ワープゾーンはどこ? 探しても探しても

インターネットの世界のことを、「自分の手のとどく範囲が、唐突に、すっごく広くなった」と感じている人は、多いと思う。

デジタルネイティブほど若くなく、かといって、まったく触れずに学生時代を終えたわけでもない、中途半端で、非常に適度な世代。けっこう幅は広いだろう。

そう、広くなった。世界の、まったく知りえなかった情報が、きゅうに眼のまえに現れ、それを自由にできる、全能感みたいなものがある。

けれど、情報は、しょせん情報でしかない。世界には、情報と、そうでないものとがある。ネットが提供するのは、情報のほうだけだ。

ネットでなにかを知ろうとするとき、まずは、検索するワードを入力する。そのワード! そのワード、どこで知ったの?

世界のどこかから、そのワードは、自分の脳に入力された。そのワードから、連想されるワードは、どんどん続いていく。そのワードにかんする知識は、より深くなっていくことだろう。

けれど、その道筋をうしろむきに進むことはできない。「Aに関するワードが、B、C、D、とあったとき、BとCとDのどれからスタートし、どこでゴールしても、知る知識の量はおなじ」と思うでしょ。

ネットでスタートし、ゴールした言葉なら、そうかもしれない。けれど、よく考えてみれば、ネイティブじゃないのだ。どこかの段階で、現実世界の事柄が、ネット上の情報へつながった。

それから先、いま、ネットのなかをぐるぐる彷徨っている。

ぜんぜん別の感覚だと思うんだ。新しい趣味をさがそうというとき、たとえば、渓流釣り。いろいろ調べて、道具やスポットはこうで、テクニックはこうで、仲間は誰で……とネットで準備するのと、

唐突に山のなかへ分けいって、その空気を吸い、鳥の声をきき、水の冷たさを長靴に受け、木陰の一点ねらって竿を振るの。こんな体験があるのだなあ、と感じる。たぶん、五感が動かざるを得ないためだ。

ネットで準備してから渓流へ向かうのと、とつぜん連れていかれて体験するのと。それはそれは、大きな差だろう。あれもこれも「知らない」せいだ。ネットで色々と知ってしまった者には、その体験が金輪際できない。

けれど、ここで言いたい差とは、それではない。

パイプはどこか。自分と情報とをつなげるパイプ。

唐突な、自分の人生になかった、そのワードを、ネットは教えてくれない。いうなれば、対価を払ったチケットをすでに持っているものだけが、入場をゆるされる。

それらのチケットは、ネットで売っていない(売り場がわからない)以上、現実のだれかから貰うしかない。それも、自分から「ほしい」ということができない類のもの。自分は、その存在自体を知らないのだから。他人が「これいる?」ときいてくるまで、その世界にはいるチャンスはない。

そう考えたとき、やはりネットは、世界のほんの一部なんだな、と思う。ネットそのものが、いずれ世界全体を覆いつくそうとしても、自分に見える部分が一部。

だから、けっきょく、現実世界とおなじ。

そうやって、ぜんぜん知らない場所には、絶対にいけないくせに、なんかどうも、「行かれはしなくとも、世界はネットをつうじて見渡せるものだなあ」なんて気になってる。気になってるだけだ。


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野崎 宵

世界の捉えかた

地球が一個だからって、あなたとわたしが同じ地上に立ってる、ということにはならない。
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