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懺悔

朝目が覚めると、身体が熱くだるい。

起き上がろうにも鉛を背負っているかのように、身体が言うことをきかない。どうやら熱を出したようだ。

時間が経つにつれて体温は40℃まで上がり、汗がしたたり、呼吸が荒くなっていく。水を飲むのも、トイレに行くのも、体力が追いつかずパスするほど。

「いい加減、トイレにいこう」

力を振りしぼったが、猛烈なめまいに襲われ、トイレの前で倒れてしまった。どのくらい時間が経っただろうか。

目覚めると床が頬にへばりつき、床に突っ伏したい状態でしばらくいたことに気がついた。

ーーーーこれはやばい。立ち上がっても、再び襲ってくる激しいめまい。同居している夫はあいにく不在。こんなに酷くなるなら、彼が外出する前に引き止めればよかったと後悔も混じりながら、スマートフォンを操作する。

視界が白くかすみながら、夫に助けを求めるラインを打つが返事はない。

「もうだめだ」

人生で3度目の救急車を呼んでいた。

ものの10分ほどで救急車が現れ、現代の日本に生まれたことに有り難く感じた。救急搬送された病院では、発熱以外の大きな異常はなく、脱水を防ぐための点滴をされただけだった。

この程度なら救急車呼ばなくても良かったのではないかと、申し訳なく思いながら、点滴のヒタヒタとしずくが落ちる様子を眺めたていた。

意外と点滴は長い。

たった10分間が、20分にも30分にも感じる。そのせいか、無駄なことが頭によぎる。これまでギッチリと蓋をしていた記憶が、パカリと開いた音がした。

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亡き父は、ガンと闘っていた。1年半の闘病生活の中で、病院を転々とした。1つの病院に長期間入院はできないからだ。終末に近づいた頃、本人の希望を尊重して在宅介護をしていた。ほとんど寝たきり状態で、トイレの介助も必要だった。

あれは、天気の良い日だった。自力で動けもしない父が、「車椅子で自宅マンションから抜け出した」とマンションの管理人から連絡が入った。ちょうど私は親戚の家にいて、父の側から離れていたときだった。

駆けつけてみると、車椅子に座った父がマンションエントランスにいた。今にも折れそうなほど背中は寂しげで弱々しく、50だというのに髪は真っ白。遠くを見つめている横顔には、父の面影はもうない。

感じているすべての苦痛から逃げ出したかったに違いないと、この光景をみて私は思った。その苦しみから解放してあげたいと願うが、娘とあれど、他人とは無力なのだ。思い出すたびに、思い出したくないと、心の中で目をキュッとつぶる。

そしてまた、蓋を閉じる。

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父が亡くなり10年。今年で11年。命日が近づくたびに、カウントする数は増えていく。私はこれからも、年数をカウントしながら生き続けていくのだろう。

しかし今、私がこうして生きていること。素敵なパートナーにめぐり合い、安堵に包まれながら日々を過ごしていること。愉快な友人に囲まれていること。フリーランスで、自由に仕事をしていること。父から譲り受けた遺産を使い、美容整形をして変えたこと。

「これが私。これが私の人生だ」

と、自分の将来に期待をしていること。これを横目に、斜め上から父が見下ろしているように感じるときがある。私だけが幸せになり、父が食べたいとあれだけ願っていた食事をなに不自由なく食べている。出かけたい時に出かけ、好きなように生きている。

辛い闘病生活の中で、どれほど苦痛から逃れたかっただろう。笑うことすらできなくなったのに、私はこうして平気に笑っているのだ。

昔、よく思っていたこの言葉が浮かんだ。

「私が死んで、父が生きていればよかったのに」

頭脳も優秀、スポーツ万能。カリスマ性があり、クラスにいるといつも中心になるような、そんな父だった。顔を変えることしか能のない屈折した私が、もし命を分け与えることができたのなら...

それにしても点滴は時間がかかる。静かな病室でただひたすら滴が落ちる。

これは私の懺悔。


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