あれは夢のような4ヶ月だったな


2021年の5月から9月くらいまでの西川貴教のニシナナの話。

番組開始もコンセプトの発表も結構唐突だったと記憶しています。
石川親分からのいつもの「‼︎」と「マヂ」が多様されたギャル男構文で突如発表された
「また深夜ラジオみたいなノリで番組やるからマヂで当時の職人は集まれ‼︎」という感じの軽い告知。

この告知を聞いたときの正直な感想は
「10年、いや15年遅ぇーよ!」でした。
今さら老兵を叩き起こしてどうするのよ
ANN終了後は元職人同士という立場で仲良く平和に暮らしてたのに、
突然村に火をつけられて、戦火に放り込まれてしまった。

なんて思いながらも、蓋を開けたらまぁ面白い。
自分が採用される喜びも、採用されない悔しさも当時のあの感覚がすぐに蘇り、
ヒリヒリする日々が戻ってきていました。
長く連絡を取っていなかった職人仲間とも頻繁に連絡を取り、
「この傾向は読まれやすいね」とか、「あの新人は要注意だ」とか、
「自分が現役時に未対戦だった〇〇さんが復帰してきた」なんて情報交換を行ったものです。(ジェニュインさんの閃光のHAKUEIのネタは最高だった)
この辺は職人レース(別名地獄のマラソン)がなかったから和気藹々と楽しめていた面もあります。
建前上、西川さんが笑ってくれれば見返りなんていらないなんて見栄を張っていましたが、
月1、2万円のアマゾンギフトもマヂでありがたかった。マヂで。

そんなに楽しくて都合の良い日々はそう長くは続きません。
タイトルに戻りますが、約4ヶ月が過ぎた9月ごろに潮目が変わり、
ネタコーナーは次第にフェードアウトしていきました。
アーカイブ配信に切り替わったせいなのか、
過激な発言が多すぎたせいなのか、
職人の努力不足なのか、
予算の関係なのか、
真実はわかりません。
そりゃそうだよね、フェードアウトだもの。

当時、楽しかった要因の一つにコロナ禍ど真ん中で楽しみが少なかったこともあったのかなと思います。
今やるよと言われても木曜20時に家にいる保証もないですし。

なんだか誤解を招きそうな書き方になってしまいましたが、
別に怒ってるとか悲しいとかの話ではないです。
あぁいつものフェードアウトか。くらいの感覚です。
なんだったら解放されてホッとしている節さえあります。
なんせ平和な村に戦火を放たれてるわけですから。

また何かの機会に招集が掛かればネタは書きますし、
「人には必ず出番がある」(byゴール・D・ロジャー)の精神でのんびり過ごしています。
でも、あの配信プラットフォームというラジオ以上の閉鎖空間でも過激な発言がNGとなると、
もうこの先職人としての出番はないのかなとも思います。
西川さんが悪いことを言ってるときのギラギラした語り口調は好きなんですけどね。
あと、これはいちラジオ好きとして贔屓目抜きにしても西川さんは天才的にネタ読みが上手い。

今のニシナナはとても健全です。
ちゃんとしたファンからの誠実なメールを読んで、ちゃんと質問に答える番組。
これが今の時代のあるべき配信の姿なのかなと思います。(皮肉ではないです)

今でもたまに石川親分の笑い声が入ってる回の時は謎の使命感から急いでメールを送っています。(気まぐれで番組にいたりいなかったりするのはなんなんだ)
またいつかたまに、たま〜にでいいので一緒に悪ふざけが出来る日が来ると嬉しいです。
その日までいつまでも肩を作って待っています。


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