ドキドキ!プリキュアについて【最終回】

45話は、タイトル通り、レジーナとキュアエースの一騎打ちです。

エターナルゴールデンクラウンによって真実を知った亜久里が、トランプ王国に乗り込むわけですが、エースとソードがハートたちとは別行動を取る構想はかなり前(それこそ松下Pがまだ在籍していた頃だから2013年4月の時点)からあって、今回はそれを実現した形です。逆に、戦いの前に亜久里がエルに別れを告げるシーンは一年間かけてキャラが育ったが故に生まれたシーンですね。

ジョー岡田がエターナルゴールデンクラウンを手にする回想のくだり、実はマジカルラブリーパッドの時のように神器を守護する妖精と一悶着があって……という構想もあったのですが、残念ながらカットになりました。岡田が謎めいた砂漠の遺跡を訪れているのはその名残りです。クモジコチューは、レジーナにバイバイキーンされた後、実に24話ぶりに再登場。今度こそ浄化されます。戦闘はとにかくド派手にして欲しかったので、城が壊れたり、ミラクルドラゴングレイブから迸り出たエネルギーが龍の形になって襲いかかる演出を足して貰ったりしました。

「助けて、マナーッ!」からの三人が降臨するシーンは作画も演出も最高で、ゾクゾクしました。

 46話は、壮絶なネタバラシ回。1~7話で断片的に描いていた場面を繋げて行く作業は、パズルのピースをはめていくようで気持ちよかったですね。一方で、残り二人の敵幹部・ゴーマとルストがシルエットだけで登場していたり「ジコチュー軍団の猛攻で、王国を守るプリキュア達も、最後の一人・キュアソードを残して、倒されてしまいました……」って、もの凄い説明をサラッと一言で済ませたりしていますが(笑)。この辺り、描こうと思えば、確実にOVA4話分ぐらいの話はできますからね。

「真琴が新しいプリキュア? 悪い冗談だ」              「この目で見たのよ、キュアデュース(仮)」「ジョナサンが遺跡から持ち帰ったラビーズがあったでしょ? あれに触れた時に目覚めたんだって」  「あいつは歌女だよ。戦いは似合わない」

 みたいな、王国のプリキュアたちと真琴やジョナサンの関係性とか距離感とかね。

「王女を救うにはエターナルゴールデンクラウンを使うしかない」と唆したあの侍従、なんか怪しいと感じた貴方、正解です。最初はあれ、ベールのつもりで書いていましたが、そこまでやってしまうとあまりに王国がジコチューに転がされすぎだろうということで、普通の人になったのです。

変身して次回に引く構成は2話と同じですが、この辺りから「もしかしたら、これが最後のラブリンクかも?」とアフレコブースの中がザワついていたのが印象深いです。実際は、最終回でも変身バンクはありますけど(笑)。そういう「終わっちゃう寂しさ」がひしひしと強くなっていった話数でもあります。

 47話は、最終決戦前編。前作のスマイルプリキュアがずーっと泣きながら戦ってたイメージがあったので、全員希望を一切捨てずに戦い抜く事がテーマというか約束事として作っています。それと、この作品がモチーフとして掲げた「幸福の王子」のアンチテーゼとして「王子の愛が人々の心に波紋のように広がっていく」ことを明確にするため、世界の命運をかけた最終決戦の場においても、市井の人々を切り離すことなく描きました。一方で、イーラがレジーナのことを気にかけていたりするも「アイツら」と関わった影響なんでしょうかね?(笑)

ラス前々ということもあって、演出もキメキメです。「ダイヤモンドは傷つかない」は3話のシナリオタイトルですが、田中裕太さんが拾ってくれたんですね。ソード、ロゼッタのキメ台詞もコンテ上で足して貰っています。

48話は、最終決戦後編。「ここは任せて先に行け!」は使い古された手ですが、敢えてやっています。 一方で、巨大ランスという飛び道具を混ぜこんで、シリアスに振り切れないようにしてあります。捕われの王様はアレに似ないようにいろいろ気を使ったつもりだったんですが、結局、ああいうビジュアルに……。

プロット段階では、四葉財閥が人工コミューンを量産して作り上げた特殊部隊がキングジコチューの足止めに回るとか、飛来したメランがキングジコチューのビームをバリアで防ぐとか、いろいろ少女漫画のワクを踏み外していた描写が山盛りありましたが、全部ボツに……いや、そんなことやってる尺全然ねえんだ! 妖精とプリキュアの絆とか、マナを応援する二階堂とか、ダイヤモンドを止めようとするイーラとか、そっちの方が大切ですからね。

49話は、作品の総括です。プロトジコチューとの戦闘シーンはあるけれども、それ自体は見せ場ではなく、ジコチューという概念そのものとどう折り合いをつけるのか、その答えを出すのがメインで書きました。古賀監督なので、バトルそのものも絵は凄くなっちゃうんですけどね(笑)。

 ジコチューとは、人間なら誰しもが持つ普遍的な感情です。そんなものを前にした時、マナは最後に死ぬしかないんじゃないかという予感がしていました。最終回執筆時も、キュアハートがプシュケーを抜かれるところで一旦筆が止まったのですが、古賀監督が「マナなら大丈夫。プシュケーになっても勝手に羽ばたいて翼でバシバシッと!」とか言いだして。マジかよマナ強エエエーッ! と大笑いしたと同時に、感動しました。企画から含めて一年半。ドキドキ!プリキュアのキャラクターたちはスタッフの愛情を受けてスクスク育ち、ついにその翼を広げて自分の手を離れて飛び立ったんだなあって。特にマナは……まさか、最終回後もプリキュアを続けることになろうとは自分でも予測不能でした。

「もう、勝手なんだから!」「仕方がありませんわ、マナちゃんですもの」




以上で、プリキュア回顧録は終了です。結局、一年かかってしまいましたけど。ここまでお付き合い下さって、ありがとうございました。

今後、このNOTEをどうするかは、まだ決まっていません。

なんせ、もうキャラが立ってしまっているので、ちょっときっかけさえあれば、勝手に話が動き出しちゃう、そんな状態。

もしかしたら、あの企画が……なんてこともあるかもないかも?

それでは、また。

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