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掌から世界へ

iPhoneをポチポチして文章を書き、なんとなく読み返したあと、えいっ、と投稿ボタンを押す。それだけで、たった今僕の掌の上で書いた文章が、全世界に向けて羽ばたく。

毎日同じようなことをやってるとだんだん感覚が麻痺してくるけれど、よく考えたらすごいことだ。だって全世界に公開されるんだよ? このnoteに限らず、ブログだってTwitterだって同じだけども。

Twitterに投稿するのに慣れていなかった頃を思い返してみると、何か文章を書いてシェアするときには少しばかりの緊張感があったはずだ。

それが今となってはどうだろう。

投稿ボタンを押すときに、こんなツイートしていいかなとか、こんなこと言ったら何と思われるかなとか、一歩立ち止まって考えることが少なくなってしまった。

ただ、この表現でちゃんと伝わるかな、ということは(一応)考えることにしている。あくまでも読み手がいることが大前提だから。

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こんな風に、最近は「掌の上の小さなデバイス」で世界に発信することができるようになった。お手軽なのはとてもいいんだけど、それが逆に仇となることもあり得るわけで。

僕は炎上したことはないけど、このご時世になってもまだ変な動画を投稿して問題になってる人たちがいるらしい。

仲間内で面白がって投稿したんだろうけど、それが全世界に向けて発信されているという視点が、まるですっぽり抜け落ちてしまっているみたいだ。

感覚が麻痺してるどころか、最初から意識したことないのかな?と思えてくるほど。もしかして小さい頃からインターネットがあった時代に生きてる新人類は、そんな意識がもともと備わっていないとか?

でも、意識のありなしに関わらず、全世界に向けて発信しているという事実は変わらない。これだけは、いくらインターネットが進歩しても忘れちゃいけない視点なのだと思う。

自分の将来を守り、無闇に人を傷つけないこと。日常生活では当たり前なのに、掌の上で完結する手軽さの下では、ある種のリミッターが必要になる。

そのリミッターは意識しておかないとすぐに解除されてしまうから、外さないように心がけよう。これまでも外したことはないけど、何度も自分にそう言い聞かせておこうかな。

そんなことを思った午前1時。

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さて、たぶん変なことは書いてないはずだから、投稿ボタンを押そう。えいっ。

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