わたしたちには「今」しかないけれど、「今」は無数の線の束

十年もまえから連絡をとっていない知りあいが楽曲CDを出して、デモをネットで聴いてよかったので、リリースしたCD3枚のうち2枚を注文したら、梱包に手紙が入っていた。

お久しぶりです!お元気ですか?

2枚買ってくれたので、1枚おまけします。

こんどライブにも遊びにきてください。

そのくらいのことで泣きそうになるのは、まあ、日々うまくやっているようでいて、大人の仮面をかぶった人間関係しか築けてないことが理由なのかも。

干渉しすぎないのが大人。迷惑をかけないのが大人。心くばりを忘れないのが大人。ちょっとイラっとしても表に出さないのが、大人。だってみんな苦労してるんだから。大人は。

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1年前に買ったCDのはなし。うけとったときは、とくに何とも思わなかったんだけどね。注文の際、コメントを入れることもできたけど、まあ、ずっと会ってないし、人生に必ずしも必要のない相手ってことだし、私は客としてCDを購入したいだけだから、挨拶なんかこまごましなくたっていいよね、という気持ちも、大人だった。

コメントを入れなくても手紙をいれてくれた人に、どんな顔でライブなんか行けよう。

10年前に限らず、過去にはいろんな地点でいろんな人と出会い、今は会いもしなければ連絡もしなくても、そういう人たちのことをふと、一人ひとり思い出すことがあって、思い出したけど、特にアクションはなくてふわふわと現実の思考へと、戻っていく。

そういうすべての人の記憶の、私のなかで過去からつながった細い細い糸の、集合体の、結節点に、わたしは今、いきている。



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