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第12番: 華林山 慈恩寺 (慈恩寺観音)

鴻巣駅から約40分。途中大宮で東武鉄道に乗り換えて豊春駅に到着しました。

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ここから慈恩寺まで2キロ弱。やはり走って移動します。

旧道っぽい、やや狭めの道を走っていくと、慈恩寺の本堂の大きな屋根が見えてきます。

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本堂は、1843年に再建されたもの。境内はそれほど広くありません。

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824年に慈覚大師が日光の山の上から、すももの種を投げたら、この地にその種が落ちて、一夜の間にすももの木が生い茂り、花が咲いて実ったので、ここを華林山と名付けて、寺を開いたということです。

最盛期には、本坊42、新坊24があったということから、かなりの大きなお寺であったことは間違いありません。今は農地になっている寺の周囲の広大な敷地も昔はお寺の領地だったのでしょう。地名も「慈恩寺」となっていることから、その影響力は大きかったはずです。それが今はこじんまりとしたお寺になっていることを思うと、なんとなく寂しくなってきます。

埼玉の4つのお寺は、いずれもそんな感じですね。寺勢が衰えたきっかけは廃仏運動とかなのでしょうかね。もったいない限りです。

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1589年作の鉄灯籠。

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境内の小屋には、馬もいます(笑)。何に使うのだろう?

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ここにも象が! 当時、象は流行ってたんでしょうかね。

さて、慈恩寺にはもう一つ見所があります。ここから約1キロほど歩いたところに、玄奘(三蔵法師)の霊骨が分骨されているという十三重石塔があります。これも慈恩寺の一部ということからしても、如何にこの寺が昔は広大な敷地を持っていたかが分かります。

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ゴダイゴの「ガンダーラ」が聞こえてくるようです。

石造の横に、玄奘がどのルートを通ってインドに行き、戻ってきたかの地図がありました。電気も車も何もない時代に、あれほどの行程を踏破し、たくさんの経典を中国に持ち帰ってきたというのは驚愕します。

般若心経を翻訳したのも玄奘ということです。この人のおかげでどれだけ仏教が東アジアに広まったかと思うと、偉大な人です。

ちなみに、この塔のすぐ横に、手作り石窯で作るピザの店があるのですが、とっても気になります。木曜日限定営業で、予約のみ受け付けるという。。

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で、慈恩寺の御朱印は↓こちら。 達筆です。

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じおんじへ まいるわがみも たのもしや

うかぶげじまを みるにつけても


豊春駅までの帰り道は、疲れたので歩きました。朝のバナナとプロテインだけではエネルギーが全く持ちませんでした。

豊春駅前の町中華で昼食&一人打上げ。

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伊達巻の入ったラーメン、初めて見ました。あ、蒲鉾もか。スープは透明な塩味で美味しゅうございました。


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