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「スーさんのこと」 (寺尾紗穂『天使日記』より)

寺尾紗穂さん(音楽家・文筆家)の最新エッセイ集『天使日記』(スタンド・ブックス/2021年)が、前作『彗星の孤独』(同/2018年)とともに電子書籍化されました。

電子書籍版発売を記念し、本書に収録されている書下ろしエッセイ「スーさんのこと」(p22~p32)を掲載いたします。

2022年3月10日(木)の「朝日新聞」朝刊、鷲田清一「折々のことば」欄にて、本篇が紹介されました。

寺尾紗穂『天使日記』(スタンド・ブックス)より転載

スーさんのこと


 映画のコメントを求められることが多く、試写でもDVDでもなく公開前にリンクを送ってもらうことも増えた。國友勇吾監督の『帆花』もそうだった。布団に入ってiPadで視聴を始めた。帆花さんは、生まれるときへその緒が切れ、脳に酸素がいかなくなったことにより、心肺停止の状態で生まれ、脳死に近い状態で生き続けている少女だ。目は見開き、まばたきもほとんどせず、充血して涙ぐんでいるように見える。耳も聞こえないと言われているそうだ。管の入った口は開いている。見慣れない人間からすると、何か鬼気迫るものを感じる。けれど、はっとするように美しく見えるときもある。ウー、ウー、と呼吸の一定のテンポで彼女の声が響いている。何かの問いかけへの答えのように聞こえるときもある。カメラはいろいろな帆花さんの表情をとらえていた。ほとんど脳死と言われたけれど、詳しい検査をしたらとても反応している部分もあり、それをどう伸ばしていくかだ、と帆花さんのお母さんが真剣に話していた。カメラは美しい部分を切り取ると同時に、お母さんの葛藤も描く。自分は一所懸命に向き合っているけれど、本当に意味のあることをしているのか。意味のあること、役に立つことばかりが価値があるとされるこの社会で、ふとそう感じてしまうのはむしろ自然なことかもしれない。
 自分で動けない人生、自分で話せない人生。それでも声を出し、空を見つめ、何かを確かに感じている帆花さんの生。葛藤を抱きつつもそれを見守り、確かに成長を感じている家族。

 地方ライブからの帰り道、夏のことだ。高速道路を走っていたら、トンネルの上方に生えていた木の一本が、紅葉しているように見えた。こんなに暑いのにどうしてだろう。調べてみると、水不足によって、それでも命をつなぐために木は葉を落として水分を節約しようとするのだという。確かに、ベランダの鉢の植物も、水が足りないと付け根の下のほうの葉っぱが黄色くなっている。それと同じことだ。乾燥に強い木と弱い木があるのだろう。夏に黄色く紅葉しているように見えたあの木は、乾燥に弱い木だったのだ。どこかを守るためにどこかを犠牲にする。帆花さんのへその緒が切れたとき、体は生命体としての最重要部、心臓及び全身を生かすために、脳への酸素供給を減らした。おそらく自然にその優先順位が生き物には組み込まれているのだ。脳の機能が失われてでも、体は生きる。そして魂も生きるのだ。脳と魂は別物だ。魂が感じていることを脳の思考が否定することさえある。そうすると人は人生の道に迷う。迷っていることに気づかぬまま無理を重ねる人もいれば、病む人もいる。帆花さんは、生き残った体と、魂と、わずかな脳の反応で生きている。その純粋であることに思いを馳せる。生きている意味があるのかという社会からの心ない声や、的外れな同情はそのことに気づいていない。動けない体に、魂が満ち満ちて宿ることに。枯れた木の、根はひそやかに力を保つことに。

 映画を観終えて、眠ろうと思ったとき、メッセンジャーに昔のバンド(Thousands Birdies Legs)の仲間で、今は大学教員になっているジョニーからメッセージが来ていることに気がついた。もう十年くらい会っていないが、フェイスブックではつながっていた。メッセージは同じくバンドの初期メンバーだったベースのスーさんが亡くなったことを伝えるものだった。二〇〇五年七月にメガフォースというインディーレーベルからアルバムを出したから、レコーディングは三月あたりだっただろう。その後都立大(この年の四月からすでに首都大学東京になっていたが)の生物学科の院生だったスーさんは二〇〇五年六月から奈良女子大の非常勤講師になっているので、このタイミングでバンドを抜け、同じ月に私は知り合いのミュージシャンの紹介を得て、新メンバーになるベーシストの楠井五月に会いに電通大でのセッションに出かけたのだ。
 スーさんと出会ったのは大学一年のとき。ジャズ研に顔を出していた頃だ。ジャズスタンダードの譜面を買って、耳コピにチャレンジしていた。それでも私の左手はコード音を叩いてリズムを取りたがっていたから、まったくセッション向きではなかった。「寺尾さんはさ、セッションがしたいの?」と単刀直入に切り込んでくる先輩もいて「したいんですけど……」と歯切れの悪い答えをつぶやいていた。そんななかで、スーさんは寡黙でやさしかった。一度だけ、部室で二人だけだったときがあって、私がジャズ初心者がよく取り組む「枯葉」をピアノで弾いていたら、スーさんがウッドベースで加わってくれた。ひと通り終わったとき、スーさんが「リズムが、楽しそうだ」と言った。部室にはうまい先輩ばかりが演奏していて委縮し、しかも左手コンプレックスを抱えていた私が、初めてのびのびと演奏できた日だった。そこにスーさんがいてくれたことが嬉しかった。

 映画の帆花さんを見ていて、ふと水俣病の患者さんのこと、石牟礼道子『苦海浄土』を思い出した。そこには水俣病のために童謡の「七つの子」を歌えなくなった娘・ゆりについて父親に語りかける母親が描かれている。

木や草と同じになって生きとるならば、その木や草にあるほどの魂ならば、ゆりにも宿っておりそうなもんじゃ、なあとうちゃん

石牟礼道子『苦海浄土』講談社文庫

 海に泳ぎ、風を切って走り、思いのままに歌っていた人生を突然暗転させられた無念さは、いかばかりだろう。彼らは人生を途中で失った。帆花さんが彼らと異なるのは、人生の最初からこの状態だったということだ。「かわいそう」と涙を流す人はいるが、その気持ちは、知らず健常者との比較から来ている。比較して絶望し、比較して涙する。彼女は自身で比較すべき健常者としての経験を持たない。生きるのみだ。彼女は誰かの涙に「どうして泣いているの?」と問うだろう。

 スーさんは、植物生態学、個体群生態学が専門で、奈良女子大学のあとは、神戸大学、首都大学東京、筑波大学、琉球大学で教鞭をとった。筑波の菅平高原実験所にいた時期が長く、そこのHPには今も彼の経歴と写真、そしてコメントが載っている。

私は、動けない植物の〝動き〟すなわち動態に注目し、野外で見られる植物のいろいろな動態を明らかにすることで、植物という生き方を理解することを目指しています。

 スーさんは動けない植物の〝動き〟を見て、「植物という生き方」を理解しようとしていた。
 動けない植物、動かないように見える植物はしかし確かに動いている。目の前に見えているものだけであれこれ判断を下してしまう人間には想像のつかない、植物たちの生態。それをスーさんは「生き方」と書いた。直前まで見ていた帆花さんの姿を思い出した。脳の機能をすべて失うことを「脳死」といい、帆花さんはほぼこの状態と言われた。呼吸も機械に頼っている。一方、呼吸はできるが発話や動きを司る大脳の機能を失った人を指す言葉に「植物状態」がある。どちらにしても、不自由なく気ままに生きている人間からすると絶望的な響きがある。しかし、動き、しゃべれる人間も、動けない植物も、言葉を話せない動物も、魂の求めるところは同じだ。それは魂が快を感じながら、楽しんで己を生きるということだ。多くの人が忘れているだけであって、命の横顔はみな似通っている。

 二〇一〇年、スーさんが菅平に来て翌年に作った小さな本がある。『菅平のススキ草原 植物検索図鑑 入門編』と『同 中級編』だ。筑波大学菅平高原実験センターのHPから見ることができる。植物の五十枚の写真と、一つひとつへのスーさんの短い解説が載っている。ツルウメモドキ、マユミ、クサボケ、ズミ、ミヤマニガイチゴ、ナワシロイチゴ、ノイバラ、ヤマスズメノヒエ……小さな植物たちの名前を見ながら涙が出た。

ズミ
バラ科の低木で、草原にはかなりたくさんいる。葉の形に、1つの個体の中でもばらつきがある。同定のポイント:クサボケに似るが、3つに裂けた形の葉がついていれば、ズミである。

 スーさんは植物たちのことを「ある」ではなく「いる」と書いていた。「植物という生き方を理解しようとした」スーさんが表現にこめた、そのちっぽけな存在への敬意のような、対等な仲間のような思い入れを感じた。
 大抵は淡々とした解説だが、スーさんの気持ちが入っているものもたまにある。

ハナイカリ
葉は無毛できょ歯がなく、3本の葉脈が特徴。白と黄色の独特な形の花をつける。草丈の低い場所に多い。花はとてもかわいい。

ウメバチソウ
草原内で、草丈の低く日当たりが良くなった場所に時々いる。秋のころ、とても目立つ白い花を咲かせる。草原内では1、2を争う美しい花。

マツムシソウ
葉は、毛がなく深緑。切れ込みが深く複葉のようにも見える。ロゼット状で成長する。花はとても変わった形をしており、記憶に残る。

リンドウ
草原内で時々見つかる。青い目立つ花をつけ、ウメバチソウと並んで草原内では美しい花。この他、キキョウ、ハナイカリ、キリンソウ、マツムシソウが特にきれいで、9月はこれらが一斉に咲く。

 スーさんの研究助成の功績を見ているとわかるのだが、この本を作ったのは、菅平で「地域住民を対象としたナチュラリスト養成講座の開催」などにも携わっていたからだろう。
 私はふと、都立大時代の大学改革のことを思い出した。時は石原都政時代、石原知事のやりたかったことは、文学部の縮小、理系の基礎研究の縮小と産学連携の強化だった。今まさに、大学内部は金持ち研究室と貧乏研究室に分かれてしまって、基礎研究に不利な状況が発生していることが指摘されているが、二〇〇〇年代前半、都立大はこの「改悪」に揺れに揺れた。学生たちもそれぞれ、署名活動や都議会傍聴、都議への訴えなどに動き始めた。そんな時期、改革に問題を感じる学生たちが集まる会があって参加したとき、そこにスーさんもいた。
「基礎研究はお金にならないからね」
 といつものように、メガネの奥の瞳をキラッと光らせてスーさんはゆっくり言った。ナチュラリスト養成なんて本当にお金にならないだろうと想像がつく。でもどれほど大切なことか。地元に咲く花の名を知っている人がいるということ、その変化に気づくことができる人がいるということ、その土地にどれだけ貴重な花が咲くのか、珍しい虫が暮らしているのか、それをきちんと知っているということは、その土地を狙う胡散臭い計画が立ち上がったときも、自分たちの土地を守る術を一つ持っているということでもある。花の名を知ることは、花に気をかけ、愛するということだ。ただ、花の名前の知識が増えた、ということではないのだ。相手を深く知るということは、より深く愛せるようになるということだ。

 スーさんは二〇二一年十月十四日に死んだ。ウメバチソウ、リンドウ、キキョウ、ハナイカリ、キリンソウ、マツムシソウ。スーさんの心ひかれた花たちが菅平にあふれる九月、彼は病院のベッドにいただろうか。

私は、動けない植物の〝動き〟すなわち動態に注目し、野外で見られる植物のいろいろな動態を明らかにすることで、植物という生き方を理解することを目指しています。

 思うように動けなくなった自らの体を抱えて、スーさんは何を思っていただろうか。バンドのことを思い出すこともあっただろうか。一緒に出たのは、多分初台ドアーズ、渋谷プラグ。あの頃はプラグでよくライブをした。楽屋から舞台に向かうとき、一回外の渋谷の雑踏に出て、裏手のエレベーターで舞台裏に向かう。雑踏のなかで、楽器を抱えたメンバーたちとちょっとくすぐったいような気持ちで、風に吹かれて夕暮れの人混みを歩いた。そんな瞬間を思い出すこともあっただろうか。彼にとってはジャズ研での活動がより厚みを持っていただろう、とは思う。いずれにせよ、重たいウッドベースも抱え得ない体、弦を押さえることもない指、花を覗きこむこともない目、草を踏むこともない足、死に向かう人の不自由、晩年の残酷さを思う。

 九月から寄せ植えを通販で売るようになった。もともと春くらいから作った寄せ植えをお世話になった人に送ったりしていた。発送のこつもつかめてきたところで、CDや本の通販サイトにしているBASEのページに寄せ植えも上げてみたのだ。もともとは花束を作って人にあげることが好きだった。けれど、花束は枯れたら大抵そこで終わってしまう(枯れる前にこまめに水を替え続けると、根が生えて鉢植えにできるものもあるが)。寄せ植えの場合は、一年草なら種を収穫し、多年草ならば挿し木をしたりしながら何年も命をつなげることができる。だから発送するときは、花ごとの育て方や増やし方、冬越しの仕方などを書いたものをつけて送っている。送った命が年々つながれば、思いがけず嬉しいことだろう。
 いつかスーさんの美しいと感じた花たちを使って寄せ植えができるだろうか、と夢想する。いつかスーさんの作った図鑑を持って、九月の菅平を散策できたらいいなとも思う。スーさんが「記憶に残る」と書いた「マツムシソウ」はスカビオサという異名を持っているが、ここ二年くらい私のベランダにすでに「いる」。春に沢山咲いた。秋もまた蕾が育ってきた。スーさんが死んだのは十四日と聞いたけれど、十六日にたまたまマツムシソウで寄せ植えを作っていた。せっかくだからと思い、スーさんが「美しい花」のなかに挙げていたキリンソウもネットで注文した。
 父が死んだ時きれいに咲いていたクチナシも、その後買って、今年も何度目かの花を咲かせた。花が咲けばその人を思い出す。そうして、また時がめぐったことを知る。
 私なりの密かな供養だと思っている。


寺尾紗穂『天使日記』(スタンド・ブックス)より、収録エッセイ「スーさんのこと」を転載しました。

寺尾紗穂『天使日記』
発行:スタンド・ブックス
2021年12月23日発売 
ISBN:978-4-909048-13-4 C0095
本体2,200円(税込2,420円)
四六判上製 320ページ 

寺尾 紗穂 (テラオ サホ) (著)
音楽家。文筆家。1981年11月7日東京生まれ。大学時代に結成したバンドThousands Birdies' Legs でボーカル、作詞作曲を務める傍ら、弾き語りの活動を始める。2007年4月、ピアノ弾き語りによるメジャーデビューアルバム『御身』(ミディ)が各方面で話題になり、坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。大林宣彦監督作品『転校生 さよならあなた』(2007年)、安藤桃子監督作品『0.5ミリ』(2014年/安藤サクラ主演)の主題歌を担当した他、CM、エッセイの分野でもなど活躍中。新聞、ウェブ、雑誌などで連載を多数持つ。2009 年よりビッグイシューサポートライブ「りんりんふぇす」を主催。坂口恭平バンドや、あだち麗三郎、伊賀航と組んだ3ピースバンド「冬にわかれて」でも活動中。2021年、「冬にわかれて」および自身の音楽レーベルとして「こほろぎ舎」を立ち上げる。
著書に『評伝 川島芳子』(2008年3月/文春新書)、『愛し、日々』(2014年2月/天然文庫)、『原発労働者』(2015年6月/講談社現代文庫)、『南洋と私』(2015年7月/リトルモア)、『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』(2017年8月/集英社)、『彗星の孤独』(2018年10月/スタンド・ブックス)、編著に『音楽のまわり』(2018年7月/音楽のまわり編集部)がある。


(電子書籍版あり)


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