見出し画像

「変化」ほど「不変」的なものはない - 変化は起こすものではなく選択するもの

普段メディテーション用に愛用しているアプリCalm (https://app.www.calm.com/meditate )はメディテーションが終わると一日ひとつ名言をご褒美してくれるんだけど、今日の言葉は格別響いた。 

There is nothing so stable as change - Bob Dylan
「変化」ほど「不変」的なものはない - ボブ ディラン

コロナ禍で世界が思い出させられたのは、どんなに用意周到に生きていてもそれを崩すような変化が常に起こりうるということだ。というか、変化は至るところで大なり小なり常に起きている。それを変化を取るか、それが大きい変化なのか小さい変化なのかの判断は、本来、各自が自分の中に設定した「普通」と比べてどれぐらいかけ離れているかというだけの話だ。

よく、「変化を起こす」という言い方をするが、それは人間の意志は状況をコントロールできるという発想の裏返しだ。自分の意志で制御できていると感じるものを我々は「普通」というカテゴリーで捉えている。そして、我々は「普通」じゃないものや状況に恐れを抱くものだ。だから、自分の見える世界を「普通」だけで埋め尽くしたがる。いや、自分の視界を「普通」という範囲に限定するといったほうがいいかもしれない。

僕は、子供の頃から親の都合で引っ越しも多かったこともあり、本当は誰にでもあるはずの「他人と異質に感じる部分」に意識をよりとられながら生きてきたせいで、逆に「普通」であることに対する執着も強かった。大学も卒業して、会社勤めするという王道ルートで30代後半までやってきた。できれば、い心地のいい同じ場所にずっと住み、同じ会社で働きあげ、なんとなく予想がつくような安心感のある将来をもっておきたかった。しかし、現実には自分の働くモチベーションも変わっていくし、上司も変わっていくし、経済も変わっていくし、会社の方針も変わっていく。転勤だってある。会社員人生という一見安定した生き方の中にも変化は至るところにあった。

会社勤めをやめて音楽の道に進んでからは、当然「安定」を感じる瞬間は数時間持てばいい方だ。でも、音楽の道のほうが本当に変化が多いのか。最初はそう思ったのだが、今はそうじゃないと確信している。変化はどんな生き方にも同じように存在しているのだ。そして、音楽という未知の道に進んだことで会社員時代までの「普通」という基準が崩れたから、「変化」をフラットにとらえ、受け入れるようになっただけの違いなのだ。

木ではなく森を見れば、人間がどうあがこうと世界は変わり続けていると気づく。「普通」なのは「変化」の方で、「普通」は自分がその瞬間に把握できているというだけの「変化」する世界観でしかないのだと思う。そして、変化は起こすものなのではなく、すでに起きている変化を意識して受け入れ、自分の存在の中に取り込むこと。選択することだと思う。そうすると、自分を主役として展開される新しいストーリーが展開される。それが結果的に世に言う「変化」のための行動になっているのだと思う。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?