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「何者かになりたい」という使い古されたフレーズが、よく当てはまる私。

よく、「何者かになりたくて◯◯を始めました」という自己紹介やエッセイを目にする。

もちろん、私も何者かになりたかったひとりだ。

何者かになりたいというのは、自分のことをよく知りませんと言っているのと一緒ではないかと時々思う。

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「何者かになりたい」という欲求の根源は、人それぞれかもしれないけれど、その影響下にはSNSがあると思う。

SNS上には色んな人がいて、遠くの人も身近に感じる良さもあれば、見たくもないものを目にすることもある。得たい情報が簡単に手に入る分、知りたくないものを知る。そうした良し悪しも、なんだか魅力的なのだ。

SNSにおいて、フォロワーが1つのポイントだ。

フォロワーは、その人の戦闘力を表していると思う。その数が多ければ多いほど発言力も大きいし、目にする機会も多い。著名人とはまた違った有名人が多い。

一般の人ですら、発言するひとことが注目される時代なのだ。

同じことを呟いているのに、フォロワーの数によって共感されない。認められない。という現実を目の当たりにすると、心がすり減っていくような感覚になる。

別に、呟くひとことひとことに共感されたいわけじゃないし、認められたいと思っているわけじゃない。

ただ、「同じことを思って、そして考えている」のに、誰とも繋がれない自分自身に対する虚しさが、生き苦しさとなって、押し寄せてくるのだ。

間違いなく、私はSNSに毒されている。

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だから、何者かになりたがる。

誰かに気づいてもらいたくて。何か磨けば光るのではないかと信じて。何者になりたいのか、自分では全くわからないのに、何者かになりたくて仕方がない。

絵を描く、写真を撮る、文章を書くことは、自分を表現する方法の1つにしか過ぎない。

作品を通して、私を見つけて欲しい。見てほしい。価値をつけてほしい。そして、あわよくば賞賛されたい。認められたい…。

承認欲求は、自己肯定力が低ければ低いほど、高まるばかりだ。

そんな自分に呆れてしまうけれど、それが私だと向き合わなければ、きっとこれから先も、何者にもなれないのかもしれない。


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