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撮るものがない、田舎で住むということ

ボクの実家はいわゆる田舎。
歩いて行けるところに商店がないし、もちろんコンビニもない。かろうじて自動販売機があるくらい。あえて誇れるものと言えば、無駄に豊富な自然なくらいだけど、それももっと田舎の過疎地域に比べれば地味に住宅街だし、かと言ってそれほど密集して住んでるわけじゃないから商業的に成り立っているエリアでもない。
つまりどっちもつかずの中途半端なエリアなんだと思う。

生活する分には「中途半端な田舎」って実は便利で、基本は車生活だから近くに商店がなくても車でちょっと走れば大きなスーパーやドラッグストアがあったり、仕事も車通勤で30分くらいで通えちゃう。
ほとんどのお店や飲食店は、大きな駐車場を備えているから入店するのに時間もかからないし、大きな荷物も車で楽ちんに運べちゃう。
特殊なものや高価なものは簡単に買うことはできないけど、最近はネットで買えちゃうからそれほど不便には感じない。
だからボクは意外と本心から、友達に田舎で生活することを事をおすすめしてる。

唯一、撮るものがないこと以外は。

ないわけではないけど、ない

スナップメインで撮影しているボクは、日常の中でいつもと違う視点を探して決定的な瞬間をスナップすることを目標にしている。
だから「田舎だから撮るものがないんだよね」って主張に、言ってることとやってることが違うじゃん!って思う人もいるだろうけど、それは仕方がない。
ボクも自身の気持ちを昂らせるために、自らに嘘をついて田舎でスナップをしてきたけど、もうそろそろちゃんと、正直に言った方がいいと思うんだ。

田舎はやっぱり撮るものがない。

変わるものと変わらないもの

「諸行無常」

ボクが好きな言葉。世の中の全ては常に移り変わって、永遠に変わらないものはないこと。全ては常に変化していくんだから、変化することを受け入れて、今この一瞬に常に感謝していたい。

でも田舎の風景は変わらない。歩いても歩いてもどこまでも続く田園風景。同じ景色、似たような建物、草、草、草。
スナップは、被写体との距離の取り方が主題だと思ってるけど、遠くの山並みと近くの草。おわり。

片方で変わり続けているものもある。それは空き家。ある時から居住者がいなくなって放置されるようになり、風雨にさらされて少しずつ朽ちていく家屋。屋根がたわんで来てある時に落ちてしまう。
建物の中が丸見えになってもしばらく放置される。そしていよいよ全面倒壊するかってときに、解体されてそこは小さな更地になる。
オセロで黒から白に変わるように、ボクのみる風景にポツポツと空白ができていく。

スローな時間の流れ

こう書くと田舎は時間の流れがゆっくりだからストレスフリーでいいよね、って思う人もいるだろうけど、田舎でも都会と同じように時間は流れているし、普通に仕事してるから毎日追われてる。
逆にお店が閉まる時間が早いから、仕事終わりに適切に買い物しないと買えないものも出たり。

それでも時間の流れがスローだと感じるのは、やっぱり街や風景の変化が年単位や季節単位でしか変化していかないことと、ボク自身の移動に伴う変化がほとんどないことに起因しているだと思う。

ゆでガエルのように、ゆっくりと死んでいく感覚が田舎にあるのもその辺の時間感覚が原因なのかもしれない。

田舎に住むことの覚悟

都会に住んでると、田舎に住むことに憧れてる人は多いけど、もう一度ちゃんと考えることをおすすめするよ。

絶景は身近にいくつかあるけど3回行けば満足するし、毎日ステーキを食べられないのと同じで飽きてくる。

特にカメラ趣味の人にとって都会は魅力的だし、いろんな被写体がある。
今現在そんな環境で生活している人は、自分の「当たり前」に感謝して毎日スナップした方がいいよ。

そんなボクも今は帰省してるだけだから、また名古屋に戻ったら感謝してスナップしたいと思うんだ。

撮影機材

動画撮影機材として考えてたX-T4だけど写真を撮るのもやっぱり楽しくて今回の帰省で持ってきた。特にシグマのズームレンズは軽くて小さくて便利だよね。


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