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神の子って、赤ちゃんだったのか?

たかちゃん、ゆうこりんとつながる機会があり

たかちゃんがフランセスとカースティンのリトリートの後で経験したという
「言葉にならないくらいの、どこまでもすっっごく安心の感覚」
をシェアしてくれた。

それを思い出して話すたかちゃんの声のバイブレーションに触れて
私もそれをプチ体験していた。

この感覚を、1時間に5分間「感じたい」と求めて祈ったなら、これはすごいことになる……



その祈りの中で
聖なる幼子のビジョンを見た。

これまで「幼子イエス」というのは私の中で何らかの聖なるシンボルとして機能したことはなく
クリスマスのときによく見かける図だよね。
程度だった。

なんなら「救い主であるイエス様を赤ちゃんという位置付けにしておく意味がわからん」とすら考えていた。
だって赤ちゃんなんか、かわいいだけで役に立たないじゃん
と思ってた

でも、
【無知で気楽で養われる神の子】
というフレーズは
赤ちゃんそのものであるし

もしかして
私がイメージしていた
マインドトレーニングと浄化の末に達成される、研ぎ澄まされたクリスタルのようなカッチリした「(正しい)聖なる神の子」像みたいのは
全く間違っていたのかもしれん

と呆気にとられる感じになった


神の子って
もっと
Sweet💕で
ふんわふんわの
赤ちゃん みたいな
可愛いかんじなの
…?



そういえば「自分にやさしくする」系の動画で、カースティンとかがそんなようなことを話していたような…?(あいまい)



愛される神の子のイメージ


こんなかわいい赤ちゃんが

「私は罪を犯した」
「世界をつくって破壊した」
「お父さん(神)に背いた」
とか
主張にムリがあるし

「立派な〇〇にならねば」
「うまく〇〇せねば」
とか

いやいや、赤ちゃんは
いいこいいこされてれば
それでいいんじゃない?

いいこいいこされてたら
それだけでええのよ

てなった


もう今日一日ずっと
赦されてるかんじでおだやかだった

抱きしめられてる
やさしいかんじ

耳に入る曲の歌詞も
「Nobody loves you Like I do」
(私みたいにあなたを愛する人はいないよ)
とか

目に飛び込んでくる看板
Mahalo(ありがとう)
とか


葉山の海から見た富士山



文教堂のGakkenポスター「行ける」

「行こう」


あちこちに散りばめられた聖霊からのメッセージを拾っている

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