見出し画像

立憲主義の解体──安保法案強行採決 (中島岳志『保守と立憲』より)

安倍晋三・菅義偉内閣と続いた自民党政権は、どのような政治をおこなってきたのか。
いまあらためて振り返ることが必要なのではないでしょうか。

中島岳志『保守と立憲』(2018年刊)から、必読論考を5日連続で公開します。

第二弾は、「立憲主義の解体──安保法案強行採決」(2015年)です。


画像2

中島岳志『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス/2018年) 「立憲主義の解体──安保法案強行採決」182p~184p


立憲主義の解体──安保法案強行採決


 衆院に続き参院も、安全保障関連法案の強行採決したのは(二〇一五年九月十七日)、あまりにもひどかった。与党の法案がそのまま可決されるだけならば、国会など必要ない。選挙で多数を獲得した政党のマニフェストを、そのまま実現すればいいだけだ。

 デモクラシーは単なる多数決ではなく、少数派の意見にもしっかり耳を傾けながら合意を形成するシステムである。議会の存在が重視されるのは、多数者が常に正しいという見方を疑っているからだ。少数者の主張に理があれば、その見解を取り入れながら合意を取り付ける。そのプロセスこそが民主主義にほかならない。

 今回の採決のプロセスを見ながら、安倍首相には保守を自称する資格はないと強く感じた。安倍首相の政治手法は、根本的に保守思想にそぐわない。むしろ彼が批判する中国共産党の独断的な政治に接近している。安倍首相の中国に対する批判は、ブーメランのように旋回して、自らを直撃するだろう。

 保守といえば、一般には革新に対峙する存在という程度に受け止められがちだが、政治思想としての本来の保守とは、もう少し厳密なものだ。難しく言えば「懐疑主義的人間観の共有」。つまり、人は知的にも倫理的にも過ちを犯しやすい存在である。どんな頭のいい人でも、世界のすべてを正しく把握することなどできず、どんな立派な人でも、エゴイズムや嫉妬から完全に自由にはなれないという見方だ。

 そうしたいつの時代も不完全な人間の弱さを、本来の保守派は冷静に見つめる。革新を唱える近代主義者たちが理性を過信し、進歩を妄信するのに対し、保守は個人の能力の限界を直視し、個人の単独の理性ではなく、理性を超えたものに重きを置く。過去の人間の経験知や常識、伝統、慣習を大切にし、一気に社会を変えようとする態度をいさめる。ただし、保守はあらゆる変化を拒むわけではない。社会は常に時代の変化にさらされ、静止画のようにとどまり続けることは許されない。数十年前と今では社会の構成は大きく異なる。昔に作られた制度をそのまま引き継いでいるだけでは、否応なき変化に対応することができないからだ。

 その意味で保守は「保守するための改革」を積極的に容認する。ただし、改革は常に漸進的、「順を追って徐々に進んで行くこと」でなければならないと考える。一部の人間が一気に社会を変えてしまうあり方には、必ず理性に対する過信が潜んでいると考えるため、改革は常に丁寧に時間をかけて行う。

 保守の目指す改革は「永遠の微調整」である。無名の死者たちから継承した暗黙知を重視し、伝統と呼応しながら丁寧に調整を進めて行くことこそ、保守の態度にほかならない。

 このような保守思想の本質を辿っていくと、今回の強行採決が「反保守的」な態度であることがわかると思う。保守政治家たる者、異なる意見の他者との葛藤に堪えながら、粘り強く合意形成を進めることが求められるはずだが、今の自民党議員には、そのような姿が微塵も見受けられない。強引で性急な決定ばかりが先行し、対話や熟慮の美風が崩壊している。保守の謙虚さはどこへ行ってしまったのか。

 安倍首相はかつて憲法解釈について「最高の責任者は私だ」と言い、「政府の答弁に私が責任を持って、そのうえで選挙で審判を受ける」と豪語した。立憲主義を根本的に解体し、選挙で過半数を獲得すれば何をやってもいいと言わんばかりの態度は、死者たちが血と汗を流して築いてきた政治的慣習や秩序を崩壊させてしまう。民主制は暴走すると危ないシステムであるため、為政者は憲法という足枷によって、過去から制約を受けている。政治家が断的に決定できないような「安全弁」が歴史的経験から装着されているのだ。安倍首相をはじめとする与党の政治家たちは、この足かせを強引に外そうとしているように見える。これは歴史に対する反逆であり、保守的な精神を足蹴にする不遜な態度だと言わざるを得ない。

 今、重要なのは、保守政治の立て直しである。保守の論理を再興しなければ、自民党は社会主義国家のような独断的政治に堕することになる。


       ■『熊本日日新聞』二〇一五年九月二十七日朝刊

中島岳志『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』(スタンド・ブックス/2018年) 「立憲主義の解体──安保法案強行採決」182p~184p



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?