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新型コロナウイルス感染症で逝った父と私たち家族が直面したこと

新型コロナウイルス感染症。

日本でも、徐々にマスクを外せる状態になりつつあります。

感染しても軽症、あるいは無症状で済む方も少なくありません。

けれど。

もしも大切な家族や親類、友人が感染し、重症化したら…。

父を亡くした私は、とても後悔しています。

(同じような思いを、もう誰にもしてほしくない)

父が新型コロナウイルス感染症に罹患し、小さくなって自宅に帰ってくるまでの経緯を、時系列に沿って書いた克明な記事があります。

今年の1月に記したものですが、当時の私にとって、辛いことを思い出しながら、それこそ血の滲むような想いで書き上げました。

警鐘を鳴らすべく…文中にそのように記しましたが。

誰かに許されたくて、貴女はもう充分頑張ったと言ってほしくて、書いたのかもしれません。

残酷で悲しい別れ(2022.1.12 記)

2021年9月16日、午後2時28分。
父が86歳で永眠いたしました。

新型コロナウイルス感染症による、肺炎と心不全でした。

その頃はコロナ第5波の最中にあり、父のようにお亡くなりになられる方も多くいらっしゃいました。

今はオミクロン株が猛威をふるっておりますが、この変異株は以前と比べ、重症化のリスクが低く、感染しても無症状というケースも多いと聞いております。

しかしながら、父のような高齢者や基礎疾患をお持ちの方にとっては、やはり脅威だと思います。

軽症や無症状で済むのなら…という風潮もあるようですが、警鐘を鳴らすべく、私と家族の体験したことを書いておこうと思います。


父は昨年7月から、老健施設に入所しておりました。

父の異変に気付いた施設側から最初に連絡が来たのは、8月31日でした。

「昨夜から39.2℃の発熱があり、尿路感染を疑っている。解熱剤と抗生剤を投与し様子を見ている」

父は一人ではトイレで用を足せないため、カテーテルを入れており、そこから菌が入ったのかもしれないと、その時は私も思いました。

・9月1日、第二報。
「38℃台→深夜40℃超え。解熱剤、抗生剤継続。食事が摂れず点滴を2本」


この時点で、私は新型コロナウイルス感染症を疑いました。この施設では以前にも、クラスターが起きていたからです。

しかし施設には医師も看護師もいるので、素人の私がそれを指摘するべきではないと思いました。


・9月2日、第三報。
「アイシング追加→熱が安定せず」



・9月3日、第四報。
「倦怠感が酷く37℃台の発熱。息切れがあり酸素飽和濃度90%を切る。酸素2リットル、点滴を入れている」



・9月3日、第五報。
「PCR検査実施予定。結果問わず午後連絡する」


しかしながらその日、施設側からの連絡はありませんでした。


・9月4日、第六報。
「PCR検査結果、陽性。個室にて隔離し食事等の介助を行っている」



9月5日の午前中に、こちらから父の容態確認をしたところ「上からの指示がなく、まだ施設内で経過観察中」とのこと。

同日夕方、保健所から問い合わせがあり、既に施設から病院に移ったのか、診察を受けて施設に戻っているのかの確認を取りたいとのことでした。

午前中に連絡した際は、まだ施設にいると聞いているが、その後のことは連絡がなくわからないと説明し、保健所から直接施設に問い合わせていただくことに。

再び保健所から連絡があり、まだ病院にはかかっておらず、施設にいるとのことでした。

保健所が新型コロナ患者受け入れ病院を探してくださり、転院することになったのが、9月6日。

しかしその当時、病床は逼迫しており、保健所の方から、今は中等症までの患者を診る病院しか空きがなく、万が一の時には延命をしないと。

それらに対する家族の同意がないと、受け入れてもらえないと言われました。

一刻の猶予もなく、家族に相談する間もなく、キーパーソンである私が決断をしなければなりませんでした。

他の病院を探してもらうには、それなりの時間がかかるらしく、見つかるかどうかもわからないとのこと。

たとえ中等症までしか診られない病院だとしても、このまま施設に留め置くよりは、積極的かつ適切な治療を受けられると思い、延命をしないという条件を飲んで、転院させることを決断。

9月6日の午後、病院に転院し、そちらの担当医から連絡があったのは夕方でした。

治療薬のレムデシビルを使うには家族の同意が必要なこと、まだ未知のウイルスなので、治療も手探り状態で進めて行かなければならないこと、中等症までしか対応できず、万が一の時は延命をしないことを告げられ、電話口で同意を求められました。

震える声で、わかりました同意します、と告げたのを憶えています。

その翌日には、本人がとても苦痛を感じているため、うとうとする点滴(プレセデックス)を入れ始めたとのこと。

容態確認は治療の妨げになるとのことで、電話をしても受付で断られ、病院からの連絡を待つほかなく、不安な日々を送りました。

9月10日に容態連絡があり、非常に危険な状態であることを告げられ、次にご連絡する時には、もう意識もない状態かもしれませんと。

9月14日に病院の看護師から電話があり、リモートの画面越しにはなるが、必要であれば面会の時間を設けられるとの連絡が入りました。

ただし父の意識レベルは殆どなく、お顔を見ていただくだけにはなりますがと。

三名までなら可能とのことで、家族で話し合い、嫁いだ姉二人と、兄に行ってもらうことになりました。

翌15日、リモートにて面会。

父とは数年ぶりの再会となった姉二人が「お父さん、来たよ!」とタブレットの画面越しに声を掛けると、目を開いて何度も頷いていたそうです。

もっとグッタリしていて、今にも逝ってしまいそうだと思ってたけど、持ち直したのかもねと姉たちが言っていたと、帰宅した兄から聞かされました。

しかし私は、父はもうもたないだろうなと思いました。

面会の翌日の午後2時過ぎに、病院から父危篤の一報が入り、もう意識もなく、間もなく心停止します、確認が取れたらまたご連絡しますので待機していてくださいとのことでした。

私はその時、一人でした。

次の連絡が入るまでの時間は、静かで、そしてとても長く感じました。

「午後2時28分、死亡が確認されました。無念です」

電話口の医師の声は、とても遠くに感じられました。

そこから先は、看護師とのやりとりになりました。

どこか任せられる葬儀社に心当たりはありますかと訊かれましたが、新型コロナで亡くなった場合に頼める葬儀社など、皆目見当もつかず、ありませんと告げると、では当院提携の葬儀社に依頼しますと。

身の回りのものはどうされますか?返却する場合は消毒が必要ですので、棺に一緒に入れるか、当院で処分するかになりますがと矢継ぎ早に言われましたが。

どんな物をどれだけの量、施設から持って行ったのかもわからず、看護師の方が急いでいるのが電話口から伝わってきました。

形見として残せるものは残しておきたいので、何があるか教えてくださいとは言えず、全てを棺に収め切れるとも思えなかったので、機械的に、ではお手数ですがそちらで処分してくださいと答えました。

わかりました、こんな時にいろいろごめんなさいねと言われましたが、なんだか感情が麻痺していて、気持ちが追いつかず。

いえ大丈夫です、父がお世話になりました、ありがとうございましたと告げると、では後ほど葬儀社からご連絡が行くと思いますので、今後はそちらとのやりとりになりますと言われ、わかりましたと答えて終話。

小一時間ほどで、葬儀社から連絡が入りました。

コロナで亡くなった方のご遺体は、決められた斎場でしか荼毘に付すことができないこと、葬儀社は新宿にあり、斎場は落合か戸田か谷塚になりますがどうされますかと。

葬儀社からいちばん近いのは落合斎場でしたので、そちらでお願いすることに。

日程が決まりましたら、またご連絡しますと言われました。

しばらくして再び連絡が入り、斎場にもコロナ枠というものがあり、最短で22日の午後4時からになると言われました。

一週間も先です。

それまで父はどうなりますかと訊くと、私どもの霊安室に安置させていただきますと。

我が家とは遠く離れた、父にとって土地勘のない新宿の葬儀社に、一週間もの間、ひとりぼっちのままにさせておくことに抵抗を感じましたが、仕方ありません。

わかりました、よろしくお願いしますと返事をしました。

畳み掛けるように、口頭で費用の明細を告げられ、お骨をお渡しする際に、現金でお願いしますと言われました。

遺族感情に配慮するようなことは一切ありませんでしたが、淡々と事務的にしてくれたほうが、むしろこちらも受け答えしやすくてよかったと、今は思っています。

父が帰ってくるまでの一週間は、とても長く感じられました。

父を迎える準備は、父が生前、懇意にしていた地元の葬儀社に、無理を承知でお願いしました。

病院提携の葬儀社では、役所への死亡届の提出と、荼毘に付すまでの遺体の管理、遺骨を家まで届けるところまでしかしていただけないからです。

地元の葬儀社にとって、まるで儲けにならないことをお願いするのは気が引けましたが、父が存命だった頃から、自分にもしものことがあればその葬儀社にと、強く希望していました。

最期くらい父の希望を叶えてあげたいと思い、そちらにお願いしたところ、社長が快く引き受けてくださいました。

9月22日、18時。

父がお骨になって、小さくなって帰ってきました。

噂には聞いておりましたが、本当に玄関先での手渡しでしたし、すぐに費用の請求をされました。

まるで荷物のような扱いだなと感じ、とても辛かったです。

新型コロナウイルス感染症に罹患すると、治療中の面会はおろか、臨終にも立ち会えず、亡骸と対面することも、斎場に行くことも、お骨あげをすることも叶わず、ひたすら遺骨になって帰ってくるのを待つだけ。

こんなに残酷で、悲しい別れはありません。

世間はすっかりコロナ慣れをしていて、緊張感も薄れつつあります。

確かに父が亡くなった第5波の頃と比べれば、病床にもまだ余裕があり、命を落とす方の数も少ないです。

けれども、コロナで亡くなるとこんなにも悲しい別れが待っていることを、一人でも多くの方に知っていただきたく、ここまで記しました。

どうか、この病で命を落とす方がこれ以上増えませんよう、願ってやみません。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


P.S.
父のことを、以前こちらで書かせていただきました。

この記事と被る箇所もありますが、約4ヶ月経ち、少しは冷静な視点で書けているかなと思います。
併せてお読みいただけますと幸いです。

父の最期について記すことを、これでお終いにできればいいなと思いつつ…。

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