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文章例・2

小説・会話系テキスト

「……時間作るのは得意だったはずなんだけどさ。自分で思ってたより俺、ずっと不器用だったみたいだわ」
 薄い唇からぽろぽろとこぼれていく後悔を、静かに視線を向けることで受け止める。
「俺にね、キャパがなさすぎた。全力で向かい合えなくなっちゃったら、もうそんなの付き合ってるって言えないでしょ」
「嫌いになって別れたわけじゃないなら、まだ修復できんだろ」
「いやいや」
 薄い唇が小さくつぶやき、またワインがちびりと干された。
「もう泣かせたくねえもん。当面、きょうだいと暮らすみたいだし、気も紛れるだろうから。俺からはもう、なんも」
「……いいのかよ、ほんとに。それで」
「いーの。またどっかで会えたらいいねとは言ったけど、俺に余裕ができるまで待ってとは言えなかったわ。だってあいつ二十歳よ、まだ。何年かかるかわかんねえおじさんの覚悟なんて待ってるより、他にちゃんと全力で向かい合ってくれる人を探した方がいんだよ」
「それ、言ったの。そいつに」
「言ったら泣かれたわ」
「……お前はアホか?」
 ワインを一気に飲み干して、床置きのトレイにダン、と強めに置く。
「泣くわそんなの。泣くにきまっとるわアホか」
「泣くなって言ったら、それそのまんま言われたわ。てかお前さあなんで時々関西訛り出してくんの、東京人のくせに」
「話を逸らすなバカ」

自作小説より抜粋・微修正

「夏休みに旅行しようか。海外でも、日本でも。どこにでも連れて行ってあげよう」
――ウインクとともに告げられたその計画の真意を、わたしは予感していた。
「妊娠期間は俗に十月十日と言われているが、本当に十月十日必要なわけではない……ようでね」
「先生にしては歯切れが悪いね」
 国際線のシートに背中をあずけたまま、わたしの先生――二年前から、わたしのダンナ様でもある――は、コーヒーの入った紙カップを傾けた。
「いくら教職にあっても、専門外のことには疎いのさ。これは誰しもそうだとも」
「でもさぁ、え……っちなこと、は専門じゃないけど詳しいじゃない、これは違うの?」
 思わず声を落とすと、触れている肩がくつくつと揺れた。
「ひどいっ、なんで笑うの!?」
「イヤイヤ、我が妻はいつまでも初心で可愛らしいことだなあ、と」
 先生の手が、わたしの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「確かに生殖は性行動ありきのものだが、人間にとって性行動は快楽を得るためのものでもあり、必ずしも生殖に直結しない。よって、そのふたつの繋がりを非常に浅く捉えている者が多い。特に、男性にその傾向が強いと言っていいだろう」
 ふぅん、と頷きながら、オレンジジュースに添えられたストローをかすかに噛む。
「嘆かわしいことに、その点をまったく意識しない輩もいる。学生たちを見ているとね、実感するのさ……生殖行動において男の身体は何一つ傷まないのだから、やむなしとも言えるが」
「……先生は、どうだったの?」
「ノーコメント。だが今の僕がどう考えているかは、二年間君の誘惑に耐えきったことから想像できるだろう?」
「……うん」
 流し目の、柔らかな笑顔。赤くなった頬を、そっと押さえた。
 十九の冬に小さな式を挙げて、籍を入れたとき。必ず大学は卒業する、という約束をした。
 それから、二年と半年が過ぎた夏の終わり。わたしたちは、少し遅い新婚旅行という名目でこうして国際線に揺られている。
「話を戻そう。今日から十月十日――もとい三十八週後は、何月何日になる?」
「えっと……」
 機内モードのスマホを取り出して、電卓を呼び出す。一週間は七日、それが三十八回で二百六十六日、今日から二百六十六日後は……
「……ええぇ、っと……多分、五月、くらい?」
「そう。正確には、五月十七日。君の卒業式の、二か月後になる」
 カップに添えた手が、優しく包み込まれた。
「君は既にほぼすべての単位を取得し、残すは卒業論文の一コマのみ。今からでも就活をするというのであれば応援するが、君の望みはそこにはない。そして万が一、経過が芳しくなく入院するような事態が起こっても、僕が論文指導を請け負うことが出来る。卒業式への参加も、さほど難しいものではないだろう。君に似合うセレモニードレスを探すだけだ」
「……うん」
 胸がキュッとなって、身体がぽかぽかする。
「それならばもう、我慢する理由はどこにもないからね……というか、正直生殺しでキツかった! いやー、長く生きておくものだ、理性の勝利だとも」
 ハハハ、と破顔した先生の横顔には、結婚したその日よりも深いしわが刻まれている。
「……という訳で、この旅で君をママにする、と僕は決意したのさ。期間はたっぷり一週間、もちろん周期も織り込み済みだ」
 質問はあるかな、と重ねられる柔らかい声に、緩む口元をおさえてふるふると首を振る。
『先生がおじいちゃんになる前に、パパになってほしい』
――ずっと、ずっと先生に訴え続けてきたことが、ようやくかなう時が来たのだ。

自作小説より抜粋・微修正

「暇だよねえ」
「暇だねえ」
 かたんかたん、列車が揺れるのにあわせて、少しだけ肩が触れる。
 触れ合っても意識させなくて済むのは女の子同士の特権だな、と、僅かに伝わる体温を感じながら思う。
 女の子の特権は数多い。ケーキを半分ずつシェアしても、飲みかけのドリンクを回し飲みしても、誰も見咎めないしおかしいとも言われない。「おふたりはプライベートでも仲がいいんですね」って言われて、そうなんです、とにっこり笑うだけだ。
 用意している答えはたった一つ。
「芸能界ではじめて出来た友達だから、本当にゆうちゃんが大好きなんです♡」
――大好き。
 女の子同士だから、女の子相手だから、この言葉を簡単に使っても、誰も何も言わない。
 甘くて、けれどもそれ以上に苦い本音は、アイドルらしく飾った言葉に包み隠してしまえる。

 それでも自分自身だけは、どうしても騙せないけれど。

自作小説より抜粋・微修正

 所在なく唇のあたりで止まっていた舌が、全く予想外にぢゅうっと強く吸われる。
 反応する間もなく、また耳が塞がれる。ぐちゅぐちゅにかき混ぜられる。耐えられなくて目を閉じたら、視覚と聴覚を封じたせいで快楽がびっくりするほど増幅された。ああ、涼太のくせに生意気だ。まさかもしかして、キミ、ほんとうに私を罠にかけたの? まったく、なんて成長だろう。彼の背中に回した腕に、抗議と賞賛のふたつの意味で力を込める。
「……ッ、うぅ、は、ぁ……」
 膝が砕ける、なんて経験を、今までにしたことがなかった。させたことはあったけれど――いやもう、こんな気持ちなのか。甘くて甘くて、溶けそうだ。瞼をゆっくりと持ち上げる。至近距離で見上げる顔はぼやけているのに、纏っている空気はどこまでも優しい。
 じんじんと、頭の芯まで痺れてる。不規則な荒い呼吸で喉がからりと乾いていく。普段なら煩わしいとさえ思うことかもしれないそれらが、今はまるごと快楽に変換されていく。
 細い腕が耳元から腰に回り、今にも崩れそうな身体をしっかりと抱きとめられた。
「おっこちちゃうよ、倫子さん」
 くっついたままの唇が、微笑み交じりに囁く。
 まったく。もう落ちてるよなんて、悔しいから言ってやらないけれど。

自作小説より抜粋・微修正

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