ペンの芯


幼少期メゾネットタイプのアパートメントに住み工作をしていたところハサミで自分の指を切断してしまった、という記憶があるのだが、その記憶は不可解で、まず、5歳くらいの自分に指を切断するほどの握力があったのかということと、記憶の中でぼくは、指を切ったことがバレたら親に怒られる、ということを恐れて小指の切れ端をティッシュに包んで捨てた。切り離されたほうだけが切断の証拠になり残された先っぽの無い指は切った証拠にならないと思ったのか。狂っているというより、認識が不足している。
ゴミ箱に指を入れた後の記憶が無いのでもしかしたら出血とか、あるいは精神の混乱で倒れて病院に運ばれたのかもしれない。
その指は生えたのだが、そういう話をすると信じられないという顔をされる場合が多いけれども、一人だけ、家具に指が挟まれて切断されたことがあるけど小さかったからその後指が生えた、という人がいた。SUZMENBAの太田泉さんだった。テレビのバラエティー番組でもうちの子の指が切れたけどその後生えた、と言ったタレントが居た。
のだが、書いていて思ったことがある。
小さい子供というのは現実と夢の境界線が曖昧で、そして、指が無くなるという象徴的な夢が現実に覆い被さるということが、ときにあるのではないか、ということだった。
そんな思い出と、自分が死んで母と妹だけがそのメゾネットタイプのアパートで幸せに暮らすのを幽霊になって眺める夢、というのがその家の強い思い出としてあった。

自分の家史、みたいなのを書こうとしたがもう体力の限界だ。
きのうときょう足首を含むからだ全体が軋む感じがしてどうしちゃったんだろうと思ったのだけれど、考えてみたらここ2ヶ月、まともに休んだ日が1日も無かった。幸せだった日はある。けれども、平日土方をやって、その休憩時間中にも色々やって、休みの日には1人で出掛けたり家族の元に帰ったりというのを、自転車で30キロ以上走ったり、歩いたりして行った。
ある意味、2ヶ月ものあいだ、疲れていることに気付かなかったというのは、今までにない調子の良さなのかもしれない。
公表するようなものでもないが成果はあった。
それでも今、ぼくは大変な事態にあって、そして今後更に大変な事態が待ち構えていて、休む時間が無いのだった。
考えるエネルギーが無くなる前になんとかしなければならない。もう本当に時間が無い。

埼玉県川越市のメゾネットタイプのアパートの次には板橋区西高島平らへんのライオンズマンションに引っ越した。養父であるヒロちゃんが借りていたのだったが偽善者の登場という意味でぴったりのマンションであった。
経済難で安いアパートに引っ越した。
ぼくをいじめた男が住むアパートだった。

いやあ、疲れた。
こういう形式というのはほんとはとても疲れる。
リーフレット式のマンションで、ボールペンの芯を替えるようにではなく見切り発車のように何度もぼくは移動した。

断首塔で救われたこともあった。
なに言ってんだ。

書くペースが緩やかになったのはとてもくだらない理由で、800円で買った。スマホ画面フィルムがとても操作しずらいからです。誰か助けてください。

基本的に無駄遣いします。