シカイのシカイ

 はじめまして。

 ホシカジと申します。

 今回 https://adventar.org/calendars/2667 こちらに参加させて頂くということで、記事を書きました。

 当初はユナちゃんの小説版に刺激を受け、僕も感想を小説に仕立てて投稿しようと思っていたのですが、急遽考察に内容を変更しました。

 もし小説の方に興味があるという奇特な方がいらっしゃればご連絡ください。

 さて、今回の僕の考察のテーマは

「この行動展示を実施する際に【kiki】という人物はどう関わるだろうか」

ということです。

 人によって様々な感じ方をされているようですが、僕はこの展示をある種のリアルととらえています。そのため、この展示そのものを作ったkikiさんが展示の際にどこで何をしているだろうか?というのに非常に興味があるわけです。

 この問いに対して僕が考えた答えを説明するには、まずkikiさん自身が書かれた行動展示の記事(https://note.mu/kaisetsu/n/n0ee16c75cc10?creator_urlname=kaisetsu)

こちらにたいする僕の解釈を伝える必要があります。

 というのもこの記事、人によって解釈が全然違うのです。

 展示の持つところの意味についてはすでに様々な方々が考察を重ねられていて、その記事を僕も拝読させていただいているところです。しかし、展示に対する感想や意味づけだけでなく、展示の内容自体の解釈まで違うこともしばしばあります。

 もちろんどれが正しいとかどれが間違っているとか言いたいわけではありません。そもそもkikiさんの記事の書かれ方からして、勘違いされることまで想定内というか、万人に誤解の生じないレベルまで詳細に展示で起きることを描写しようという意思はないように思われます。むしろ十人十色の様々な解釈を見ること自体が行動展示の目的だろう、というのは既に多くの方がおっしゃられている通りです。

 これはそのうちの一人である僕が、僕の思う”忠実な”解釈をしてみた、というだけですので、まあ大目に見てやってくださいな。

さて、この解釈ですが長くなったので、別リンクとしました(ただでさえ長いのに...)

https://note.mu/starsmith_raven/n/n27c95002aa30?creator_urlname=starsmith_raven

綺麗にまとめる時間がなかったので、雑然としていることをお許しください。面倒な方はスキップを。要点は以下の三つです。

・司会はずっと1つ目の部屋にいて、2つ目の部屋以降に案内役はいない。

・参加者の一つ前の部屋にいる人物は参加者ではない。サクラである。一つ後の部屋にいる人物は、存在しないか、サクラである。

・参加者が2つ目、3つ目の部屋にいる時、サクラはホワイトボードの文字を司会に「伝える」ことではなく、「読む」ことでクリアとなり、参加者は次の部屋へ進むことになる。

 では、本題へ。

 推理の手始めに、まずは企画者であるkikiさんがどうしたいかを考えてみましょう。

 kikiさんと前にお話しした際、自分を「ほかの人が自分の手のひらの上で踊る様子を見るのを喜ぶタイプ」だとおっしゃっていました。冗談がてらにあえて悪い言い方をしたのだと思いますが、公演制作者なら誰しも共感できるところがあるのではないでしょうか?そして、そんなkikiさんは公演を体験する人の様子を見たいはずです。さて、kikiさんは展示にどう関わるのでしょう?

 まず考えられるのは司会です。司会から観れるのは全てに気づく前の様子、すなわち一つ目の部屋の様子ですね。あとは全てに気づいた後の様子、後日参加した人に話を聞くことぐらいでしょう。参加者の応対をし続ける限り、司会は1つ目の部屋を離れられません。

 しかしこれでは、肝心の部分、人々が気付いて行く過程、感動し、喜び、恐怖し、感情が増幅していくその様を見ることができません。

 これではkikiさんは満足しないでしょう。

 そもそも展示に登場せず、外部から全てを観察すればどうでしょう?いえ、それではゲーム中主催者を知る人々に「kikiはどこだ?」と考えられてしまいかねません。他者の視線が重要なこのコンテンツにおいては体験の妨げとなりえます。これは不本意のはず。

 ではサクラになるのはどうでしょうか?いやいや、そうすると参加者にサクラであるとばれてしまいます。監視する側のサクラは映りませんが、これは参加しなかった場合と同様、参加者と会うことが出来なくなるのでダメです。

 展示の中で参加者と対面し、それでいて全てを観察することができる立ち位置。一見そんなものは無いように見えます。しかしもし存在するとすれば、私たちの想定に、なにか間違っている箇所があるということになります。

 kikiさんは、一体何をしていたのでしょう?



 二つ目の部屋では、一つ目の部屋と同じ説明が聞こえてきました。「次の部屋へどうぞ。」これは展示を通してずっと同じセリフです。知らず知らずのうちに、司会は同じことを繰り返しながらずっと最初の部屋にいる、そう勘違いしてしまいます。

 しかし、1つ目の部屋を映すモニターから司会が見えるとは一言も書かれていません。あくまでそこにいるのは「新しい人物」です。そしてその人物は、ホワイトボードの文字を「司会に伝える」必要はありません。叙述トリックというなかれ、実際に司会がいる位置次第では、モニターに映らないことも十分あり得ます。司会の声は録音したものを流せば済みます。司会がその部屋にいると実際に勘違いさせることも可能でしょう。

 私たちが1つ目の部屋を出た後、司会がそこから消えていたとしても、私たちには分からないのです。

 3つ目の部屋にいるときは言わずもがな。「2つ前の存在を直接干渉・監視することはできない」構造上、司会を見ることはできません。

 もし、2つ目の部屋にいるあなたを、逆回りした彼が3つ目の部屋から見ていたとしたらどうなるでしょうか。

 あるいは、展示の外、4つ目の空間に、3つ目の部屋を覗くことができる裏のモニターがあったとしたら...。

 こうすればkikiさんは全ての部屋での参加者の行動をリアルタイムに観察できます。司会として参加者と直接対面しつつも、「鑑賞者」として「より先にある空間」から「神の目」を持って見ることになるわけです。

 前の参加者が後の参加者を監視しているという構造は、人々の想像によって造られた虚構でしかなく、その想像という行動さえも【kiki】の手のひらの上。

 実際は全ての行動が【kiki】1人に展示されていて、その行動は誰にも展示されていない...。




 こんな解釈も、また一つどうでしょうか。

 皆さんの行動展示に対する解釈に少しでも影響したなら、嬉しい限りです。

 さて、こう解釈してみると、初めて記事を読んだ時に僕はもうすっかり感動してしまっていたものですから、無性に悔しくて、仕返しがしたくなります。

 小説の中では思いっきり蹴っ飛ばして復讐しましたが…。

 そうですね、ここでは、行動展示をkikiさんの手のひらの外に出す方法をまた一つ提唱して締めくくりたいと思います。

 今回のカレンダーは、行動展示に関心を持った人々の感動のはけ口としても機能しています。これからも行動展示は続いていきます的なエンディングをkikiさんが提示するかもしれませんか、とにかく行動展示はここで一区切りとなるわけです。

 それはkikiさんの手のひらの上で、この展示が一つの完成を迎え、完結することを意味します。

 だから、この展示をここで終わらせなければよいのです。

 著作権が生じるのかどうかはわかりませんが、kikiさんの死後50年後くらいに大々的に実現しましょう。きっと問題作として世間の注目を集めるはずです。そうすれば少なくとも、kikiさんが監視することのできない行動展示が出来上がります。発案者としての行動が展示されることにもなり、展示の一部として取り込まれていくことにもなります。死して名を残せば猫も本懐ということで、kikiさんも許してくれるはずです。

「しかいししてやりましょう!」

ホシカジ


*注

kikiさんがあたかもヤバい人物のように書いてしまいましたが、これはあくまで行動展示というヤバい展示の制作者としてのkikiさんに対する考察です。kikiさん個人はいい人ですので、誤解なきよう。念のため。

でもやっぱりちょっとヤバイ人だとは思います。

にゃーん。

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