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「伊集院光とらじおと」終了発表に関して感じたこと

そういうやり方に背を向けることを誰もがわかっているはずなのに、終了発表に際して伊集院さんに自分達の意向に沿うような何かを言わせようとした、それ自体が明らかに局内に起きている異変を表していますよね。
落合博満さんについて書いた「嫌われた監督」を読んだばかりなので、その姿とも重ねてしまいます。 
覚悟を持って悠里さんから引き継いだ伊集院さんにとって、6年という早さで幕を引くことは本意ではなかったと思いますし、それは局側の意向とも違っていたのではないでしょうか。
ただ、金曜日が終わったり、信頼していたアシスタントの後釜に若手アナウンサーが座ったり、というような移り変わりの度に伊集院さんが口にしていた言葉からは、その関係性に少しずつ綻びが生じているのを感じましたし、だから今回の終了も、突然ではなく「やはり」と思ってしまうんですよね。
局側が6年前に期待したのは伊集院さんにTBSラジオのわかりやすい「顔」になることだったのかもしれないですけど、イベントなどにもほとんど出なかったわけですし、プロモーションになる動きには協力しなかったことを考えると、それに関しては「思惑と違う」形だったのかもしれないですよね。
そんな中で伊集院さんが行ってきたのは、マイク前で真摯に喋り続け、リスナーに寄り添い続けること。
それを多くの人が支持してきたわけですが、そことは別の評価基準で今回の終了が決まったのだとしたら、本当に「嫌われた監督」と同じような形の「嫌われたパーソナリティー」で。 
問題は、その意思決定が行われる過程の中で、リスナーの気持ちが全く考慮されていないように思えるところなんですよね。
自分達の意向に従う、予算的にも使い勝手の良い人ばかりを新たなパーソナリティーに据える。
そんなTBSラジオの姿には、明るい未来があるようには感じないのです。

サポートを頂けるような物は書けていませんが…。