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嘆くばかりではない

誰だって悩む。
自分はこの程度なんだと考える。行動するチャンスが目の前でも。挑戦するのキッカケがあっても。自分にはできないと判断して諦める。これが良くないことは誰よりもわかっている。自分自身なのだから。それでも、足は動かない。前に行きたい気持ちがあっても、それ以上は湧けない。

『誰か、背中を押してくれ』そんな気持ちばかり。それでも、そんな甘くないこともわかっている。気づけば1日。一週間。一ヶ月。半年。一年。そうやって時間が過ぎていく。その事実に心が嘆き。苦しんでいく。なんで自分はと公開に苛まれる。

わかっている。このままでは何も変わらない。このまま単に過ごしても意味がないことを。

あなたはどうですか?このような気持ちはありますか?思うところがありますか?私はあります。うまくいかないことばかり。思えば後悔ばっかり。泣きたい日々。苦しく辛い。そんな時間に嘆く気持ちが溢れる。

いくら自分に言い聞かせても結果は変わらなかった。それでも、"このまま"が私は嫌だった。だから変わることをした。でも、うまくはいかない。

ある時に知った。『自己認識』という言葉を。私たちは中学や高校で自己分析というものをやっている。それの最終系をイメージしてくれば良い。
私はこの自己認識で気づいた。自分という人間について。

これからは改めて、自己認識について触れていく。

自分が見ているもの

誰しもそうだが、自分が見ているのうち、認識するものは自分が信じているもの。人間は自分が信じているものだけを認識し考える。言ってしまえば自分主義である。年寄りは上の立場の人間で頭が硬く、意見や話を一向に認めない、聞かないことはこれに当たる。自分にとって有利な話や意見しか聞けないようになる。人間は愚かに、安定を求めた時、有利な話しか認識しないようになる

そして、これは必ずしも年寄りや上の人間だけではない。
誰しもに言える。あなたでさえ。

この原因は単純に自己認識の表れ。自分がそのような考えをしていることに気づけないため、一向にそのようなことを続ける。対応は簡単。単純にその考えをしていることを認める。そして、コントロールする。

このコントロールが自分の人生を変えることができる。人生では自分以外の人間が変わることはほぼない。変わってと言っても変わることは決してない。それなら自分が変わるのが簡単で最適である。そして変わるには、まず自分という人間がどのようにして考えるのか理解する必要がある。そのために自己認識である。
そして、最初に結論を言おう。自己認識をして、自分をコントロールできた時。あなたは自分を変えあることができる。悩み。嘆いていた自分から変わり、人生を謳歌する人間となる。

そこでまずは、自分が見ているものを改めて知ろう。あなたが見ているものは、あなた自身が見たいと思っているものであることを。悩んでいるものも嘆くきっかけも。あなた自身が見たいと認識しているため、見てしまうのである。この事実を忘れてはいけない。
色々と文句があるだろう。そんなわけがあるか!嫌なものをわざわざ見るか!でも、あなたは嫌なものを自然と見てしまう。そんな時は必ずあるだろう。『見なければよかった』と思う時があるだろう。それがこれだ。

まずは知ろう。自分の見ている事実を。そしてそこから気づいていこう。それが自己認識の始まりである。

自分と周りの人間

自分が思っていることが正解と思って行動しても、「それは間違いだろう」と言って止めてくる人間はいる。それは必ず存在する。あなたを思ってか。それとも単に邪魔か。色々と考えればキリがない。でも、何かしらの考えがあって、何かしらの正解を思っているのは事実である。あなたが正解と思うように、あなた以外も必ず正解を思う。それが同じ時もあれば、当然違う時もある。その違いの差は何か?それは価値観であったりする。それがわからない限り進むことはできない。

決して正解を認めることではない。その正解も存在すること。価値観の違いで見えているものが違うこと。それを認めることが大事なのである。自分を知る。そして自分以外を知る。そこから自己認識を深めることができる。過去にやった自己分析は自分一人でやるのがメインである。あっても少し聞くぐらいだろう。でも、自己認識は自分と自分以外の人間が必要である。そこから価値観の違いを知る。これが最初のスタートである。

あなたとあなた以外の人間の存在から自分という人間を理解していく。この二つの事実からあなた自身を深く理解していくのである。

二つの事実を見る

あなたが何かした時に、反対意見があったとする。それについてどこまで考えるか?その意見は意味ないだろうと論理的に考えるだろう。でも、なんでその考えが出たのか?バックグランドについては考えないのでは?二つの事実から正解を出すことが大事ではない。二つの事実からバックグランドを考えるのである。そこから考え方を深めていく。そして、価値観の違いをはっきりと目にしていく。この経験がのちに大きく影響していく。

自分のコントロールするには自分の価値観をはっきりと判断すること。そのために自分以外の価値観に触れることで自分の価値観がわかってくる。

二つの事実を見ることの大事さは単純である。もしあなたが赤色をしている時に自分が赤色であると考えることはあるか?赤色をしていることをわかることができるのか?答えはNoである。なぜなら赤色の群衆にいた時。赤色という事実は必要ないから。一緒に行動する。それだけである。赤色が活躍するのは違う色もある時である。あなたは真っ赤な一面した絵をみて感動するのか?沢山の色が織り混ざって絵が完成し、そこに感動するもの。そして、沢山の色に混ざっているから、自分が赤であることを認識できる。

青色と対面した時に、この青色は冷静な色である。だから慎重に考えようとする。価値観がわかるからこそ理解できる。そして、自分の色がわかるからこそ、言えることがある。赤は情熱の色。ここは慎重ではなく、思いっきり行こうと大声で言えるもの。場合がそれに適していれば正解になる。

正解な大事である。でも、自分の色が分からなければ、一向に考えがまとまらずに大声では言えない。

自分の色を知ることは、そこまで可能性に溢れている。

可能性の存在

自己認識から自分をコントロール。自分の色がわかるからこそ、違う色の意見に『言い分がわかる』と思うことができる。だからこそ自分の言いたいことに真っ直ぐでいることができと話してきた。でも、それだけではない。コントロールすることで、悩みな嘆きからも解放される。
解放される意味とは?自分をコントロールするということは、悩みや嘆きをなくすこと。自分が感じていることをなくすことができる。

なくすだけで消すわけではない。その事実を認め、もう感じなくなるだけである。自分が悩みを感じている。嘆いている。それを知った時。どうするのか?やり方はいくらでもある。違うことをやる。理屈であっているから行う。色々だ。自分を知っているからこそ、自分のやりたいことに真っ直ぐでいられる。

そこに不安や緊張があるだろう。でも、それすらも認める。そしてそこから大きく進むことができる。それも自分を認めることである。

これからの人生だ。どうせなら楽しく生きたいですよね?
なら、まずは自分を知ろう。

これからの人生だから

自分の色もわからずに生きているのはもったいない。赤でも、青でも、何色でも活躍できるところはある。あなたの色が自分で気づけることができれば、自分のやりたいようにする。

人間は沢山の人間と関わって生きている。その中で、嫌な思いや泣きたい思いもあるだろう。嘆きさえする時も場合にはあるだろう。そんな時に自分という存在を知って、周りの人間の存在を改めて理解できた時。今までと変わって過ごせるようになる。

あなたは周りの色がわかるように変わる。


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