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第36号『ユア・ストーリーは誰の為の物語か?』


ドラゴンクエストⅤは歴代ドラクエの中でも人気が高く、それを題材にした『ドラゴンクエスト YOUR STOЯY』が映画化と聞いたときは不安と期待が入り混じるものの、なんだかんだでその期待値は大きいものだったのではないでしょうか。

そして”永遠に尽きない課題ともいえる、嫁はビアンカか?フローラか?問題”。学校でもどっちの嫁派かで意見が割れました。デボラ?そんな新参者は知らん。あと映画でベビーパンサーの名前もどうなるのか?とか

これだけでも嫁2択、ベビーパンサー名前4択なのでプレイヤーの選択で計8通りの組合せがあり、各々がプレイした記憶だとみんなバラバラの組合せになってる筈なので、どう頑張っても「ユアストーリー」にはならない訳です。その辺どうするんだろう?とか思っていました。

そして最初に言っておきます。

自分は『ドラゴンクエストⅤ天空の花嫁』をプレイし、クリアしたプレイヤーではありません。

当時は、両親がゲームというものに理解がなくドラクエVどころかスーパーファミコンすら家にはありませんでした。

なのでドラクエVの物語を知らないのか?と言われれば知っています。面白いのは明らかなので友達の家に通い、友達がプレイするのを眺めていたのでストーリーはほぼ知っています。友達がビアンカ派だったのでビアンカルートしか知らないという欠点はありますが。他にもドラクエⅤの漫画なんかも多くそれらを当時読み漁った記憶があります。

今日は思い入れのあるプレイヤーほど怒りを我慢できなかった映画『ドラゴンクエスト YOUR STOЯY』について話をしましょうか。

この先はネタバレを含みます、あしからず。

プレイヤーで無かったが故に、一歩引いて冷静に映画を観る事が出来ました。加えて地雷映画だという事を事前に知っていたので覚悟完了していたのもあったのかもしれません。

ユア・ストーリーにドラクエ愛は無かったのか?

「そこに愛はあるんか?」アイフルCMに出演している大地真央さんばりの台詞を言ってしまった人もいるでしょう。

◆自分がドラクエ愛を感じた部分

例えば「天空の剣」初めてそのデザインを見たとき剣先ほど太くなってるのでピッタリ収まる鞘だと絶対抜けないだろそれ?wとか思ってましたが今回の映画で解決。なるほどそういう鍔部分と剣先部分が展開ギミック式の剣なのか、これはこれでありだなとCG部分に関しては少なくとも愛を感じました。

ビアンカとフローラも主人公が好きなくせに、互いにお節介焼いてしまうあたりしおらしくて良かったです。ビアンカのお姉さんぶる所とかめちゃめちゃ良くなかったですか?髪形が変わったことに対して自分はすんなり受け入れれた方でした。ただキャラのCG造詣については好みが分かれそう。個人的にはもう少しゲームキャラ寄りにして欲しかったかな。中の人に寄せたんだろうか。

個人的には愛がある部分もいくつか感じ取れましたので全く愛が無いというのは言いすぎかなと。

では何故こんなにも鑑賞者(ドラクエファン)とこの作品が乖離した物になってしまったのか?

見解の相違によって生まれた不幸な事故

確かにストーリー面は酷い言われ様です。物語には「起」「承」「転」「結」があります。そして自分は「転」が酷い事を事前に知っていたからの感想かもしれませんが「転」以外はそんなに悪くなかった。BGMはそこの場面はもっとこうだろ!ってのは幾つかありましたけれど。ただ散々言われるように『転』が酷かった。その手法はこの手の作品では水と油なのです。

”フィクション世界と現実世界のメタ的な構造における争い”という舞台装置が機能するのは最初からそれを軸に作られた作品のみです。もちろんただリメイク映画にするのではなく、今風のテイスティングを入れたかったという挑戦もあったのでしょう。その攻めの姿勢は買います。ただし、過去にも同じ手法で大火傷した作品が幾つもがある事を知らないのか?と疑問点も。

作り手側としては物語の「転」でわざと”ゲーム文化”を一度強く否定することでフラストレーションを溜め、「結」で再び肯定する事で得られるカタルシスを狙って作品を着地させたかったんだと思います。

けれど「転」の仕掛けが、ファンが望んでいたものとは余りにかけ離れて過ぎていて、舞台装置が全く機能せず、狙った所に着地できずに頭から地面に突っ込んでしまった結果に。そしてそのダメ押しが、冒頭がダイジェストだろうと、中の人が多少棒読みだろうと、好きだった幼少期のシーンが丸々カットされようと、色々我慢してきた人達のフラストレーション許容値を超えた原因なのだと思います。

だってそれをされてしまうと、悲しかった父親の死も、自分が人生を共にする伴侶を決めた時のドキドキも、初めて我が子を抱き上げた重さや体温から伝わる暖かさ、その全てが安っぽい作り物になってしまうからです。主人公は、うんこの匂いがするVRゲームやってただけと言われても何もいえない。

どういうことか?なぜこんな事故が起きたのか?

製作側は『ドラゴンクエストⅤ』を国民的RPGの”ゲーム”として捉えており、鑑賞者(ドラクエファン)は『ドラゴンクエストⅤ』を自分がプレイし体験した”物語”として捉えていたからではないか。

このわずかな認識の違いこそが、製作され”上映された映画””ファンが観たたかったドラクエ映画”の決定的な差であり、作品が乖離した物になってしまった原因なのかなと。ファンが観たかったのは物語のみ、ゲームが素晴らしいコンテンツだなんて事は言われまでもない、余計なお世話だと。

例え凡作と罵られようと”王道の物語のみ”で勝負すべき作品だったと思います。実はVR世界でした!なんて邪道展開は要らなかった。それはドラクエⅤの物語を純粋に楽しみたかった人からすれば不純物以外の何者でもないからです。物語を削ったり脚本を変更するのは尺的にどうしても仕方が無い部分があったのでそこを責めてる人は殆どいません。監督が原作をプレイしていない事については特にいう事は無いです。その為に他のスタッフがいるのですから。

ただ『ドラクエⅤ』を他のRPG作品と比べるとゲーム内で体感する時間の流れが圧倒的に長い作品だったという事を知っていて欲しかった。

RPGはクリアまでのどの作品もプレイ時間が大体平均30~50時間です。ただしそれぞれのRPG作品内の世界の時間の流れが全然違います。

特に『ドラクエⅤ』は主人公だけでも幼少期、青年期、そして壮年期という人生の半生をかけて冒険している他に類の見ない長編作品なので。

まとめ

よって今回の大炎上は『ドラクエⅤ』を一つのゲームと捉えて映画化したので、VRゲーム要素を入れたり、ゲームそのものを否定する敵が登場したのかなと。そして共感出来るプレイヤーを登場させる事で「YOUR STOЯY」にしたかったという意図も汲み取れました。けれどゲームという括りでは同類項だからイケる!皆驚くぞ、とその発想から作ったのかもしれないけれど、それら2つは似て非なるものです。

料理で喩えるなら、カレーにシチューを混ぜたって美味しくならないのと同じです。皆が食べたかったのは昔あの店で食べた”懐かしのカレー”だったのかもしれません。そこへアクセントとして少量のスパイスを加えるのは良いでしょう。けれどカレーの味そのものを変えてしまう調味料を使ったのでは意味が無いのです。

この作品の原作『ドラクエⅤ』を一つの物語として捉えて映画化していれば、この展開や酷評には至らなかったような気がします。

今後もゲームを原作にした映画を作ったりするのであれば、その時は「原作が好きで好きで堪らない!」と豪語する人に監督をやってもらい映画化して欲しいかなと。

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