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キセキのような


神さまやご先祖さまは
直接的に望みを叶えてくれるわけではないけれど、必要なご縁を運んできてくれる

 
あの時のあの人とのご縁がなければ
今のわたしはいないだろう

 
相手にとっても同じことが言える
惹き合ってつながってご縁が結ばれることは
本当に尊いものだ

 

それが例え
今は関わりが無くなってしまったとしても
一つ一つがあったからこそ
この出逢いがあったのだと思うと
勝手に感謝に湧いてくるもの🥹
 
 
 
そんな風に思えるようになったのは
本当にたいせつな人に出逢えたからだと思う。
 

 
それも、いろんなご縁が重なり
それぞれの経験、ご縁がなければ
決して結ばれることのなかった出逢い。
 
 
 
複雑な心境になったこともあった
どうして今なんだろうって思ったことも。


だけど、そうじゃきゃ
交われなかったんだ


本当にそう思う
 
 
 
わたしがそこまでのわたしになっていなくちゃ
受け入れられなかった事態
 
 
想うだけで愛おしく想える存在。
 
 
 
悲しくて涙したり
落ち込んだり
思い通りにいかないことの方がいっぱいで
 
 
だけど、出逢えたから
ここまでの自分になれたのは
ここまで連れてきてあげられたのは
間違いなくこの出逢いのおかげで
原動力だから。


だから、この関係がどうにもこうにも
ならなくても
いつか離れなきゃいけないご縁かもしれなくても
無駄だったとは思えないし
それでもやっぱり出逢えてよかったと想うんだろう

 
人生の中で
こんな風に感じられるご縁に惹き合わせてもらえたこと自体が奇跡だ。
 
 
ひとりの人との出会い
 

あの時の、直感に従って声を掛けたこと
 
 
 
シャッター下ろしたままにしなかったこと
 
 
 
恋愛、パートナーに限らず
友人、仲間、同志
 
 
どれも、自分の感覚を信じたものからだったと想う。
 
何度避けても、やってきたご縁もあるけど。笑
 
それは、人生が変わるほどのご縁だったから
細胞が恐怖に慄いていたのだとは思う。
それも含めてだ。
 

 
キセキのような連続。
 
 

かけがえのない、存在が居てくれてる
それだけで、ひとりであることを
心強くしてくれる。


大丈夫だ
わたしは。


何があっても
大丈夫なんだ。

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