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ちょっと気持ち悪いけど、自分の文章に元気をもらう

大学時代所属していた部活で、毎週部員がバトンを繋ぎながら「リレー日記」というものを書いていた。
部員が30名くらいいたから、なかなか回ってこない。だからこそ、その1回に気持ちを込めまくって書いていた。
自分に酔っていると言われればそれまでだが、その文章を未だに読み返しては、熱く過ごしたあの4年間に元気をもらっている。

毎回サイトに飛んで、過去を遡るのが面倒になったので、ここに転載していつでも戻ってこられるようにしておく。完全なる自己満。

1年生の時のサイトは、すでに消えてしまっていて、もう読むことができない。

2012.11.10(2年生)
第26回関東大学女子サッカーリーグ最終節である武蔵丘短期大学との試合を終え、東武東上線の電車に揺られながらこのリレー日記を書いております。
今回のリレー日記を担当致します、2年の中崎史菜です。第八節で二部への自動降格が決まり、臨んだ最終節。四年生にとっても、そして現三年生にとっても、一部での最後の試合でした。8失点から始まった大学リーグは中々勝ち切ることが出来ず、終了間際の失点で涙を飲んだ試合も多くありました。「最後こそ、勝ち点3を」と意気込み臨んだ今日の試合。4年生千尋さんの先制点で沸くも後半相次ぐ失点で黒星に終わりました。
さて、「負けるが勝ち」という言葉があります。ご存知の通り、敢て勝ちを譲ることで、最終的に自分に有利な結果を得るという言葉です。もちろん私達は敢て勝ちを譲ってきたわけではありませんが、この言葉は勝ち切ることの出来なかった私達にとって大きなキーワードになる気がします。勝ちより大きなものを得られたか。チームが一歩前進出来たか。「負け」を「後退」にしない勝負が出来たか。
そして、この言葉は私自身にも向けたいと思います。一年半前、このソッカー部に入った時、両親に言った言葉があります。
「4年間、一度もピッチに立てなくても良い。ずっとベンチでも良いから、4年間サッカーをさせて下さい。」
このメンバーでサッカーが出来れば良い、と感じていたから出た言葉でした。今年の大学リーグで、私はベンチ外を三度経験しました。今年、部員が増えて史上初めてベンチ外の部員が出る様になったのです。初の勝ち点を得た喜びも、2部への自動降格が決まったやるせなさも、そしてこの先短くとも1年は立つことの出来ない一部最後の試合の終了のホイッスルも、ピッチやベンチで味わうことが出来ませんでした。
ビデオを撮ったり、ボールパーソンをしながら思い出したのは高校までで唯一ベンチに入れなかった時のことです。中学一年でバスケットボールプレイヤーだった時、新入部員で二つの席を争い、入ることが出来ませんでした。ベンチに入る自信があっただけに、本当に悔しく、号泣した覚えがあります。あの頃の様に、私はピッチに立って自分らしいプレーをする自信があるのか、それだけの努力をしているのか、自問自答しました。中学生の時の様に感情を素直にぶつけることがだんだん少なくなり、最近は譲って争いがなくなるのならば、譲ろうとしてきた様に感じます。しかしこのソッカー部での四年間は気持ちをぶつけ合える最後のチャンスなのではないかと気付きました。
このチーム2012で戦えるのもあと3ヶ月。「負け」の経験を「勝ち」に繋げる、悔いのないサッカーを、チームも、私自身もしていきたいと思います。これからも都リーグ・Blossom League等試合が続きますので、応援に来ていただければ幸いです。これからもご指導、ご声援の程宜しくお願い致します。

2013.10.25(3年生)
拝啓
秋を通り越して冬がやってきたかの様な寒さとなりましたが、如何お過ごしですか。こちらは相変わらず元気にやっております。
さて、私は大学からサッカーを始めましたが、先日の第4回関東大学女子サッカーBlossom League(通称育成リーグ)で3年目にして初得点することが出来ましたことを御報告したくペンを執りました。今年、このシュートを決めた育成リーグでキャプテンを務めています。技術もままならない私ですが、一緒に頑張ろう、と言ってくれる仲間達に支えられてここまでなんとかやってきました。この試合がチームとしても初白星となり、喜びもひとしおです。二年半前、富山から出てきて右も左も分からなかった私を温かく迎えてくれたソッカー部女子。シュートを決めた瞬間、その温かさを再び感じることが出来ました。
都会は冷たいものだと思っていました。塩素臭くて東京の水道水は飲めませんでした。渋谷のスクランブル交差点は怖くて渡れませんでした。富山に帰りたいと愚痴をこぼしてばかりのときもありました。でも今は、渋谷だって銀座だって堂々と歩けます。富山から帰ってくると東京で「おかえり」と言ってくれる人たちがいます。もちろん、富山の水と魚、住みやすさ日本一は譲れませんが、この東京で得た仲間は一生の宝です。
この仲間達と、一部昇格を懸けた戦いを控えています。残り3節、チーム一丸となって戦いますので応援宜しくお願い致します。
敬具

2014.09.02(4年生)
いつも隣のロッカーから私のプライベートスペースを脅かし、揺るぎない“いじられキャラ”を確立しながらも、実はそれを”美味しい”と思っている環境情報学部3年遠藤未来よりリレー日記を引継ぎました、文学部4年の中﨑史菜です。
さて、唐突ではありますが皆さんは夢を見ますか。私は時々、目が覚めても鮮明に覚えている夢を見ます。先日私達は、愛媛県にて、11泊12日というソッカー部史上最長の遠征を終えました。その合宿が漸く折り返し地点を迎え、身も心も痛みを訴え始めた頃、昨年12月に93歳の大往生を遂げた曽祖母が、夢に出て来ました。世間ではお盆と呼ばれる時期を迎えていました。新盆にも関わらず墓参りにも来ないひ孫を戒めに来たのか、はたまたこちらへ来たついでにひ孫と話して帰ろうと思ったのかは分かりませんが、夢の中で私は曽祖母に近況を報告しました。すると最後に曽祖母に「人の為に生きられ(人の為に生きなさい)」と言われたのです。そこでハッと目が覚めました。
昨年の12月から就職活動を始め、今後の人生について考える機会が増えました。その中で、私が一生懸命になれるのは「人の為」に働く時ではないかと考えるようになりました。人の為と書いて偽りと言うのだ、等とよく言われますが、私はそうではないと思います。人の為に働きたい、と思える「人」がいることは、大きな強みであると思うのです。
私は慶應義塾大学に入学して、4年間サッカーをすることを選択しました。今までの3年間は同じピッチに立つチームメイトの足を引っ張らないように、引っ張らないように、と失敗を恐れてサッカーをしてきたように思います。サッカー経験の長い選手が殆どだったため、ピッチに立つ11人の仲間の中で私が1番下手くそなのだ、と消極的になっていました。今、私に残された大学サッカー生活は半年になりました。最近になってようやく、試合で得点することが出来るようになりました。ごく稀に、ドリブルで人を抜くことも出来るようになりました。そして、私でも「チームメイトの為」のプレーが出来る、と気付くことが出来ました。ボールを必死に追い掛けたり、チームメイトを信じてゴール前まで走ったり、下手くそなりの「チームの為」をあと半年して行こうと思います。そして何と言っても、「チームメイトの為」を思わせてくれた最高のチームメイト達に感謝したいと思います。
私にとって最後の関東大学リーグが目前に迫っています。今年度私が掲げた個人テーマは「為す」。4年間の集大成として何かを為すこと。チームメイトの為にプレーをすること。そして一部昇格を為し遂げること。笑顔で最終節を終えられるよう、一日一日を噛み締めるように過ごして行きたいと思います。そして、今度また曽祖母に夢で会った時、胸を張って近況報告したいと思います。
今年の大学リーグは殆どが慶應義塾下田グラウンド開催のホーム戦です。下田グラウンドは多くの方のご協力により人工芝の張り替え工事を終え、新しく生まれ変わりました。ご尽力下さった皆様、本当にありがとうございました。しかしこのホームグラウンドを本当の”ホーム”にするには多くの方の応援が必要です。是非、グラウンドに足を運び応援していただきたいと思います。
それでは会う度に頭を撫でたくなる程の癒し系女子、初心者ながら、驚くべき成長を遂げている1年の荒木麻友にリレーのバトンを渡します。ご精読ありがとうございました。

2014.11.12(4年生)
忘れられない、出会いがあります。2011年4月。富山から出て来た私は、慣れない都会に戸惑いながらも慶應義塾大学の門をくぐり、一人ぼっちでガイダンスを受けていました。ちょうど、数々のサークルや体育会が新入生勧誘に励んでいた時期。教室から出れば抱え切れない程の勧誘のビラを渡される…はずでした。大人び過ぎていて、新入生だと思われなかったのか、はたまた大学に迷い込んだ中学生に間違われたのかは分かりませんが、なぜか私は1枚もビラを渡されませんでした。楽しいキャンパスライフを夢見ていた私は、サークルに入ることすら出来ないのかとがっかりしていました。そんな時、後ろから声を掛けてくれた人達がいます。(正確には、一度前から顔を見て、女子であることを確認してから声を掛けてくれたそうですが)それが当時のソッカー部主将・杏奈さんと、我らが主将・原志帆です。前置きが長くなりましたが、今回のリレー日記はこの運命的出会いを果たした4年原志帆からバトンを受け取った、4年中﨑史菜が担当します。
忘れられない、得点があります。私が1年生の時、4年生には私と同じように大学からサッカーを始めた先輩、香織さんがいました。その年のBlossom Leagueの試合は、殆ど香織さんと私のツートップ。しかし、二人共まだ試合でシュートを決めたことがありませんでした。迎えたBlossom League日本女子体育大学戦。クロスに香織さんが合わせ、公式戦初得点。振り返った香織さんの顔が既に涙に濡れていたことや、周りの選手が次々に駆け寄って行ったことを昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来ます。香織さんの初ゴールを1番近くで見られたことが嬉しく、そして、この1点が、4年間私を突き動かして来ました。
忘れられない、言葉があります。ソッカー部の後輩に、同じ文学部で、名前に「ふみ」が付く後輩が2人います。私も含め、3人とも高校までは違うスポーツをしていましたが縁あってソッカー部でサッカーを始めました。(この3人で「ふみの会」を密かに結成しているのですが、文学部で唯一名前に「ふみ」が入らない後輩Rが怒りそうなのでここでは触れないでおきます。)「史菜さんがいなかったらソッカー部入っていませんでした。」2人のふみはこう言ってくれます。でも、私は2人を始めとする最高の後輩達に刺激を受けて、ここまで頑張って来られました。後輩達に「仲間になってくれて、ありがとう。」と伝えたいと思います。
忘れられない、一戦があります。先日の関東大学リーグ文教大学戦。「絶対に出て活躍するから、見に来て下さい」と両親に手紙を書きました。富山から両親が日帰りで駆け付けてくれた試合当日、4年間共に戦って来た同期5人が、同じピッチに立ちました。同期の佐々木優からのロングパスを同期の原志帆が受けて、ロングシュート。それがバーに当たり私の目の前に落ちました(本人曰く、狙ったパスだそう)。これが、私の大学リーグ初得点に繋がりました。
忘れられない、応援があります。TEAM2014の「一部昇格」を賭けた最大決戦、大学リーグ順天堂大学戦。会場は日吉駅から2時間のアウェイの地。そして当日は、毎回多くの塾生が足を運ぶ、野球部の早慶戦と被っていました。正直なところ、応援席を埋めることは出来ないだろうと思っていました。しかし、蓋を開けてみればホーム戦と変わらぬ数の応援団が駆け付けて下さり、中には関西から来て下さった先輩や後半ラスト5分のためだけに練習を終えてから来てくれた体育会の仲間もいました。間違いなく、ソッカー部女子は日本一応援されています。この応援の力が、私達を1部に導いてくれました。
私の4年間は、”忘れられない何か”で出来ています。そして、引退まで、一つでも多くの”忘れられない何か”に出会いたい、と思っています。今月末には、Blossom Leagueの最終節を控えています。私にとって、とても思い入れのあるリーグ。この試合も、忘れられない一戦として、闘い抜いて見せます。どうやらこのリレー日記が、私にとって最後のリレー日記のようです。4年間、リレー日記が回って来る度にその時々の気持ちをぶつけて来ました。今まで読んで下さりありがとうございました。書きたいことはまだ沢山ありますが、この辺りでバトンを渡すことにします。
次の担当は、1年生の時から自主練習に誘ってくれる心優しい同期、さすがの私も彼女の食欲には敵わない、4年副将佐々木優です。

すてっぴぃ@手紙風の日記は、奇をてらいすぎたと反省。

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