亜済公

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ワセダミステリ・クラブ https://kakuyomu.jp/users/hiro1205/works (カクヨム)

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「逃走」するポストモダン

 第一章 「逃走」を肯定する  近年、漫画やアニメ、小説といったコンテンツ、そしてある種の社会的情勢において、「逃げる」ということが非常に大きな主題となっていることは疑いない。その対象は、時に学校であり、会社であり、そして現実そのものであったりするだろう。  職場からの「逃走」に目を向けてみる。2010年代に始まったとされる退職代行サービスは、メディアに取り上げられるほど、広く知られることとなった(注1)。インターネット上には、「ブラック企業」を検索することのできるデータベ

    • (非公式)『運命戦線リデルライト』第一話「キミだけのチカラ」

           〇  小さい頃、本屋さんで占いの本を買ってもらった。  手相だとか血液型とか、今に思えば他愛のない話だけれど。  その頃のわたしには、何だか素敵に思えたのだ。  運勢を――あるいは「運命」を占いましょう、と本は語る。  赤い糸で結ばれた、顔も知らない誰かとか。  幸せを約束された未来とか。  けれど、本は一つだけ嘘をついていたのだ。  運命は、もっと残酷なものだって。  教えてくれれば良かったのに。  変えようのない未来。  逃れようのない未来。  運命は、た

      • 『阿修羅ガール』感想/そしてゼロ年代とは何か

         本作は、ゼロ年代を「批評する小説」だ。ゆえにまずは、ゼロ年代、そしてその前触れとなった90年代後半から話を始める必要がある。  90年代後期からゼロ年代にかけて生み出されていた作品に、一つ「自我の問題」という共通項を見出すことができるだろう。『エヴァンゲリオン』『攻殻機動隊』『PERFECT BLUE』『妄想代理人』、そしていわゆる「セカイ系」にもいえることだ。  ところで、セカイ系とは何なのか。最初期、この言葉に充てられていた定義を挙げれば、「エヴァっぽい」作品という

        • 『檸檬先生』(珠川こおり)感想

          主人公の物語は極めて陳腐。が、その裏側でひっそりと進行し、終盤突如として表舞台に出現し破局へと至る「檸檬先生」の物語は、素晴らしい。表層にはつまらないが、深層には傑作という、きわめて危ういバランスの上に成り立った良作。 思うに「自我」の確立、あるいはその主張こそが、作品全体としての主題だろう。読み始めてすぐに感じたのは、「少年」の自己主張の希薄さからくる退屈であった。終盤に近付くにつれてそれは徐々に変化していく。あるいは檸檬先生も同様だろう。他者からくわえられる危害に対して

        「逃走」するポストモダン

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          『タコピーの原罪』感想

           何よりもまず目を引くのは、タコピーと久世しずか(及びその周辺人物)との対比だろう。理想的な道徳観念、つまり綺麗事に生きるタコピーは、「現実の厳しさ」に直面する。ここでいう道徳観念は、宗教的理念と言い換えても構わない。  古代において人間は、一方的に与えられる神からの教え(宗教的理念)を至上のものとして受け入れた。作中冒頭におけるタコピーの顕現は、つまるところその再演に他ならない。タコピーの故郷であるハッピー星とは、理想郷であり神の国というわけだ。しかし古代と作中との決定的な

          『タコピーの原罪』感想

          『メタバース進化論』感想

           メタバースは、近年にわかに注目を集めるフロンティアの名称である。本書は、その原住民自身による入門書。自らの体験と統計を基に記されるメタバースの現状や、経済や哲学の観点から描かれる展望に、好奇心をくすぐられる。  わたしはふと、希望に満ちたその筆致から、小学生の頃に読んだ『あたらしい憲法のはなし』を連想した。戦後日本で、平和や民主の素晴らしさをうたった官給本だ。『メタバース進化論』も、新しい時代の幕開けを象徴する一冊になるかも分からない。  SFに書かれた事柄が現実になる―

          『メタバース進化論』感想

          「ユア・フォルマ」感想

           人間の記憶へ接続し、捜査を行う電索官エチカ。しかし、それはただ一人で能力を発揮できるものではない。記憶から引き上げる補助官(それも能力のみあった者)の存在が、必要不可欠なのである。天才といわれる彼女に対し、あてがわれたのは高性能のアンドロイド。前例のない相方ともに、彼女はとある事件の捜査に当たる——。  本作を読み終えてまず浮かぶのは、「面白い」というごく単純な感想である。ストーリーの作り方に欠点がない。起承転結の型へ綺麗にはまっていて、特に終盤の加速は見事だった。  S

          「ユア・フォルマ」感想

          冬乃くじ「国破れて在りしもの」感想

          「ありし」という表現から分かる通り、杜甫が現在を描いたのに対し、本作は過去を描いている。独裁的な市長によって、時を遡っていく一つの町……。だがこれは、「逆行」というよりも「変化」と捉えるべきかもわからない。終盤で、「冬にセミが鳴いた」からだ。  物事は本質へと帰着する。瞬間的な情報は、集合し映像へと昇華して、編集により回帰する。人は無に、世界は自然に落ち着くだろう。それこそ、「春望」が冒頭の文で描いたように。  だが作者は、そこにもう一つ大切な要素を発見していた。物語全体を通

          冬乃くじ「国破れて在りしもの」感想

          「老人と海」感想

           若かりし頃、優秀な漁師であったらしい老人は、その日、沖へと出かけていく。「一匹も釣れない日が、既に八十四日も続いていた。最初の四十日は少年と一緒だった。しかし、獲物のないままに四十日が過ぎると、少年に両親が告げた。あの老人はもう完全に『サラオ』なんだよ、と。サラオとは、すっかり運に見放されたということだ」。そういうわけで、彼はただ一人だった。  物語の大半を占めるのは、巨大な魚と老人との戦いである。海はそこで、躍動する生命の象徴だ。一方、「彼に関しては、何もかもが古かった」

          「老人と海」感想

          「ヴィンダウス・エンジン」(十三不塔)感想

          止まっているもの全て見えなくなるという「ヴィンダウス症」。唯一の寛解者であった主人公キム・テフンは、成都の都市管理AIに組み込まれ、「ヴィンダウス・エンジン」の歯車となる——。中国を舞台に描かれる、清と濁の共存する近未来都市は、どこかエロティックな印象をもたらした。個人が超常的な力を得ることへの憧憬を刺激し、上質なエンタテインメントを提供する。 そんな本作に見受けられる構造として、ある種の対比、言うなれば両儀の図式に近いものが挙げられる。作中において「鏡像」と表現されるのが

          「ヴィンダウス・エンジン」(十三不塔)感想

          ブンゲイファイトクラブ批評 グループC

          ★点数★ 「おつきみ」 3点 「神様」   5点 →勝者 「空華の日」 2点 「叫び声」  4点 「聡子の帰国」2点 ★総評★ 六枚という短さで、人間の感情を表現するというのはなかなかに難しいことだと思う。作中に描く場面を大きく広げ、個々の人間が薄まっているような印象を受けた。私は物語を大きく分けるものの一つとして、「人間」と「それ以外」を考える(単純な二元論にはならないが、便宜上)。読後感から判断すると、「神様」「空華の日」といった後者に属する作品がこの場ではやや有利

          ブンゲイファイトクラブ批評 グループC

          ブンゲイファイトクラブ一回戦Bグループ感想

          ・「今すぐ食べられたい」中原佳 食べられたい牛と食べたくない人間の倒錯した悲劇。世界に平和をもたらすだろうその美味と、(観光客がおらず沐浴する人もなくただ死体を焼いている)戦争に近い状態だろう人間界とが、対比される。誰も牛に手を出さず、ガンジスに流してしまうという結末からは、ある種のメッセージを読み取ることができるだろう。寓話だろうか。 ・「液体金属の背景 Chapter1」六〇五 組織に腐敗がつきもののように、閉じられた関係の中で人は次第に堕落していく。故に「我々」は

          ブンゲイファイトクラブ一回戦Bグループ感想

          ブンゲイファイトクラブ一回戦Aグループ感想

          ・「青紙」竹花一乃 死へ赴くことを強要される「赤紙」とは対照的な、自ら生を選択する「青紙」の物語。非常に風刺的であると同時に、「自由」への批判が読み取れる。選択は幸福をもたらさず、そもそもハリボテに過ぎなかった。 ・「浅田と下田」阿部2 男湯に入る女生徒浅田、家族の元から逃走する浅田の父親。「規範からの脱出」が描かれ、しかし彼らは、帰ることを強制される。脱出することを望まず、母親が嫌な顔をしないこと、浅田との約束を守ること、つまりは規範を守ろうとした主人公だけが、蒸発し

          ブンゲイファイトクラブ一回戦Aグループ感想

          吉村萬壱「カカリュードの泥溜り」 感想

          キラスタ教の支部長と、支部長の家に招かれた野球帽の男(浮浪者)を中心に、物語は進行していく。冒頭被害者であった野球帽が、結末加害者になるという、対照的な構造に包まれ、そこには、宗教という眼鏡を通した、多くの「逆転」が見出せた。 キラスタ教の教義の中に、「カカリュード」と「泥溜り」という概念がある。野球帽は他人に世話をしてもらう「カカリュード」そのものであり、他人の世話に依存して、罪の状態「泥溜り」にあると示される。そして「カカリュード」を救うことは信仰の証、「泥溜り」にいる

          吉村萬壱「カカリュードの泥溜り」 感想

          安部公房「燃えつきた地図」感想

           都会——閉ざされた無限。けっして 迷うことのない迷路。すべての区画に、 そっくり同じ番地がふられた、君だけ の地図。  だから君は、道を見失っても、迷う ことは出来ないのだ。 (安部公房「燃えつきた地図」)    ※  興信所の調査員が、失踪した男を追い始めるところから物語は始まる。依頼人であるアルコール中毒の女性、怪しげな組織に所属するその弟、失踪人の元同僚に、喫茶店「つばき」の関係者たち……。  人間は、その存在を、自身ではなく居場所によって保証される。会社、家族…

          安部公房「燃えつきた地図」感想

          短編小説 「足と仮面」 高校生のための小説甲子園落選作

           写真機の入った愛用の鞄が、妙に重たく感じられた。被写体にふさわしい風景が、どこにも見当たらないせいだった。  暗い空がビルの明かりに照らされて、霞んだような色をしている。月は遠く、建設中のデパートの影に隠れながら、こちらをじっと見下ろしていた。  繁華街は騒がしく、抱き合った男女だとか酔っ払った集団だとかが、地面へ深くめり込んでいる。両脇に長く連なった、楽器屋、質屋、あるいは雑多な飲食店。それらを横目に、逆さになって、肩から上を誰も彼もが、地中に隠してしまっていた。大人十人

          短編小説 「足と仮面」 高校生のための小説甲子園落選作