リトル・イン・ワンダーランド

「人ごみに流されて 変わってゆく私を あなたはときどき 遠くで叱って」
荒井由実 「卒業写真」

真を写すと書いて「写真」

当時は「(写真に撮られると)魂を抜かれる」なんていう逸話があるくらい刺激的な存在であった写真も、今や片手ひとつで誰もが簡単に撮れる・撮りまくれる時代に突入しており、なんなら動画ですら片手で撮って即座に全世界に公開できるレベルの未来に私達は生きている。TikTokキッズ。思えば僕らが小さい頃は、運動会や学芸会などで母が重いビデオカメラを肩に抱え、首からはカメラをぶら下げ、昭和という時代に僕らを抱えて走ったそんな貴女の生きがいが染みて泣きたくなることも、最近はちょくちょくあるんだけれど、あ、母さん、こないだは地元の玉ねぎ送ってくれてどうもありがとう。カレーにしました。という感じで、その日、我々ファミリー(私、家人、娘)は総出で写真館に来ていた。

その名もスタジオ・アリス。

こう書くと勘の良い諸兄姉らは間違いなく、気の狂ったウサギが暴れ、突然トランプカードたちが喋り始めるような世界に翻弄される我々ファミリーを想像されると思うが、それは杞憂であることを初めに伝えておきたい。なぜなら、そのスタジオで見たものは、夢見がちな迷惑小娘アリスの見るシュール満載ご都合主義の夢なんかとは程遠い、プロフェッショナルがシノギを削るハードボイルドな世界だったからである。

仕事を終え、自宅にて珍しくスーツに着替えた私、こちらも久しぶりにメイクをバッチリとキメた家人、こないだユニクロで買ったばかりの新品のムーミン柄ロンパースを着た娘、の三人は初めての家族写真を撮る為に、いささかよそゆきのテンションで近所のスタジオ・アリスに赴いていた。

開け放しの入り口に娘を載せたベビーカーを押して入ると、受付カウンターには誰も待機していない。入り口から見て左手にはベビーカー置き場。ところどころにディズニーの絵柄やバウンサー。右手には乳幼児向けのドレス類がズラーッとかけられており、お。すでになんとなく場違い。という感覚を覚えながらも、ベビーカー置き場にベビーカーを駐車。娘を抱っこしながら家人とふたり、受付で途方に暮れてウロウロしていると、奥から「ピーピーピー、バシャッ」という冷たい機械音と共に珍妙な掛け合いが聞こえてくる。

「えいんぎゃあああああああああ」

「ぶるるるうううぶるるううううるうう」

バシャッ

「えいんぎゃああああああああああ」

「ぱっぱぱぱぱっ、ぷるうううう、ぱっぱあぱぱぱああ」

ピーピーピー バシャッ

これだけ聞くと、やはり不思議の国に迷い込んだのでしょうとお思いになられる方もいるだろうが、ご心配には及ばない。これこそが、スタジオ・アリスのプロフェッショナルがプロフェッショナルな技術をプロフェッショナルして出している掛け合いであり、後述するプロフェッショナル写真技師のお姉さんと今まさに魂を抜かれているであろう他所の子供の決死の叫び声の混ざり合いであった。

家人は「うわあああ、大変。まじ大変。すげえ尊い仕事。」など些か錯乱気味に独りごちており、私も「うんうん、そうだね。なかなかできることではないよね。立派立派」などと、うわ言のようにコメントしていると、奥から、お待たせして申し訳ないっすという感じでスタッフさんが出てきた。家人がひとしきり本日の説明を受けている間、私は娘を抱っこしながら貸衣装レールにぶら下がっている子供用ドレスの類をブラブラと見学していた。

当日の流れは、娘の衣装を選ぶ→スタジオにてプロフェッショナル撮影→出来上がりの写真の中からプリントするものを選ぶという至ってシンプルなものであった。この辺り、プロセスのシンプルさにもプロフェッショナルの流儀を感じる。娘には極妻っぽい感じの紫の着物と恐竜の着ぐるみを選択し、他所の子の撮影が終わるまでしばらく待機なのだが、常設されたベビーベッド、洗いたてのバスタオルまでもが必要とあらば使ってくださいという、アリスの徹底したプロフェッショナルぶりに感動すら覚えた私は娘をベビーベッドに寝かし、脚を弄ぶなどしてキャッキャキャッキャ時間を過ごしていた。

撮影。

ついにプロフェッショナルがプロフェッショナルしている現場に足を踏み入れることになった我々家族。

プロフェッショナル写真技師のお姉さん(面倒くさいのでプシャ技姉とする)とアシスタントのおばちゃん(あばちゃん)の二人が撮影スタッフとして参加されたのだが、とにかくこのプシャ技姉が凄かった。

まず、プシャ技姉とあばちゃんは娘を台座にベルトで固定し、先に選んでいた、かたせ梨乃風の着物を被せ、被写体の調整を行う。娘もやはり多少グズグズしはじめるし、なんならカメラ目線というものを知らない。そもそもカメラを知らないので、あっち見たりこっち見たりしてどうにも落ち着かない。そりゃそうだろう、比較的自由な自宅ですらなかなかスマホで良い表情の写真を撮るのは難しい。ギャルかな?ってくらい連写機能を使うのだから、限られた時間の中で乳児の良い表情を撮るのは至難の技のはずだ。

球体型のシャッターを左手に握ったプシャ技姉は、カメラレンズの前に立ち、娘と対峙。「そこにいたら、プシャ技姉も写真に入り込んでしまうのに」と思っていると、プシャ技姉、おもむろに娘の名前を呼びかけ始める。娘がフラフラと視線を移動する。刹那、プシャ技姉は、右足を軸足に左後ろ斜め45度の角度に正確に後ろ跳ねし、カメラの裏に着地。空中にいる間、もしくは着地の寸前に球体型のシャッターを切り、ファインダーの中にはホワッとした表情の娘のみが綺麗におさまっているという寸法。

一瞬のことで何が起こったかわからず、家人とふたりオロオロとしていると、プシャ技姉は「こんな感じで何枚かいい感じの表情を収めていきますんで」と明るく親しみのある声で述べたか述べないうちに、すでにカメラレンズの前にポジショニング。なんと今度は右手に鈴のついたタンバリンを持ち、これを鳴らしながら自身の唇を震わせて「ぷるうううううる、ぷるうううるるううう」と、道化を演じてみせる。娘の表情が和らぎ、しっかりカメラの方向に笑いかけているなあ、とほのぼのと見ていると、その瞬間にプシャ技姉はカメラの裏に戻っており、すでに一枚シャッターが切り終わっているのだ。

「ぷるうううううぷるうううう」「シャンシャンシャン」

ピーピーピー バシャッ

「ぷるううぷるうううう」「ぱっぱっぱぱ」「ぷるううううぷうるうう」

バシャッ

プシャ技姉は始終、くノ一の如き動きで、シャッターを切りながら軽やかに前に後ろに飛び跳ねている。繰り返される見たことのない光景を前に、私は彼女のプロフェッショナルな振る舞いに感動していた。

「ブッ殺すと心の中で思ったならその時スデに行動は終わっているんだ」

突然いささか物騒な物言いで申し訳ない。これはプロシュートという異国のヤクザ者の弁なのだが、ヤクザ者としてのプロフェッショナルが凝縮されているセリフだと思う。そしてその精神はこのスタジオでも継承されていた。すなわち、「撮る」と心で思ったなら、スデにシャッターは切られている。プロシュート兄貴とプシャ技姉。並べてみると字面が良い。

プシャ技姉の技に魅せられ、あっという間のワンダーな時間を過ごした我々は撮影を終え、写真を選んだ。家族写真、着物の写真、恐竜の着ぐるみを着させられている写真など8枚ほどをチョイスし、両家の実家にも2枚ずつプリントして頂き、お会計。

「ッ!!?」

プロフェッショナルな技術にふさわしい額のお代に多少腰が引けた我々ではあったが、「写真を撮りながら、一流のエンターテイメントを見られたのだから」と家人と納得して、帰宅。

「えいんぎゃあああああ」

「ぷるるるる、ぷる、ぷるうるるる」

本格的なカメラの前で初めての女優業に疲れたのだろう。その夜は娘のよく響く鳴き声と家人の覚えたて素人芸の掛け合いが繰り広げられおり、その場で下手くそなステップで前に後ろに跳ねる私。他の人が見たら気が触れているとしか思えず、よっぽど我が家のほうが異様な光景であった。わんだあ。

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