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『愛がなんだ』

 この作品を観るのが怖かった。読むのも怖かった。心身のヘルシーさをふるいにかけられているようで。どちらが幾分マシだろうかと考えて、書籍の方に手を伸ばした。映画は未だ、観ていない。この作品は、不幸な恋の行く末でも、報われない片思いの話でも、自己肯定感が低い女の子の話でもない。他者の中に自分の輪郭を見つけようとする、自分の感情にラベリングをしようとする、不器用で愛くるしい大人たちの話だと、私は思う。

マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに。角田光代『愛がなんだ』より引用

 主人公は、優先事項の最上位に恋愛を据えるテルちゃん。マモちゃんと出会ってから、仕事や日々の生活が自動的に「どうでもいい」に全振りされてしまった女の子だ。会社の電話は取らないけれど、好きな人からの電話にはすぐに出る。彼に呼び出されれば、平日の勤務時間中だろうが残業中だろうが、自分が高熱を出していようが駆けつける。しまいにはクビになって、好きな人に呼び出されても駆けつけられる距離と職種の仕事へ転職をする。どこまでも理解し難く、どこまでも人間くさくて、可愛い主人公なのだ。

「テルちゃんってさあ、風邪ひいたり失業したり、もっと大げさに言えば、火事にあったり泥棒に入られたりしてもきっと動じないけれど、色恋沙汰だと腕に蝿がとまったくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐんだよね」「もし今大地震があってこのアパート崩壊しても、テルちゃんは平気なんだろうなあ。恋するホームレス」角田光代『愛がなんだ』より引用

 
 まさに恋するホームレス。生活のインフラが整っていなかろうが、好きな人がいれば生きていけてしまう。そんな彼女は友達が少ないと自負しているけれど、女性として生きていたらぶつかる壁にはしっかりとぶち当たる。クリスマスに街を歩けば、とりあえずみんな平等にしあわせそうに見えるし、周りの女友達には「自分が優位に立てる恋愛をしなよ」とか「どうして女の価値を下げるわけ?」と、とてもご立派で綺麗な正論を説かれる。

「私なんかを相手に優越感を覚えたってしかたないじゃないか。...この人が私に近づくのも、マモちゃんとの間に私を介在させようとするのも、結局、自分というものの輪郭を自覚したいからなんじゃないか。」角田光代『愛がなんだ』より引用

 へんだ。珍妙で、不健康だ。ゆがんでいて、まちがっている。本人がそう自覚しながらも、彼女のマモちゃんを好きな気持ちははずっしりとして揺れない。マモちゃんの好きな人をマモちゃんに紹介されても。マモちゃんの想い人のために、ホワイトデーのチョコを買いに行かされても。

 恋の賞味期限がとっくに切れていることに気づきつつも、彼女はラベルを探し続ける。この感情を一体なんと呼べばいいんだ。

 ナカハラくんはおそらく、交際もできないのに葉子を好きでいること、好きでいて、あれこれと彼女の欲求を満たしてやることに疲れたのでは、けっしてないだろうと思った。たぶん、自分自身に怖じ気ついたんだろう。自分のなかの、彼女を好きだと思う気持ち、何かしてあげたいと言う願望、いっしょにいたいという執着、そのすべてに果てがないことに気づいて、こわくなったんだろう。角田光代『愛がなんだ』より引用


 *

 マモちゃんの平穏を祈りながら、しかしずっとそばにはりついていたいのだ。...だったらどこにもサンプルのない関係を私がつくっていくしかない。角田光代『愛がなんだ』より引用

 恋と呼ぶには時があまりにも経ちすぎた。愛と呼ぶには、見返りを求めすぎている。まるっと全てを執着として括ることは、プライドが認めない。この感情は、他の誰でもない私のもので、それを便宜上、愛だの恋だのラベルをつけて、他人と比べて安心するような生活はもうしない。その壮大な覚悟が、「どこにもサンプルのない関係を私がつくっていくしかない」の一文には込められているように思う。

    「本当に貴女を愛していたら」とか「恋と本当の愛の違いは」とか、世の中には分かりやすい言葉が転がっている。合理的で、明快で、分かりやすい。とるに足りない誰かが優越感に浸るためだけの定義なんて要らないし、たとえば書籍や占いにお金を払ってまで、真実の愛なんて確かめたくない。少なくとも私はそう思う。

  何かを嫌とか醜いとか、好きとか愛おしいとか、そう思う全ては感性で、その感性は誰にも奪えないものだと思う。

  そして、そんな感性の全てを、果てのない自分の欲望を自覚させられるほどの非合理な恋に振り切ることができる主人公はたぶん、何よりも自由で、愛くるしい。


  心が震える一冊に出逢ってしまったと思う、新時代の夜です。職場の上司たちと飲みに行きます。

  



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絵茉

本とカプチーノが好きです。

ハーフペニー・ブリッジにて

読了本の好きな台詞、本との出会い、忘れたくないことについて書きます。
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コメント1件

意味わからんくらい好きな文章です。。素敵な話聞かせて下さってありがとうございます(;;)!!!
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