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【Vtuber】別にパパママ呼びしてもいいですよって話

別に個人の問題じゃない?


先日、ドチャクソスパイシーなタイトルのnoteが公開されて話題になった。

タイトルだけ見ると「パパ・ママ呼びが気持ち悪い」
序文だけ読むと「親子みたいな繋がりは不適切」。

まあ何とも燃えやすそうな題材と主張だ。
一部のクリエイターは反論するだろうし、そもそもVを不快に思っている層も乗っかってくるのでしばらく燻り続けるだろう。

「この記事もそういう"乗っかり"の一つだろう」

そう思われる方も居るだろう。私はそれを否定しない。
事実乗っかるわけだし。

この記事で述べたいことは次の通りだ。

・別にパパママ呼びは悪くない
・問題点は他にある
・問題を解決するにはどうするか

それぞれ順を追って記述する。

別にパパママ呼びは悪くない

「クリエイターをママとかパパとか呼ぶな気持ち悪い」

まあわからないでもない。
自分の娘や息子ならともかく、血の繋がっていない10代半ばから20代以上の男女だ。
リアルの印象だけを元にすれば、確かに「大きな子供」みたいでちょっと不気味な所はあるかもしれない。

だが、そんなものVtuber界隈じゃ今更である。

いい歳したコンビニバイトのおっさんが狐耳幼女になって股を見せつけ女性のパンツ捲ってるのを良しとしてきたのがこの界隈だ。
最近ではおじさんをかわいがってメスにするのを楽しむ層すら居る。
「気持ち悪い」は止める理由になり得ない。

原文では別にタイトル以外で気持ち悪いと書いていないものの、タイトルが独り歩きしているので一応。

Vtuberで気持ち悪いと思われることを怖がっていたらギバラは今頃吐いてないし清楚である。

本当に悪いのは無責任な発言か

「パパママ呼びは別に悪くないよ、気にせず使っていいんだよ」と述べ終えたところで、本題に入る。

「本当に悪かったのは何だったのか」
あるいは
「原文の著者が述べたかったことは何か」

原文では「パパママ呼びによって"親子関係"のような認識が生まれ、そのせいで実際の親子のように無償の愛を注がなければならないような錯覚が生まれる」といった論調が綴られている。

これは「親子関係」が必ずしも悪い訳ではない。
問題は「無償の愛」だ。

実際の親子関係ではそれこそ何百万と金が動く。
だからこそ無償で服を渡して見た目を整え、愛を注ぐのである。

Vtuberでの「親子」は数万から数十万程度の依頼を行い、それを請け負った関係でしかない。
そこには金銭的に見て、行きつけのコンビニ程度の縁しかない。

たったそれだけの関係でしかないのだから、何でもしてもらうどころか関係性を明記できるだけでも異常だと言える。

「行きつけは駅前のコンビニです!→@XXXX」
「うちのコンビニによく来てくれる人です!→@YYYY」

なんてプロフに書くだろうか?普通は書かないだろう。

ただ、これが成り立つケースが一つある。
駅前のコンビニ、つまりパパママ側が申し出た場合だ。

「うちによく来てくれて嬉しいです!プロフに乗せてもいいですか?」

これなら自然だ。

要は「パパママ呼び」はパパママ側、クリエイターから申し出て行われるべきものである。

「私をママって呼んでください!」と言った上でパパママ呼びが行われているのなら、比較的健全で気持ち悪くもないのではないだろうか。
少なくとも、「子」側が勝手に呼ぶよりは。

根本的な問題は何か/解決するには?

論点がズレてしまったが、根本的な問題は
・無償の愛を勝手に求めてくる点
・行動を子によって縛る点
この2つだ。

クリエイター側は「そこまでの金は貰ってない」と言い切って断れば良い。
のめり込み過ぎなければ問題はない。

一方で、クリエイターと対になる「視聴者と子」の側が問題になる。
関係性によって無償の愛を求めたり、「○○が悲しむから」と行動を束縛したりしないようにするにはどのような心構えが必要になるだろうか?

1.クリエイターに無償で依頼するな

まず、クリエイターに無償で依頼しないことだ。

MIX師だろうと絵師だろうと文字書きだろうと、クリエイターは誰だってその創作にコストを掛けている。

仕事でなければ赤字なのである。

だからこそ、我々はクリエイターにタダで仕事を依頼してはいけない。
クリエイターがタダで仕事をするのはそれが何かしらのリターンを得られる時だ。
趣味でイラストを描くのも、「楽しい」という立派なリターンがある。

「○○ちゃん描かないんですか?」とかもそうだ。クリエイターにタダ働きをさせるとそのうち死ぬ。

2.他人を使って自分の主張をするな

某クソゴシップ野郎と騒音おじさんのコラボの時だってそうだが、

「○○は界隈の癌だから関わるな」
「○○と繋がるとかファンのこと考えてないんですか?」
「○○ちゃんが悲しみますよ」

みたいな発言がまれによくある[要出典]。

これらは全て自分の主張を他人に転嫁している。
「自分が嫌だから止めてほしい」を言い換えているに過ぎない。
ダシに使われた方はたまったものではないし、何より言葉が軽くなってしまう。

主張は、自らの言葉で行うべきだ。

それが例えクソゴシップだろうとその抑止だろうと、である。


まとめ

・お前がパパママって呼んでるそいつとはそんな深い関係じゃない
・クリエイターにタダ働きをさせるな
・主張は自分の言葉で

以上。反論や怒られはDMで受け付けます。

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