きれいに整理できているものもあるのですべて嫌いなわけじゃないが、それしかなくなるのはとても嫌だ。気を引くためだけの無意味な掛け声をしているデザインをみては、苦笑するしかない。

70年代〜80年代は生きていない時代のことは想像するしかないからとても曖昧で悔しいが、他人との関係性を特に重要視していたと思う。

デザインをみていて、複雑な関係性を苦心して成立させたことを感じられるものがたくさんあった。グラフィックデザインは日本にとって外国語のようなもので、必ず日本語通訳としてのコピーがある。それさえ押さえておけばなにやってもいい時代があったように思う。通訳しないと何言ってるかそもそもわかんないから。この時代、羽良多平吉を始め、与えられた四角を四角に感じないように、(画面上の多数の要素の)関係性を大事にしながら複雑ながらも美しくまとめていたものもあったし、白場を有効に活用し最高のグラフィックデザインにしあげていたものもあった。全くもって合理的な判断だと思う。

まぁしかし前述した複雑なものをキレイに仕上げる人は起業には向かない。そういった職人タイプの人は、大概個性の強い変な人だ。
何が言いたいか。起業などをして大勢を率いる必要がある場合、多少ダサいセンスでも我慢する必要がある。
90年代は、グラフィックデザイナーが新規事業として色々なことに手を出すようになる。映像とか、音楽とか、出版社になったりとか。デザイナーが社長になり、クライアントになる。ってなると、売り上げは当然自分で作り上げなければならない。
多数の情報を排除し、極端に加工されたひとつのものをとりあげる。思考の一切いらない、どーん、バーンのようなものが出来上がる。カッコよく見える角度をみつける、1ビジュアルをひたすらこだわるのみ。付属の情報は適当にしておく。関係性?ストーリー?いらない。そういうデザインも、好きなものは多少あったりするし、全くもって合理的な判断だと思う。
(ここで明確になるのは、デザインとは文化なのであり、経済が滞ると素晴らしいデザインが世に出回りにくくなる。)

今。経済もどんぞこまでくると、デザインも理論武装となり、四角い枠で四角に見えるように作られたデザインがファンを獲得している。
追い打ちをかけるように、今世界を席巻しているのは、検索。Google、SEO対策。これらが世間に出るコピーたちの趣向を一変させる。
WORLD HAPPINESS。これらパワーワード、考えさせない、意外性のないワードが人々の心も打つし、コンピューターの検索機能が発展途上の今も、この簡単な単語が影響力をもつ。
高橋幸宏のセンスも、ここでまためぐりめぐる。
細野晴臣のバレンタイン・ブルーなんて、バンドを見てもらいたいとはおもっても、SEOの面で邪魔になってしまったりするのである。

すこしもひねらないワードが一世を風靡するのが、言語としての深煎りした香り高さや、艶のある音節までも損なうのがとても嫌だと思ってしまう。
広告デザインをしていて、こういったモノを作り続けることに退屈を覚える。なんとかなんないのかな。