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撮り鉄騒動の根底にあるものは

撮り鉄の暴走は留まるところを知りません。駅のホームで奇声を発したり、周囲の人間へ罵声を浴びせたり、というところから始まり、線路や私有地への不法侵入、そして大切に育ててきた、家族との思い出が詰まった木の伐採。いったい、何が彼らを暴走行為へと掻き立てるのでしょうか。

「人の心がない」「頭がおかしい」などと言ってしまえば簡単ですが、「撮り鉄」という趣味そのものの根源に、その原因が潜んでいるのではないか、少なくとも仕事として鉄道に関わっている身として、そう感じざるを得ません。

鉄道の撮影には、色々とルールがあります。ルールと言っても、マナーを守るとか、そういう話ではありません。列車を撮影するときに、編成全体が入るようにするとか、晴天順光が良いとか、標識や架線柱といった障害物を避けるとか、撮影そのもののルールです。それらをある程度守れば、誰でもそれなりにきれいで、模範的な鉄道写真が撮影できます。もちろん、全てこうしたルールを守って撮影できるのであれば、きっと素晴らしい写真を量産できるでしょうが、完璧にこの条件が揃った写真というのは、気象状況や列車の走行時間の都合で、なかなか撮れないものです。その中で、どこかにバランスの良い妥協点を見つけ、良い作品に仕上げることが鉄道撮影の極意、テクニックと言えるのではないでしょうか。

ところが日本の撮り鉄と称する人たちの中には、このルールを頑なに守ることに固執し、わずかでもルールから外れていれば、相手を徹底的にこき下ろしてマウントを取る、というような風潮があります。もちろん全てではなく、ほんの一部の話ではありますが、気分が悪いからそんなこと言われないように…とこき下ろされた相手も必死で良い写真を撮影しようと頑張ります。

そこまでなら、技術を高めようとお互いが切磋琢磨する、という美談で終わるでしょう。しかし何としても他人を出し抜いて、自分しか撮影できない写真を撮ってやろう、という話になってくると、ちょっと困った方向へ進んでいきます。エスカレートすると、周りが見えずに無謀な行動へと走ってしまう人がいるからです。

日本全国には、多くの鉄道が走っており、それぞれに「撮影スポット(お立ち台)」と呼ばれる、撮影に適した場所があるものですが、建物が建設されたり、木々が成長したり、柵が設置されたりという理由で、撮影スポットは減少傾向にあります。すると同じ場所に撮り鉄が集中し、まず起きるのがお互いが罵り合う罵声大会、沿道で地域住民の移動が困難になるほどの混雑です。地域住民にすれば、普通に車を運転し、買い物や仕事へ出かけているところへ、撮影の邪魔だとして「どけ!」「邪魔だ!」と口汚く罵られたら、住民からすれば「あなたたちが邪魔」と思うでしょう。

さらに自制心がない頭に血が上った人たちはどういう行動に出るか。今回問題になった、木々の伐採なんてことは当然、撮影に邪魔だと柵を破壊したり、新しい撮影場所を見つけようと私有地へ無断に立ち入ったり、と次々と蛮行を繰り返していきます。行き着くところは、自分の撮影の邪魔という身勝手な理由で、線路へ侵入して工事用の柵(形が似ていることからホチキスと俗称される)を引き抜いたり、信号や踏切によじ登ったりと、本来は愛して止まないはずの鉄道への妨害行為にまで手を染めます。もちろん、こうしたことは犯罪行為で、警察に捕まれば法で裁かれることになりますが、それすらも分からないほど盲目になっている、ということでしょうか。決して競争心を変な方向へ向けてはいけません。

プロ写真家による鉄道撮影講座が雑誌に連載され、鉄道撮影マニュアルのような本が発売されるのは、日本だけだと思います。日本と同じく鉄道趣味が一般化している英国やドイツでも、そういう本は見かけたことがないです。とても素晴らしいことですけど、それをすべて真似ることだけが良い写真を撮影することに繋がるとは思いません。悪天候ではどうしようか、逆光になるが良いだろうか…色々な状況下で撮影して、時には失敗して、自身で学んでいくことも多々あるはずです。誰もが撮影する定番のお立ち台で、全員が判で捺したような同じ写真を撮影して…単なるコレクションとして悪くはないかも知れませんが、こればかりでは面白みに欠けます。

逆光?ケツ撃ち?(※列車を後ろから撮影するのは邪道として忌避される)障害物がある? なら、それも含めて撮影するか、また他の方法を模索しましょう。そういうチャレンジができなければ、一生ハンコを量産するだけで終わるでしょうし、エスカレートして暴走することがあれば、いずれ社会的に制裁を受けることになるでしょう。そもそも、暴走して不法に撮影した写真はどうするのでしょうか。不法行為を働いて撮影した写真は、雑誌にも自分のSNSにも投稿できない、誰にも自慢できない。何が楽しいのでしょう。

この言葉の意味が分かる撮り鉄の皆さんは、そもそも暴走行為に至ってないと思いますし、多くの方がそうであると信じています。もし、身に覚えがあるけど、ちょっと行き過ぎたなと感じている皆さん、今後は思い留まってください。皆さんの暴走行為が、結局自分たちの趣味の領域を狭めていることに気付いてください。鉄道は公共交通機関で、利用者全てに必要なものです。単なる撮り鉄の撮影の対象ではありません。この状況が続けば、いずれ駅でも沿線でも、「撮り鉄お断り」という未来が待っているでしょう。

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