Endless SHOCK 2018 超個人的感想

去年初めてSHOCKを観劇し、この作品の世界にハマった私。そんな私にとって、2回目のSHOCKの季節がやってきた。

2009〜2012年ごろ応援し、一昨年『それいゆ』を観て再び気になる存在になった優馬。そして、今自分の中で一番アツい堂本光一さんが同じ舞台に立つということで、個人的に特別な思い入れのあるSHOCKになった。まだ、2回目なのにね(笑)

■本題の前に優馬の話を…
私が熱を入れて応援していた当時の優馬は、ダンスがあまり得意な方ではなかった(ハイナ特典DVD参照)記憶が。そんな彼も、今年SHOCKというジャニーズ最高峰のレベルが求められる舞台に立つまでに…!プレゾンや数々の舞台を経験し、見ない間にびっくりするくらいの成長を遂げた。

演技に関しては、本当に沢山の経験を積んだのではないか。09年の『恋して悪魔』では、人間の血を吸わないと消えゆくことを知りながら、懸命に人々を助けるヴァンパイアを演じた(コウイチみたい)。一昨年と昨年は『それいゆ』で、命を削って「美しく生きる」ことを大切にした中原淳一を(ショーに突き進むコウイチみたい)、昨年は『北斗』で、複雑な家庭環境で育ち、父親を殺めてしまう青年を演じた(ライバル役みたい?)。

昨年、初めてSHOCKを観てから、いつか優馬もライバル役を演じてくれたらいいな〜とぼーっと考えていた。しかしいざ、11月に実際にキャスト発表があり、優馬がライバル役を演じることが発表されると、思っていたより早く叶ってしまい、びっくりした。ネットでは「若すぎる」という声も見かけた。

しかし、よくよく考えると、優馬は十分な経験を積んでいるし、SHOCKに通ずるような演技を、ストレートプレイの世界で経験している。それに、ちょうど入所から干支が一周するタイミング。早すぎるわけでもなんでもなく、然るべき時に、巡ってきたチャンスなのだと思った。

■影を湛える優馬とユウマ
私的初日を迎え、答え合わせをする2月上旬まで、過去のSHOCKを観て、優馬ならどういうライバル像をみせるのか、脳内でシミュレーションをした。

私が優馬に惹かれた理由の一つに、彼の纏う影が気になったというのがある。明るいしお茶目なのに、ふとした瞬間寂しげだったり、一万字インタビューで孤独感を覗かせたり…演じた役も、明るい役より、影を抱える役が多いのではないかと思う。そんな好きな部分が出ていると嬉しいなと漠然とライバル像を描いていた。

それは光一さんも感じたようで、パンフレットで「俺の中での優馬に対する印象は、どこかに影があるイメージ」と話している。優馬も「方向性がみえた」と前向きに、影を湛えたライバル像を描いていた。今年のSHOCKを観劇する前にこれを読んで、驚くと同時に嬉しかった。まさに期待していた、優馬だからこそできるSHOCKが、特徴をしっかり捉えてくれた光一さんの演出で出来たんだと。

■二種類の笑み
上記のように、今回のライバル像は、「影をどこかに常にもっている」人物になった。その影を象徴するのが、ユウマの「黒い笑み」である。これは、ヤラともウチとも違うライバル像を作り出した素ではないか。対して、コウイチはユウマに「白い笑み」を向けてる。

•黒い笑み
こちらは、一幕を中心にユウマが浮かべている笑み。ジャパネスクショー全体を通して(特に、真剣だとコウイチが気づいたシーン)抑えきれないユウマの笑みは強く印象に残った。
また、シェイクスピアシアターに登場するコウイチも黒い笑みを浮かべている。しかし、これはユウマが見ている夢の中のコウイチなので、ユウマが創り出したもの。

•白い笑み
こちらは、物語全体を優しく包む、ポジティブな笑みが「白い笑み」だと私は考える。コウイチは基本的にこちらの笑みを浮かべている。
この白い笑みは嬉しい・楽しいから出る笑顔だけでなく、コウイチからユウマ、ユウマからコウイチに、それぞれ向けられる「慈しみ」の象徴でもあるのではないかと思う。

■笑みと慈しみと
「慈しみ」は一般的に、目上の者から目下の者に対して使う言葉。今回は、優馬がライバル役に見えない若すぎるという意見もあったが、ライバルが若い分、コウイチの表情や台詞、行動の端々に、ユウマに対する「慈しみ」が滲み出ていて、ユウマの黒い笑みと共に、物語に深みを与えた素だと思う。

一幕では、カンパニーを率いるコウイチが、ユウマを笑顔で挑発して向上心を植え付けようとした。さらに、コシオカにユウマの傍にいるよう頼むことで、直接ではなくとも、コシオカを通じてユウマは間接的に常にコウイチの慈しみを受けていた。でも、ユウマは、反発を繰り返す。一幕はほぼ、「コウイチ(とコシオカ)→ユウマ」への一方通行の「慈しみ」だった。

二幕では、コウイチは消えゆく存在に。ユウマは事故のあった劇場でショーを続けている。ユウマは未来がある分、ある意味コウイチとユウマの力関係?がプラマイゼロになる。
二幕の序盤では、毎日病院の外からコウイチの病室を眺めるユウマの姿。これはユウマからコウイチに向けらた「慈しみ」かな。
コウイチの復活により、一瞬一幕と同じ関係に戻るが、コウイチの死を知り、ラストショーに向かう辺りから、変な意味ではなく「慈しみ合う」という言葉がぴったりだと思った。消えゆくコウイチの存在を大切に想い慕うユウマと、地上にこれからも生きるユウマやカンパニーの仲間とのラストショーの一瞬一瞬を大切にし、「これからの夢を託したぞ」というような笑みを浮かべるコウイチ。CONTINUEでは、そんな二人が顔を見合わせて笑い合う。

■これからの優馬
コウイチの「白い笑み」と、ユウマの影が「黒い笑み」と、ユウマ自身の変化によりみせる「白い笑み」のコントラストによって、より物語がはっきりした2018年のSHOCKだったと感じた。きっと、ここまで至るには、大変な困難や努力があったと思う。

SHOCKが始まる前の1月、Myojo3月号のインタビューで、今の外部舞台が続く上記を一部のファンは望んでいない、ついてきてくれるあなたがいることが「キラキラに戻れる希望だ」と語っていた。優馬の言う「キラキラ」はアイドル・中山優馬としての活動だと思う。はっきり書いてはいなかったが、優馬自身も「キラキラ」に戻りたいことが痛いほど感じられた。
正直、これを読んだ時は、不安を覚えて優馬の姿を見るのが怖かった。

しかし、実際に幕が上がると、本当に良い顔をした優馬が立っていた。本当に「キラキラ」していた。優馬は、いつか「キラキラ」に戻りたいと語っていたが、役者・中山優馬だって「キラキラ」ではないか。私は、アイドルの優馬も役者の優馬もどちらも大好き。今回のライバル役を通じて、改めて優馬の演技に惚れたし、感想ツイートを見て、人々を魅了する力も感じた。だから、外部舞台の活動が続くことを申し訳ないなんて思わず、役者・中山優馬である自分自身をもっと愛してほしい。誇りに思ってほしい。

まるでSHOCKの中でユウマがシェイクスピアシアターで演じる夢を見たのと同じように、WESTと一緒に活動している夢をみたり、立ち止まったら死んでいると思われると、コウイチの台詞かのような言葉を口にしていた優馬。一万字を読む限り、今の優馬は何か見えないものに追われている。オーナーの台詞じゃないけど、立ち止まってみることも必要じゃないかな…

千秋楽で、優馬が「みんなだから頑張れた」とと言うと、光一さんが「本当そう、俺の最後の台詞よ」というやり取りがあったと聞いた。
SHOCKカンパニーと出会って、70公演走り抜けた今、コウイチと同じように優馬も新しい景色が見えているといいなと思う。

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