間接セラピー
心にぐさぐさ。
この前見たある映画のセラピーの場面で、「美しくて賢くて完璧な彼女が、深く関わることで完璧じゃなくなってしまうのが嫌だ」と理由をつけて好きな子に近づかない主人公に対して、セラピストが「彼女じゃなくて、自分自身が完璧でないことを知られるのが怖いんじゃないのか」と問いかけていた。
「わーーーそれなーーー」と思った。自分のことを知られるというリスクを冒せない、プライドが高いからしょーもない奴にそのリスクを冒したくない、もはや自分の不完全さを知られたくないというより知りたくない。
なぜ宅飲みに拒否反応を抱いてしまったかって、それは宅飲み坊やに興味がないからではなく、そういうことを受け入れちゃう自分を知るのが嫌だから。いや、好きでもないのに受け入れちゃう自分?そういうことを軽々しく言える奴を受け入れちゃう自分?彼氏が欲しいからという理由で乗っちゃう自分?いい女とはかけ離れた自分?自意識が肥大化している私は、宅飲み坊やじゃなくて、そんな私自身を受け入れられないんだと思う。
こんなことをちまちま考えているのは、宅飲み坊やに多少なりとも興味があったからで。別に悪いことでもないし。ちょっとの興味で飛び込んでみればいいのに、その先に何かしらのリターンがあるかもしれないのに、ただただリスクが冒せない。そのセラピストによると、そういうやつは一生1人ぼっちらしい。
バッシングにもストーカーにも耐えるので、ゆづくん(笑)結婚してくれや。
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