ほんとうの望みは 覗き見れないから その場へ自分が向かう

本当の望みを無視すると、たいへんな事になる。なにが人をまっすぐに生きさせるか、というテーマだ。

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目を合わせるのが苦手だという人は、多い。目を合わせなくてもやっていけるような社会だ。直視ができない。相手を直視するなんて、失礼。相手が望んで、見られたいって言ったとしたら? それでも、なんだかまぶしいような気がする。人の目を見るのって。

まるで、知ってはいけない真実を覗くみたいに、まぶしい。陰でこそこそ覗き見するより、ずっと苦しい。

まっすぐ目を見て話す、ということを、驚くなかれ、大学の授業で練習したことがある。社会学か何か教養の授業で、その先生は1回限りのゲスト講師だった。もう、その、目を見て話せ、がどんな結論へつながっていったかもよく覚えていない。

1分の自己紹介をしながら、グループ内の3,4人いるメンバー全員の眼をかならず10秒以上見ること、という指示のもと実行したら、あっさりできた。

なにかへんな壁を乗り越えたような感覚があった。うわっ眩しい!と感じてから、スッと目が慣れた感じ。中には、見られたとき同じように眩しそうに目を細める人もいるが、やっぱり同じように慣れてくる。

やればできるのだ、目を合わせるなんてことは、誰にでも。

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さて、まっすぐに人を見るということは、その人をまっすぐに行動させる。目を見ないということは、相手となるたけ関係を持ちたくない、という意思表示だ。

これが食わず嫌いなことだって多分にある。人は、困っていなければ新しい世界を求めたりしない。慣れた人どうしで過ごせるなら、それがいちばんいいし、エネルギーも消費しない。

それは、ひん曲がった行動、とはいえない。自然に近いサイクルのなかで、同じような人々と、同じような会話をして、同じような行動をし、時を過ごしていく。

歪んだ、というような意味の「曲がった」ではないが、曲がっている。それは、ごく自然なことだ。でありながら、ぜったいに遠くへは行かない。サイクルは常に円を描く。円を描くみちすじに、直線はない。その円弧の人生においては、人の目を見ずに生きることも、選択肢のひとつとなりえる。

サイクルのなかで生活するのに必要なことは、サイクルからはみ出さないこと。二周目も三周目も、一周目と出来る限り同じ線上を歩くこと。そうすれば、周囲の環境も、一周目にあったとおりに配置され、快適に時を過ごすことができる。一周とは、1年かもしれないし、1つの家族かもしれないし、もしくは1つの人生かもしれない。

快適に過ごす? 信じられない数の人々が、この世界には、生きている。そして、信じられないほど大量の平凡と、不幸と、数は多くなくとも価値のおおきな幸福とを生産しつづけている。

その中に、サイクルはあって、信じられないほど多くの人が、その線上を歩くことを目的に、時を過ごしている。時が過ぎるのを待っているし、時が過ぎることを悔いてもいる。どこへも行けない理由を、見つけられないままに。

遠くへいってみたい。それなら、直線で進むのがいちばん確かだ。

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私が遠くへ行きたいと思うのは、世界の秘密を知りたいからだ。この世界には、謎がたくさん隠されている。秘された真実だ。それは、「謎」という問いとなってすでにこの世のだれかに整形されて、解かれるのを待っているものもあれば、まだ、存在すら認知されていないものもある。

目のまえにありながら、それが謎だと認識されていない、カメレオンのような世界の真実さえ、あるかもしれない。今までにだって、いくつもあった。

人生を進むのには、様々な要素が襲ってきて、進むべき道をくねらせようとしてくる。その要因は、自分の中にあるかもしれないし、外にあったかもしれない。とても昔のことが大きく圧しかかることもある。けれど、内か外か、大小、影響力、そんなものは一切関係ない。自分の進みたい道を進むのに、それらは、本当に関係がないのだ。関係をわざわざ見つけて、「だからできない」と理由にしているのは、どこのどいつだ。

まっすぐ、本当の望みだけを、見るんだ。

それは、まだ言葉もおぼろにしか体内に降りつもっていなかった時分の話。ぞくっとするほど魅力的な世界を、味を、感覚を、私たちは経験した。それには、体が反応した。好きな理由、惹かれる原因、そんなものを論理的に考えたことはなかった。

世界には、こんなものがあるのか、という驚きだけがあった。

そちらへ進めばよかった。人の目を見ることが失礼かどうかを考える配慮などいらなかった。それにたどり着くための足掛かりになるなら、質問をするために人の目をいちいち覗かなきゃいけないことに、躊躇することなどない。本当は、相手の目じゃなく、その先にある、本当に見たいものをさがしているのだから。

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子どもは、勘違いをしている。

世界には、こんな驚くもの、楽しいもの、魅力的なものがあるのか、と思った瞬間に、勘違いを起こす。世界は、こんな驚くもの、楽しいもの、魅力的なものにあふれているのか、と。

そんなものは、いくつもない。

だから、見つけたらそれを大切にして、そちらの道へ進むのが、世界の秘密を知る最短の距離なのだ。

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