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自分の人生のあらすじを知る★5ハウスの考察

私の好きなジブリ映画の1つ
「耳をすませば」

中学生ぐらいの女の子が、ある男の子との出会いをきっかけに
自分の人生と向き合い挑戦をする物語
この映画は本当に何故だか胸がキュンとなって切なくなる
私の「好き」が散りばめられていたりするんだよね^^

その中でも好きなシーンが一つあってそれが
ヒロインの女の子が「挑戦」したいことを親に承諾をもらう時なのですが、お父さんが女の子に言うセリフがグッとくるんですよ。

自分の信じる通りやってごらん。
でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。
何が起きても誰のせいにも出来ないからね。

娘を応援する親の気持ち。
だけど、現実は甘くない。
「いま」の世の中をきちんと伝え、それでもやるのであれば自分の責任でやりなさい、と。
自立を上手に促せる、そんな親のセリフだなぁと。
いま、改めて読んでもグッとくるなぁ。
そんな親に自分は成れているのかどうか。

まぁ、そんなことはさておき。

気付けば当たり前の道を当たり前に通って生きてきました。
途中、選択肢が与えられた場面は幾度となくあったんだけど、そのたびに気付けば「無難」な道を選んで生きてきた。

その道を通れば将来安泰、大丈夫!

ってどこかで教えられて信じ込まされ、その将来のためにその道を歩むことに疑問を持つことがなかったのだと思う。
そして、親の都合も少なからず人生にはついて回るよね。

親ガチャに失敗した!

っていう言葉をいつぞやか話している子たちがいたけれど。
失敗にするかどうかは自分次第だよなぁと思う。
少なからず、確かに子どもは振り回されるだけの親の都合だけど。
その都合は、必ずしも「悪」だとも限らない
親の都合で振り回された結果だったけれども、出会うものにはきちんと出会わされているのが人生なんだとしたら。
それをきちんと自分のものに出来ているかはやっぱり自分次第なんだよねぇ

だから本当はどこかで自分で「自分の人生の道」というのに自ずと気付いていける流れに入らなければいけなかったのだけど。
実際、今の世の中もまだ当たり前にあるレールの上を歩くのが人生だと思っている人は多い。
自分だけの人生があり、自分が選ぶ道は自分で選んでよいという「自由」が見つからないままにあるように感じている。
でも少しずつ変化があって、自由を見つけて動き始めている人たちがいるから・・・

変わっていくべきもの
変えていかなきゃいけない事

これが増えている気がするね。
自分の人生に当たり前に入ることが出来る世の中になれば、きっと見つかっていただろう何かがあるんだと思うんだ。
世の中に敷かれたレールの上を歩いていても、大筋の雰囲気は変わらないにしても。

私が向かいたかった本当の人生は?
カチッとハマる感じがする道が本当はどこかにあるのでは?

その疑問は今でも自分の中にある。
答えは出ている。
それは、その都度に「自分が思う方向に進む事」「自分で選択肢て覚悟する事」ここにあるのだとわかっていて。
だから、ここ数年間はその通りにすすんでみたんだけど。
どっかで、これまでのレールの上を歩いてきた自分が邪魔をするのよね
やっぱり、当たり前を生きていたほうが楽なような気がするんだよ。
いや、気持ちの上では忍耐や我慢があったとしてもね・・・
「耳をすませば」のお父さんのセリフは、だからこそすごく深い言葉だなぁと最近特に思います。

私たちは、人生のストーリーのなんとなくの「雰囲気」だけは決めて生まれてきているのです。
だから、そういうのはどこに行っても人生のストーリーのベースとなっている。そこから大きくずれることはない。
なんとなく当たり前に生きているから、そのストーリーのあらすじみたいなものが当たり前すぎて疑問にも持たなかったのだけど。
そこに疑問を持って改めて自分の人生を考えてみると、何かそこに大事な事が見つかりそうな気がするのです。

というわけで。
今日は、「5ハウス」を深読みしてみようかと思います。

仕事が当たり前に「生活するためのもの」になっているけれど。
成功していると言われている人たちこそ、そんなもののために働いていることは少なくて。
多くの部分で仕事はその人の「自己表現」になっているのだと思います。

スピ系の話を聞くようになって最初に「本当にそうだよな」と思った言葉が
仕事というのは「労働」ではなく、「自己表現」である。
今までは、「労働」でしかなかったけど、今からの世の中は「自己表現」の時代になっていく。
という言葉でした。

自分にないものを、誰もが出来る仕事だとして、耐えて、我慢して、努力して、頑張ってきた結果
心の病
というのが当たり前にある世の中になりました。
今や自死率のすごく高い国として日本は上げられて。
人々の幸福感というのはとても低いのだと考えられます。

でも、誰かがやらなきゃいけない仕事があって、誰もが好きな事をやり始めたら世の中が回らなくなるのではと思う事もあるけど。
近年のAI技術の発展。人が手を出さなくても良くなってきている技術があること。
でも何よりも。
自分は嫌でも、人もそう思うとは限らないというのが面白いところで。
だから、案外仕事というのは回るのだと思うのですよ。

ただ、これまでの「レールの上を歩けばいい」世の中では、自分にとっての「好き」や「楽しみ」やそういうのを経験し、考えていく機会が本当に少なかった。
出る杭は打たれる
という言葉がある通りに、人と違う事をすれば人が人を叩く時代で。
それは今もどこか変わらないよね。
自分だけ好きな事をするのは「ずるい」という人が少なからずして、だからこそ不満や不平を関係ない人にぶつけないとやっていられない人がいるという事なんだと思う。

ずるいと思うなら。自分だってやればいいと思うのだけど。
だって、でも、を重ねて行動をしない理由を作っているのは自分なんだよね。
それにも多くの人が気付きながらそれでも歩みが進まないのは、私が思うに、自分の事が良く分かっていないからというのは大きい気がします。
考えてこなかった事、経験してこなかった事、これが多すぎて自分が見えていないから、動いたほうが良いと分かっていても動きたいと思わせるものに出会えずにいるのかなぁと思います。

自分を知るための「知恵」もまたいくらでもあるわけですから。
私は、ホロスコープの「知恵」「知識」借りようと思います。


毎度書いている事ですが
考察なので、5ハウスで既に言われているような内容をここには書いていません。
改めてそこを深読みした結果、こういう事かも!みたいなことにたどり着けたらと思って書いている記事になります。

ここからは、有料記事となります。
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