若い鬼火

2009年冬
中板橋のアパートで、迷いあぐねていた。迷いあぐねていたと言うと選択肢がいくつもあるようだがそうではない。行きたい場所があるが金が無いので行けなくてどうしようとたぶん朝から思っていたのだった。
庭つきのアパートだが隣のじいさんに庭は占領されている。仕方が無いので六畳二間のうちの一間、奥の部屋の方を黴まみれにして庭のようにしてみた。というのは嘘で、気付いたら黴まみれになっていた。a mouldという曲を聴きながら、その曲が入ったCDの紙ジャケットを黴まみれの畳にこすりつけて、紙ジャケット黴まみれにした。
裏窓で鬼火。しかし金が無い。正確には覚えていないが1000円も無かったと思う。10年以上経ったので仔細は覚えていないが数ヶ月分の家賃を滞納していた。少し前にスーパーで蝗の佃煮を買って、もうぼくの頭はふやけていたのだろう。インスタントラーメンを茹でながらその蝗をぶち込んだのを覚えている。水分を取り戻して生きてるときのような感触になった蝗は食べれたものじゃなくて、元来食べ物を残すことがまったく無かったぼくでも、その蝗は捨てた。スーパーの中のパン屋で働いたが添加物満載の堅パンのような店長といるのがつらくてすぐにやめた。それと並行して、ビックカメラでせどりをしていた。せどりは1時間で5000円くらい貰えたのでわりはよかったが同じ人間が何度もやれることではなかったので数日で終わった。
パン屋をやめた後は金も無いのにブックオフで一日中立ち読みをしたりした。色々読んだが二十世紀少年しか覚えていない。
家では『ライン』を読んだ。
働く気がまったく起きなかった。
悪いことをする気にもならなかった。切羽詰まっていたが、15年ぶりくらいに再会した父親に対して堂々としていたい、と思った。堂々と出来なかった。
ぼーっとしているうちに夕方になった日。
金は無いけれど、自転車を走らせた。中板橋から新宿へ。これより少し前に、千手観音菩薩の銅像の展示を観たいと思ったけど手持ちのお金がまったく無かったという時手持ちのお金がまったく無いままに上野公園の会場に行くと見知らぬおばさんが駆け寄ってきて入場券をくれたという経験によって、とりあえず現地に着けばなんとかなるのでは、という思いがあった。
なんともならなかった。
腹が減った。
新宿中央公園の炊き出しに行った。
え、けっこうおいしい。これは、いけるぞ。 使い捨ての容器に入ったアツアツの、なんという名前かわからない料理を食べながら、二度並ぶ人を見た。そういうのアリなんかよと思いながら自分も同じことをした。その頃鬼火が始まる。裏窓。狭いバーだ。浅川マキが使っていたピアノが置いてある。そこへ思いを馳せながら炊き出しに並ぶ。聴いてないのに聴いているふりをする。ぼくのほうへ40歳前後の男が近付いてくる。30歳前後だったかもしれない。炊き出しの客ではなく高級感は無いがそれなりに値段のはりそうな原宿で売ってそうなカジュアルな服を来たヒップホップ系の太った男が声を掛けてくる。「おにいさん若そうだけど仕事探してんのー?よかったらうちだったら3食飯付きであしたからでも働けるよー」
と親しげに話しかけてくるが、恐かった。絶対まともな仕事じゃないだろう。ちょっと考えさせてくださいと言って二杯目の炊き出しを手に取った。やっぱり旨い。
炊き出しというのは曜日が決まっている。熟練の野宿者たちはかなりの長距離歩いて曜日毎に色んな場所で炊き出しを貰うらしいという話をどこかで聞いた。
蝗の効果か、普通の、真っ当な飯をとてもありがたく思った。
「仕事したいです」
かけらほども信用できないような顔の男に向かってそう言った。何人かの野宿者らしき人たちとバンに乗った。クラリネットの音が飛んできたような気がする。完全に幻聴だろう。幻聴でもいい。希望が残っているということだ。寧ろその幻聴が耳に残ってさみしかった。
新宿から、神奈川の山の中へ連れていかれた。
着いたら真っ暗で、無数の鉄の棒に囲まれながら、契約書に記入した。
ジムノペディは崩壊しながらもその美しさを保った、とぼくはそう思い込むことで精神を保った。

基本的に無駄遣いします。