見出し画像

クロウリー×アジラフェル二次小説。

珈琲と甘いクリームが混ざり合った、不思議な匂いがする。いや、実際には、自分が眠りの世界の中で、そう思い込んでいるだけ。

「エインジョ〜オ!」

人間はレム睡眠の中で「あ、これは夢だな」と、自己認識することがたまにある。

睡眠薬を飲んで眠るとほとんど夢は見ずに熟睡するか、もしくは目を覚ました瞬間には記憶から消去されてしまっている。
でも今日のこれは、「あ、これは夢だな」と、冷静にアジラフェルは
判断した。

「エインジョ〜!」

魚眼レンズで撮影した映画のように歪んだ視点の中で、アジラフェルに遠くから声をかけてくる人物がいる。

漆黒のクラシカルスーツに、シルクハット。霧が巻き上がっていて確認できないが、おそらく足元も黒い高級牛皮靴に違いない。自分は彼を知っている。昨日知り合ったばかりの、優しい人だ。

「とっても似合っているけど、そんな姿でどうしたの、クロウリー?」
「ああ、エインジョ〜! 会いたかったぜ! ずっとお前を探していたんだ!」

横浜のガンダムエリアにて出会った、背が高くてスレンダーなスコットランド出身のハンサム。あまりの混雑に欲しい物を買えず困り果てていたアジラフェルに、躊躇なく救いの手を差し伸べてくれた。

「悪魔のクロウリー? そんなに長く私を探してくれていたのかい?」
「そうだぜ、アジラフェル! お前はいつの間にか英国からいなくなっちまってたし。まさかトーキョーに来てるなんて! キョウトで暮らしていたんじゃないのか?」

初対面なのに、自分の育った環境について何故この悪魔が知っているのか。
良いんだ、だってこれは夢だから。

黒い霧が立ち込める高い針葉樹に囲まれた森の中を、死せる人々の影が時々すれ違っていく。これから黄泉の道を辿る魂なのだろう。

「怖いなら俺と手を繋ごう、エインジョ〜」
「その呼び方、面白いね」
「お前が俺のことを、エディンバラ育ちだってすぐ見抜いただろ?元々、アッチの訛りが強いんだよ。聞きづらいか?」

そっと、ガラスの風鈴に触れるかのように長く筋張った、関節の美しい手が
アジラフェルのふくよかなそれを握ってくる。きっと、彼が弾くピアノは広い音域を表現できるに違いない。

「天使のお前は昔っから、なんでか寿司が好きだった。ジローなラーメンを食いたいってずっと話してたもんなあ」
「あれはさすがに食べきれないよ。普通に池袋や新大久保の豚骨の方が、私は好きかも」

手を繋いだまま、二人は楽しく語らいつつ道を進む。

「クロウリー、私達はどこに向かっているの?」
「お前の行きたい場所さ。そこに着けば、お前の新しい旅が始まる」
「ずっとこのまま、二人でいるだけじゃダメなのかい?」

ピタリ、と長い脚が歩みを止める。

「ああ、エインジョ〜。俺だってそうしたい。でもお前にはもっと明るくて
空気の澄んだ未来が似合ってる。ここで足止めしているのは良くない」

シルクハットを被った黄色の瞳は、蛇のように細く不思議な光彩をして、
優しくも寂しそうにアジラフェルを見つめている。

「……、っ!」

奇妙な夢から突然放り出されると、そこはいつもの寝室。

「……アレクサ、今は何時?」
『午前六時になります、Have a nice day!』

2LDKの下目黒にあるマンション、遮光カーテンから漏れた薄青の光がフローリングを柔らかく反射させている。

夜型生活で仕事を長く続けてきたアジラフェルには、珍しい神奈月の朝焼けだ。アジア特有の熱帯夜がやっと終わり、秋花粉が混ざる乾燥した風が吹くのと比例し、日の出もすっかり遅くなった。

イワシ雲に映る美しい陽光がピンクからブルーグラデーションを経て星の瞬くディープブルーに変化し、バニラ色の月が浮かぶ時間帯が、この二週間でかなり繰り上がったと体感する。

都内の街にはハロウィンの商品や来年のカレンダー、クリスマスケーキとお節料理の予約ポスターが貼られ、「そうか、今年からは私の分だけになるんだ」とネット通販ページを、まだ実感が湧かない不思議な気持ちのまま、感慨深く眺める日々だ。

アジラフェル・マイトレーヤは今年28歳になったイギリス人。
先祖を辿ると英国王室の直系に連なる公爵家の末裔で、実際に祖父母はいまだに、ウェールズはレクサムに建てられた小城に住んでいる。

プラチナブロンドの巻き毛に、秋空を思わせる淡やかなペールブルーの瞳。そしてふくよかな丸顔に彫りの深い顔立ちは、王家から嫁いできたご先祖に瓜二つと聞いている。

マイトレーヤ財団の現CEOで、多くのビジネスに携わるアジラフェルの父親には
数人の愛妾とその子供達がいるのだが、正嫡出子として法的に後継者とされているのはアジラフェル一人だ。

両親は親同士の金勘定を理由に、政略同然で結婚させられた仲。裕福な家庭で姫君のように育てられた母は外の世界を全く知らず、また愛情のない婚姻で生まれた一人娘にもほぼ無関心。

アジラフェルは学校には行かせてもらえずに、幼い頃から家庭教師や乳母、セラピストに育てられた。「女に学歴をつけると、碌なことにならない」という父の持論からだ。

だがその父親に東京支店での仕事が決まると、アジラフェルの鬱屈していた
人生に、一筋の光が差し込むことになる。

両親兄弟と距離を置き、京都にて染め物や織物のブランドを立ち上げ成功した
父の妹、つまりは叔母がアジラフェルを養女にしたいと申し出た。
ほとんど会ったこともない親戚の女性が、ある日弁護士と共に父の不動産である恵比寿の高層マンションを訪れ、「ねぇ、ジラ。私と京都で暮らさない?絵や歴史文化が大好きな貴方には、とても素晴らしい環境だと思うの」
と、現れたのはアジラフェルが18歳の春だ。

当然、父は大反対で彼女と衝突したが、祖父からの莫大な遺産を相続している
叔母には碌な反論ができず、また祖父母が彼女の意見を強く推した為に、アジラフェルは生まれて初めて、外の世界へ飛び立てる事になった。
籍はマイトレーヤ公爵家にあるままだが、実質的な彼女の親権は叔母のものになっている。

産みの母は我関せずといった反応でロンドンを離れコーンウォールの実家へ戻り十年。

彼女からの連絡は、一人娘のアジラフェルには一通も無い。

幼い頃から我流で水彩や油彩画を描き、両親には内緒で日本のマンガやアニメの
作品を片っ端から漁っていたアジラフェルは、芸術系ブロガーとしては既にそこそこのフォロワーを持ち、ネットで多くのクリエイターらとも交流を重ねていた。

しかしながら、マンガ専攻学科のある京都の大学に進学する夢が叶うなどと、
実際に通学を始めた当時は、なかなか現実感が身に湧かなかったものだ。

「現実に、自分のの気持ちが追いついた時点で、それは真実のリアルになるんだ」

人間は生きている年月の中で、驚くべき嵐の目の中に突然、自分の意思とは無関係に飛び込んでしまう瞬間が確かにある。

京都で大学生活を送り多くの友人に支えられて、彼ら彼女達の勧めで初めて自作のネットアニメをYouTubeにて配信した直後、その作品の壮絶なるクオリティの高さに故に、アジラフェルは一気に「時の人」となった。

実家と早く縁切りしたかった理由もあり、本名は名乗らなかった。顔出しや語りを全くしない謎の天才インフルエンサーとして世界に認知されたし、予想もしなかった多額の収入が口座に流れるが如く入ってくる。

伏見稲荷大社に背景画を描く為に行くついで、しばらく放置していた通帳記入をすべく深草駅のATMにそれを差し込めば、まるでコピーマシンと化したキャッシュボックスから一時間出られなくなってしまい、後に並んでいた人々に「あなた、大丈夫?」と心配されたほどだ。

京都での生活は、まさにアジラフェルの青春そのものだった。

憧れていた日本史の歴史がまさに凝縮された街並み、美しく凛とした寺院や
公家と武士文化両方が混ざり合った史跡にも、多々触れられる毎日。

何より水と和菓子の美味しさには、「もう英国には戻れない」と決意させる
奥深さと愛着が溢れて、自分はてっきりこの古都で生涯を終えるものだと信じ切って生きていた。

ひたすら好きなアニメを描き、大手編集部経由で本を出版し、時々オンラインサイン会が開催される。
関西だけでなく日本国内のあらゆる歴史街を泊まり歩く気儘な独身生活を満喫しつつ、自分の性格からして恋愛や結婚など全く関心が持てなかった二十代後半のある日。

「アタシ、結婚することになった」

還暦を迎えた叔母が、突然の長きシングル生活に終わりを告げる宣言を挙げた。

「おめでとう……、その、心から嬉しいし祝福したいと思うけど、今まで一回も
どんな人とお付き合いしても結婚までは実現しなかったのに。私はてっきり、叔母さんは独身主義なんだと思ってたよ」
「そうなのよねえ〜、自分でもビックリよ。しかも相手はメキシコ系アメリカ人なの。一年のうち半分は、キューバの海の上で鮫の研究をしてる男でさ。それでね、まあこうなった以上は、ジラとゆっくり話し合わなくちゃって」

25歳までアジラフェルが住んでいた一軒家は、春日大社を真ん前に拝む古民家。
叔母が来日した際に一目惚れをし、現金一括で購入した日本家屋だ。

二階建ての築七十年という木造の家にはかなりの年季が入っていて。自治体から「リニューアル耐震工事をしませんか」と、たびたびお伺いの訪問を受けていた程に、危機感が溢れている。

実際に台風が通過した際の雨漏りや、「今夜、私達は生き延びられるのか」と
命の危機を察した体験も数回あったくらいだ。

「まあ、正直いうとここで大切な姪っ子を一人にしておきたくないわけ。
アタシの勝手な都合なんだし、京都駅かもしくは大阪寄りの静かな住宅街に、
貴方一人か、将来的に二人くらいは暮らせるマンションでも買おうかとも考えたのね」
「嫌だな、私はもう大人だよ。叔母さんには感謝しきれない恩があるんだし、
これからは、私を気にせずに新しい家族を作って欲しいな」

寂しい気持ちと嬉しさを半分ずつ素直に伝えると、叔母は自分より頭一つ分大きくなった姪っ子を抱きしめる。

「何かあったら、いつでもすぐに連絡すんのよ? アタシに旦那ができるってのは、貴方にも父親ができるってことなんだからね?」

京都駅内の高級レストランで顔合わせをした、新しく叔父になる男性は叔母と
同じ六十歳で、南の国の生まれらしい浅黒い肌と真っ黒な瞳に、逞しい二メートル近い長身の明るい人物だった。

「ずっと話は聞いていたよ。これからよろしくね」
 
父親以外の男性とまともに触れ合った経験がなくかなり緊張していたのだが、
彼も察しているらしく握手は軽く、でも暖かく両手で包み込まれる抱擁だ。

叔母夫婦が正式に挙式を上げるまでの三ヶ月、アジラフェルは未だかつてなく
自分の生き方を具体的かつ迅速に、経済的数値を含めて試行錯誤する状況に陥った。

思春期を過ごした京都の街は心から愛している。本心では離れたくはない。でも最近は編集部との打ち合わせやコミックイベント、アニメフェスタでも東京に出張続きだ。

特にアニメ製作会社や出版社のほとんどは都内にあり、引越しをすれば何かしら問題が発覚した時や、リテーク修正の際にはリモートではなく直接スタッフと話し合える……。

アジラフェルは本名を隠し創作で衣食住を賄っているが、製作会社も出版社も誰も彼女の家の名前や顔や身分を晒そうなどという人間はまずいない。

「そうだよね……。この数年は東京で過ごして、またその後は京都に戻ったって
良いんだ……。取り敢えずはシンプルに考えよう。私は一生独り身なんだし」

そうだ、万が一のことがあって、私が死んでしまったとしても。
何も困ることなんかない。私はずっとこれからも、一人なんだから。

女性の一人暮らしとしては、ゆったりと広がるシャワー付きの洗面台で顔を洗い、コットンタオルに水分を吸わせていて、思い出した。

「悪魔のクロウリー……、夢の中で、私に何か言いたかったのかな?」

10月もそろそろ終わりを迎える。急がないと秋薔薇のシーズンが終わってしまうので、今日は久しぶりに日中、都内でも有名な薔薇園に写真撮影をしにいかなければ。

「出先でブランチを食べて……、帰りに画材を買って……、雨は、今日は大丈夫かな」

リビングに進むと、まだ手のつけていないガンプラの箱が置いてある。横浜で親切な男性に、初対面であるにも関わらずプレゼントされた物だ。

「あの人に、写真を送らなきゃ。お礼も改めてしたいし」

ウォークインクローゼットから、ライムグリーンの長袖ワンピースを取り外して、愛用のキャスキッドソン製リュックにスマホとタブレット、ミニタオル。財布に歯磨きセット、常備薬を確認する。化粧をしないアジラフェルは短時間で出発することができる。

「行ってきます」

重いオートロックの扉が音もなく閉まって、主人のいない部屋にはオレンジ色の太陽が差し込み、広がっていた。

「アジラフェルの朝」終わり。




いつも「スキ」して下さる方々、ありがとうございます! そしてご新規さんや偶然立ち寄られたそちらのあなたも、是非にコメントやフォローよろしくお願い致します!



この記事が参加している募集

私の作品紹介

マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。