見出し画像

画一的な教育で救われる層もいる

またらんまんの話なんですが。

正式に小学校が出来たら綾ちゃんが通うことを許されるようになった。
(※でもまだ通えない層は存在する)
ってのが「救われた層がいる以上この活動はこれでよいのだ」
ってなってるんだろうな感がすごいありましたね。

いろは今更やるのつまんないから植物図解写して自学する万太郎君。
そのふるまいを神童とは捉えない先生方。
(おそらく)「先生ならわかるだろう」とほかの子に配慮して英語で物申す万太郎君。
それを「バカにしてんのか」と一喝する先生。

浮きこぼれが落ちこぼれ扱いでガンスルーされる世界。
エジソンも確かそうだよな。

いや次女がそうだとはみじんも思わないんですけど
(どっちかいうと平均~できない寄りだとも思ってるけど、その「できない」の原因も特性上のものなんだよな)
「ここからここまでは学習時間です」という括りを与えてE-boardつないだパソコン与えたら
ふつうに学習をしている。科目によっては学年とのズレがあるけど。
それでいいじゃんと私は思う。11歳にして自学自習人間。

1分でも顔出したら出席になるとか、
市が認めた適応指導教室に通って活動をしたら出席とか、
「公的に与えられている範囲での活動でなければ認められません」を暗に言ってるだけなんよ。
救われた子は救われたけど、救われてない子のことはほったらかされてしまう。
100年変わってなくて笑っちゃうわね。

進学先にと目をつけている不登校特例校はちょっと遠くはあるんだけど、
やっぱりいいなあ…と請求したパンフレットを読みながら思うわたし。
もちろん本人の意思が一番大事なので、ここに行けと強制はしないんですが。

人を認める、人を排除しない、仲間をつくる。という目標のある学校。
人間は社会性の生き物なので、人とかかわらずに生きることは不可能ですしね。

そんな環境で自分なりの「ひととのかかわり方」を見つけてもらえればいいと思ってます。
そして次女にとってのそれはたぶん、公的義務教育の中にはない。
どれだけ配慮を求めても、十分なものは得られないから。

ところで全く話は変わるんですが、
長女が級長になったことを塾で報告したらしく。
その際に全員で喜んでくれて、なんなら
「媚び売ってこう!」
って言ってくれる先生方がわたしは大好きです。
(本人の志望校合格=塾の実績にもなるのでWin-Winなんでしょうが)
本人のモチベを上げてくださって、いつも本当にありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?