『学校へ行こう!』という「みんなの学校」

2015年11月3日、7年振りに『学校へ行こう!』が復活した。
私も毎週火曜日楽しみに見ていた視聴者の一人。だから、本当に楽しく、あっという間の3時間だった。

〇『学校へ行こう!』が面白い理由
『学校へ行こう!』の番組中、当時の映像が流れたが、今見ても面白いと感じると同時に、「昔のテレビ番組って今より面白かった」と思った。同じことを思った方も多いのではないか?
なぜそう感じたのか?もちろん、自分が夢中になった番組からという単純な理由もある。じゃあ、他には?
私は、『学校へ行こう!』が同世代と「共有」できた、想い出の「みんなの学校」だからではないかと考える。

〇「共有」の消滅
先に述べた、番組をより面白くした「共有」というスパイス。残念ながら現代は、同世代であっても「共有」できる事柄は減ってきていると感じる。

学校へ行こう!が放送開始した1997年から遡ること約7年前。まず音楽分野で、「共有」の文化が無くなる時代が到来した。
1989年の「ザ・ベストテン」の放送終了に端を発し、1990年初頭までに、週にいくつもあった生放送の歌番組が続々と姿を消した。こうしたゴールデンタイムの歌番組の減少により、みんなが同じ時間に同じ音楽を「共有」する機会が減少した。
そして次第に、音楽配信やiPodの普及により、音楽は個人のものになった。
そう、音楽の「共有」の象徴である歌謡曲が姿を消したのだ。

しかし、90年代中盤以降もTVの「共有」力はまだまだ強大だった。
当時は、インターネットはあったが、まだまだテレビから情報を得ていたし、個人PCがなかった学生は、とくにそれが全てになっていた。そんな時代に『学校へ行こう!』は放送開始した。
テレビは民放ならせいぜい5種類だろう(ケーブルTVもあるが)。5択なら次の日、同じ番組を観た者同士で盛り上がる可能性は高かった。
放送翌日には、番組で紹介されたゲームを実際に学校でやってみたりで盛り上がったのではないだろうか?
冒頭でも述べたように、そうした一つひとつの「共有」した想い出が、学校という場を離れても「みんなの学校」として心の中にある。だからこそ、当時同級生ではなかった人とも盛り上がることができ、今見ても色あせない。

○『学校へ行こう!』亡き後の「共有」
『学校へ行こう!』が放送終了を迎えたころ、急速にTVの「共有」力は衰える。むしろ、TVがネットに歩み寄り、ネット発信のニュースも多くTVで扱われるようになった。
そして、現在。Twitterで多くの人と簡単に「共有」できる環境が整っている。
しかし、何億というチャンネル(アカウント)に、初めからそれぞれが興味のあるチャンネルに合わせ(フォロー)、その中で流れてくる情報(ツイート)を享受している。簡単に「共有」できるが、多くの場合特定範囲内で完結している。

「昔のTV番組はよかった…」「今の子どもたちには、みんなでワイワイ見られる番組がなくてかわいそう…」色々嘆いても、もう便利な暮らしに浸ったからには以前の「共有」の仕方には戻れない。
現代は、一人ひとりがプロデューサーである。『学校へ行こう!』が一般の中高生の中にスターを見出し、視聴者に共通の想い出残したように、日常の中での発見により、今度は世界中の人の心の中に何かを残すチャンスがあると捉え、前向きに今の「共有」の時代を生きてゆく。

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