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東日本大震災から13年。記録と記憶、ほか。

おこんにちは、NAOです。

今年もやってきました、3月11日。
2024年3月11日は、東日本大震災から13年が経ったことになります。
そして2024年は1月1日、信じられないことに1年の始まり元旦に、能登半島で大きな地震がありました。
今も大変な避難生活を送られている方々がいる中迎える3月11日は、13年のなかでもまた違った思いが蘇ってきたりしたのでそのあたりのことを書き残そうかと思います。

前置きとして…ですが、こういうときに海外にいるとなんとももどかしい複雑な気持ちになります。
得られる情報もできることも限られていたり、そしてあたしの場合どうしても東日本大震災の記憶が思い起こされて、このあと詳しく書きますがちょっと冷静でいられなくなってしまいます。
そのため個人的な感情が含まれている文章であることをご容赦いただけますと幸いです。
できる限りのことを考えて書くのはもちろんなのですが、至らない部分があったら申し訳ありません。

Twitterの記録と記憶

あたしがTwitterをはじめたのは、東日本大震災の直前である2011年1月の初めでした。
毎年Twitterから「登録した日を覚えていますか?」という通知が来ては、あぁ、東日本大震災からもう◯年経ったのかと思わされます。
去年のいつだったかに、ふと当時のつぶやきって履歴としてまだ残っていて見れるのかな?と思って自分のアカウントに検索をかけてみました。

2枚目の画像のほうが先に検索をかけたものなのですが、普段あんまり検索使ったことなかったので多分含まれていたであろう「無事」という単語で出てきた履歴になります。テキトーだったけど一応ちゃんと出てきた!
そのあとTwitter検索の方法をちゃんと検索して(笑)検索をかけたのが1枚目の画像です。3月11日の2日前にあった地震のあたりからとおもって、2011年3月9日のツイートから日付指定で検索しました。

なんとなく覚えはあったものの、やっぱり大竹さんのこと言ってますね(笑)。やっぱり前日だったよね。
松屋はね、この頃仕事終わりのほぼ深夜に松屋の定食をもりもり食べるのにハマっててね…若かったね!
3月11日当日のおなかいたいは午前中というか出勤前のつぶやき。去年のnoteに書いたかどうかおぼろげですが、これ生理痛でして…断水のためトイレやお風呂が使えずしんどかったです。

この頃はまだガラケーだったので、どうやってつぶやいていたのかあんまり覚えていませんが、フォロワーも知り合いくらいしかいなかったけど、ブログより手軽に書き込めて意外と使いやすいと思っていた気がします。
そして3月11日以降は混乱する仙台近辺の情報を入手できる貴重なツールとして重宝します。
どこで携帯が充電できるか、どこのスーパーや銭湯が営業しているかなどなど、テレビでは入手できない細かな情報を得ることができました。
スマホは確かiPhone3くらいで普及しておらず、まだそんなにTwitterユーザーも多くなかった気がしたけど、結構いろんな情報が流れてきた記憶があります。

その後、「停電した!」とつぶやいたら同じマンションのおねえさんとTwitterで知り合いになり飲みに行ったことがあったり、
block.fmのタイムラインに投稿するのにTwitterアカウントが大活躍し音楽仲間とたくさんつながることができたり、Twitterにはめちゃくちゃお世話になります。
最近はInstagramのほうがよく投稿してますが、やっぱりTwitterもだいたい毎日ながめてはいます(流し読みばっかりですみません)。
本当にどうでもいい話ですが、あたしはいまだにTwitterアプリをアップデートしていないので、XではなくTwitterのままなのです(笑)。あの青い鳥のアイコンが好きっていう、それだけの理由です〜!!

地震のニュース

以前の3月11日のnoteにも書きましたが、あたしは緊急地震速報の音が苦手です。
携帯のビービービーっていう音も、テレビのピロンピロンって音もどちらもとても怖くて苦手。
必要なものだし怖いという認識はあったほうがいいのだけど、心臓がバクバクしてしまって…

そんな動転している中、あたしはテレビをつけてその情報をずっと見てしまうんです。
地震の詳細や必要な情報を得たらずっと見ている必要はないのに、なぜかずーっと見てしまうんです。
昔は号泣しながらずっと見てました。東日本大震災の前はそんなことはなかったはずですが、初めて一人暮らしをしてすぐにあった実家方面の強い地震の時は、大号泣しながらニュースを見ていた記憶があるのでその気はあったのかも。
そして号泣しながらそのことをTwitterにつぶやいて、それを職場の上司に見られてました、、、恥ずかしい。けどTwitterに吐き出さないと息ができなくなるくらいつらくてつらくて。

家族や友達が住んでるところで起こった災害なら感情的になるのもしかたないのですが、全然縁もゆかりもない場所でも同じなんです。
一人暮らしじゃなくなってからは号泣まではしなくなくなりましたが、ニュースをずっと見てしまうのは気づくとやってしまう。
あたしがニュースを見続けたところで誰が救われるわけでもないのに。
今はこどもも一緒にいるので、災害のショッキングな映像を見せてしまうことに問題もあります。
そう思ってテレビを消しても、スマホでずっと検索してる。

ハッキリ言って、なんでそうなってしまったのかわからないんです。
見ているともちろん悲しい不安な気持ちになるのですが、本当に大変なのは被災された方々で、あたしが必要以上につらがるのは違うと思っています。
頭ではわかっているのですが…。
言葉ではうまく説明できないけど、東日本大震災の影響がまだあたしの中に残っているのかもしれません。
能登半島地震に関しても、本当は心配で心配でSNSにこぼしてしまいそうだったのを必死にこらえた結果、無反応な感じになってしまいそれも違う気がする…
うまく距離をとりたいけど、そんな一大事のときにうまくやる余裕なんてあるのか?
今のところどうしたらいいかまだわかりません。
でも、被害がこれ以上大きくならないよう、早く安心して休めるよう心から祈っています。
意味のわからない話になってすみません。
早く自分にできることを見つけなければです。

伝えたかったこと

学生時代は新潟に住んでいたので、今回の能登半島地震では近隣の日本海側地域に何人も友人がいてとても心配になりました。
幸い数日で連絡がとれ皆無事でした。
そんななかで、一方的にではありますがあたしが友達に送ったメッセージから、昔の自分を思い出して伝えたかったことをこちらにも残しておきます。


しばらく落ち着かないと思うけど、
絶対日常は戻ってくるからね。
その時ちょっと「まだ大変な地域もあるのに…」とか当時あたしはもやもやしてしまったりしたけど、
あなたが安心して日常を送れるのが1番だからね。

大きな災害が起こると、被害の大小や距離感関係なくみんないろいろ考えてしまうことがあると思います。
自分でもこの複雑な気持ちを言葉で表すのはとても難しくて上手く伝えられないのですが、
あたしも本当に無力で自分の小ささを思い知らされて、ひとつ前の話のようにただ悲しむことしかできなくなってしまいます。
でも、そんな状態では何かしたくてもなかなか動けない。
自分が無事だったことに感謝して、また立ち上がれるように日常を取り戻すことはとても大事だと、東日本大震災を振り返ってみて強く感じました。
自分のことはなにより大切にしてほしい。
なんかちょっとまだ表現が足りない感じなので、引き続きうまくお伝えできるように考えます。


いつに増してまとまらない文章だらけになってしまいすみません。
能登半島地震のこともあって、13年も経つのにまだあたしのなかで東日本大震災に対しても冷静に振り返ることすらできてないんだなと気づきました。
去年の震災当日ふりかえりnoteなんて、今なら冷静に思い返せるのでは?と思って書き出してみたのに、
結果今回のnoteのように、中身は何にもまとまってなくていまだにぐちゃぐちゃのまんまでした。
あたしのように無事だった人でもぐちゃぐちゃになるくらい、震災というのはやっぱりショッキングな出来事です。
なんの支えにもならないかもしれませんが、こんな人もいるんだと知ってもらうことで、
悲しんだり悩んだり迷ったりしてしまうものなのだ、と少し肩の力が緩めばなぁと思います。
あたしでよければ話聞きますからね。溜め込まないでくださいね。

安全に安心して過ごせるような、穏やかな春が早くやってきますように。