力を失う

2009

真っ黄色な家の近く、中板橋のアパートを借りた。四畳半×2プラスキッチン、風呂トイレ別で35000円だった。安い。しかし15年振りに父に会ったことにより、甘えたい、という感情が芽生えたのだが、甘えられるほど逞しい父ではなかった。
外国人がやっている喫茶で父と話したが昔の自慢話しか聞けなかった。自衛隊員のときは自分のからだとトラックを結び付けてトラックを引っ張ったとか生乳工場をやっていたときは有名人に生乳を届けたとか。
今をどう生きてるかとかどう生きるかという話はなかったしそういう姿勢は見えなかった。
それで、解放感なども強く覚え部屋でよくCDを聴いたりした。職には就いたのだけれど、スーパー店内のパン屋に勤めるとかなりドヤされて、食べ物を作る仕事でこんなにドヤされるのは気分が悪いなと思いながら、その職場からの帰り道の池袋の電化製品店で電化製品をセドリしたりしてパン屋はすぐにやめてしまったしセドリは同じ場所でそんなに何度もできるものでもなかった。
鬱陶を手に入れたのはこの頃。
マヘル以外に聴いていたのはテニスコーツ、石橋英子&アチコなどが主だった。
「ラジオを抱いて」という曲をよく聴いて、それによって寝た。社会の規則に則って生きることが馬鹿馬鹿しいと感じたし、社会の規則に則らずに生き抜く術をまったく知らなかったのでぼくは半分ニートみたいな状態になった。

懲りもせず、闇の職業安定所を閲覧したのだがさすがにもう同じようなことはやめようと思い、〈死体拾いのバイトに興味があります〉と書き込むと、ある男からメールが来た。
〈是非会って話がしたいです。上石神井に来ていただけないでしょうか〉
(たぶん)外環を自転車で走って上石神井に向かった。
外環で釜揚げラーメンを食べたけど不味かった。

基本的に無駄遣いします。