赤い花☆

2009
初頭
父と15年ぶりに再会して、ある日「きょう会うかあ」と電話が来て会うことになった。
椎名町のインド人がやっている喫茶店ぽいところでインドの酒を2つ注文した。
父、「これはぐいぐいいっちゃうやつだね」と言って、おれはその感覚がわからなくてわからない感じの顔をして見せた。
父の過去のことを訊いた。
若い頃自衛官として自衛隊に務め、その後兵庫で牛乳の工場の工場長になったと。そしてそのときには天皇陛下のところや筒井康隆の家などに牛乳を届けた、と言っていた。父と母が出会ったのは兵庫だったらしい。
工場をやめて結婚して埼玉に引越しタクシーの運転手をやった。ギャンブルにのめり込んで家庭を崩壊させたらしいが母が言うには作った借金は30万円だとのことなので、それが理由で離婚したわけではないような気がするけれどもその辺のことは今に至るまで詮索したことが無い。
父の色んな過去の話をしている中で父が「娘がな」と言ってきて、おれには妹がいるけれどもおれに対しておれの妹を「娘」と言うのは変な気がして、変なこと言ってるな、という顔をしてみせた。
「あれっ、言ってなかったか」
ぼくには腹違いの姉がいるということをこの時初めて知った。

喫茶店を出て、父が、パチンコでも行くか、と言った。
5000円渡されて店に入った。あまり覚えていないが、どうやって玉を賞球口に入れるのだろうと思っているうちに5000円が無くなった、くらいの感覚で、こんなもののどこが面白いんだろうと思った記憶くらいしかない。
父も特に何も起こらなかったみたいで、すぐに合流してそこから2人で父の家に行くことになった。
椎名町の父のアパートに入ることになり、ぼくは父の部屋はどんな内装で、どんな絵が飾られていてどんな本が置いてあるのだろうかと期待しながら向かった。きっとDVDや画集などもあるだろう、と。
部屋には何も無かった、と言ってもいいくらい、最低限のものしか無かった。最低限の服や調理道具や日用品とテレビさえあればいい、という感じの部屋だった。この人には生き甲斐がない、と、むなしい気持ちになった。インド人の喫茶店でも昔話ばかりで今どういうことをしていてどういうものが好きなのかみたいな話はしていなかったがその時はそこまで冷静に判断せずただただ期待してしまっていたのだった。自分の父親が、どんなものを持ってどんなものを内包しているか。そういうことに想像を膨らませていた。その日も、それまでの長い月日も。

すっからかんという言葉が似合うような部屋だった。
部屋は人を表すとぼくは信じているのでショックだった。何も無いから、何も話すことができなかった。
そういえばこないだ貰ったお金がもうすぐ無くなりそうなんだ、と言う前に1万円札を何枚かくれた。
とてもむなしくなりそうなのを堪えながらぼくは部屋を後にした。
玄関の反対側の道路に出て、2階にある父の部屋のベランダを見上げた。
ベランダの端には真っ赤なチューリップが凛として咲いていて、それを見たときぼくは〈まあいっか〉と思えた。

基本的に無駄遣いします。