How beautiful you are

仲間のブログを読んで泣いている
心が震える

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こうすけさんブログ


じゅんちゃんブログ


2023年12月のギャザリングで感じたのと同じバイブレーションを、二人のこの記事から感じる気がして、うおおお…!となり勝手に貼りました。

12月のギャザリングでは、その後ずっとありがたさが押し寄せてきて泣いてたので、なんだかよくわからない。


私の性癖はうつくしいものや聖なるものに触れることで、
子供の時からその興味の対象は変遷があって、いまは読書以外はそんなに関心がなくなったけれど
パワーストーン
着物
楽器
読書
神社めぐり
水辺や海辺

↑全部に共通していたのは
「圧倒的に、美しいもの、聖なるものに、溺れるようにひとつになり、ひれ伏したい」
という欲求だ。

これは私の抗いきれない本能で、好きなものは好きだからどうしようもない。倫理観もとぶ。私は美女が大好きだし赤ちゃんも大好きだ。ぴかぴかした命の奥に見える神の光が私をどんどん恋に落とす。
しかし「私が震えるような美しさ」と造形そのものの形の上での美との間にはまったく相関関係がないんだということを、そのうちだんだん理解してきた。
私が見たいうつくしさは、造形そのものではなく【かみさま】の気配らしい、ということに気づいたから。

【かみさま】の気配のするものを、いつも追い求めて来た。

何もかもわからないけれど、
仲間たちのうつくしさが、私を震わせる。

昔、香港人の彼氏と二人で映画館へ行って、当時人気だった恋愛映画を観たことがあった。
私は手をつないだ彼ととにかくイチャつきたかったので、映画の内容がクソつまらなかったという記憶しかなくて(タイトルも忘れた)
「自分が恋愛真っ最中のときって、恋愛映画観てもまったくつまらないじゃん。うちらの人生のほうがロマンチックだもん」という結論を得たのだけど

もしかすると
神様と生きると決めることは
これまで知り得たすべてを凌駕するうつくしさとおもしろさを与えてもらい続けることなのでは…?
という感覚が、かすかにわいている。


それが本当かどうかはこれから実地で検証します。


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