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ふたたび「花に追われた恐竜」(2)

 すいません気づいたら2年近く放置してました。 

 いやまあ、うじゃうじゃ。

 断片的に書いたものをまとめていたのだが、いかんせん昔の話なおかげで何度書き直しても同じことを何度も言っているパラグラフなどができてしまったりして整理するのに一苦労だったりしたのである。
 とにかくnoteを再開してみたい。

 「花に追われた恐竜」という番組がいかに恣意的につくられた番組だったかというところは、前回のエントリで指摘したポイントだけでもよくわかったいただけたと思う。それは、恐竜に関する知識以前のレベルの話である。
 ところで、金子氏や冨田氏から「花に追われた恐竜」に寄せられた批判というのは、そんなレベルの話だけだったのだろうか。
 もちろんそんなことはない。このエントリでは、落ち穂拾いというか、前回はあまり触れなかったもう少し細かい話について書いてみたいと思う。

 論点はいくつかあると思うのだが、ここではこのうち二つにスポットをあててみたい。

 前回も紹介した金子隆一氏の「最新恐竜学レポート」の中の「花に追われた恐竜」批判としてかなり多くの紙幅を割いて反論しているのが、竜脚類はジュラ紀で絶滅したのかどうか?という問題である。まずここから見ていきたい。

竜脚類はジュラ紀で滅んだのか?

 前回のエントリでも詳しくとりあげたように、「花に追われた恐竜」で花に負けた恐竜としてスポットをあてたのは竜脚類である。竜脚類、というのはいわゆる「カミナリ竜」のことですね。
 竜脚類というとジュラ紀の恐竜、というイメージが強いのは確かである。 というか、少し前まで、有名な竜脚類というのはだいたいジュラ紀後期のものと相場が決まっていた。ディプロドクス、ブラキオサウルス、アパトサウルス、いずれもジュラ紀後期の恐竜である。そして白亜紀の竜脚類というのはあんまり名前が出てこない。これは「花に追われた恐竜」の放映された90年代半ばだと今以上にそういう傾向が強かったと思う。
 ここに、「花に追われた恐竜」が付け込んだポイントがある。

 一方、「花に追われた恐竜」が語り草になるレベルで悪名高い理由の一端があるんじゃないかと推測する。カミナリ竜といえば、ある種ロマンである。それを敗者として、しかも「哺乳類」のアテ馬として書かれたことに不快感を抱いた恐竜ファンはたぶんNHKが予想した以上に多かったのでは二か。

 それはさておき、この問題について金子氏は「最新恐竜学レポート」でどのようなかたちで批判が繰り広げたのだろうか?

 「最新恐竜学レポート」では、まずD. Weishampel編「The Dinosauria」の第2版という資料を参考にしてジュラ紀後期と白亜紀前期の竜脚類の多様性について検証している。前回のエントリでも触れている話なので繰り返しになってしまうのだが、この資料に基づいて比較するかぎりではジュラ紀後期の北米で4科11属(疑問種を除く)いた竜脚類は白亜紀前期になると1科1属しか見つからなくなってしまう、という。その1種というのも、巨大さで有名なブラキオサウルス科の中で非常に小型のプレウロコエルスである。
 ジュラ紀後期に生息していたという4科の内訳は、「ケティオサウルス科」「ディプロドクス科」「ブラキオサウルス科」「カマラサウルス科」である。このうちブラキオサウルス科をのぞく3科がジュラ紀末で姿を消したというわけだが、これは本当だろうか?というのが金子氏の論点のひとつである。

 問題はふたつ。まず、これはあくまで北米だけのデータだということだ、ということ。もう一つは、この資料はやや古い(当時の時点で)ため、より新しい化石資料を考えに入れるべきだということ。北米以外ではどうなっているのか?

 まず最初に注意しておかないといけないのは、この話はやや古い恐竜の分類に基づいている、ということだ。
 恐竜の分類というのはけっこう時代につれて変化している。肉食恐竜がカルノサウルス下目とコエルロサウルス下目に分けられていた時代というのはそれほど遠い昔ではないが、今ではこれはほぼ放棄された2分法となっている。おれが小学生のころには、今当然のように使われている「テタヌラ下目」や「ケラトサウルス類」などといった分類はまだほぼ目にかかることはなかった。
 それがさらに下の「科」レベルとなると、本や著者によってもだいぶばらつくのは当然である。そもそも金子氏じしんは、2010年に出版された「恐竜の世界」という本では「科」レベルの分類を古いやりかたとしてほぼ退けて分岐分類に基づいて「類」でそろえた分類法を採用している。
 これはこれでやりすぎではないかという気もするが、今回はさておく。


 まず、ブラキオサウルス科の恐竜は白亜紀になってからも生息していることがわかっている。それはプレウロコエルスに限ったことではない。プレウロコエルスはブラキオサウルス科の中でも小型なので、いかにも「衰退した末裔」という感じを思わせるのだが、実際にはサウロポセイドンやソノラサウルスといったブラキオサウルス科の恐竜が白亜紀前期の地層から見つかっている、ということを金子氏は指摘している。ちなみにこれは金子氏は書いていないのだが、肝心の?プレウロコエルスの方は化石が不十分ということで、今では疑問種として扱われることが多い。
 いまのところ、ブラキオサウルス科の恐竜として最も新しい時代に見つかっているのは上にも名前が出ているソノラサウルスで、これはアルブ期~セノマン期(約9500万年前)のアリゾナに生息していた。金子氏がずっと後になって出版した「図解 恐竜の世界」によると、白亜紀後期のカンパニア期まで生息していたという説もあるようだが、これについてはよくわからなかった。

 ディプロドクス科は少し話がややこしい。金子氏は「最新恐竜学レポート」で白亜紀に入ってからのディプロドクス科が生き残っていた証拠をいくつか挙げてディプロドクス科がジュラ紀で絶滅していない可能性もあるとしているのだが、これについてはいずれもどうも説得力がないようだ。でもまあ、一応紹介しておこう。

 まず、ディプロドクス科の特徴があるとして紹介されている白亜紀後期の恐竜、アンタークトサウルスの存在を指摘しているのだが、これは金子氏じしんも留保しているように今ではティタノサウルス類だと考えられている。また、イギリスのワイト島で見つかった竜脚類の化石がディプロドクス類の特徴があるようだという話も紹介されているのだが、これはその後ディプロドクス類だと推定した根拠とされていた特徴がより広い竜脚類でみられるために必ずしもそう言えないのではないかと考えられるようになったようだ。しかもいまだに命名されていない。どういうこと?

 白亜紀の地層からバロサウルスが発見された、という報告が1990年にあったという例も取り上げられており、本当だったら興味深いのだが、これについての情報も調べてみたのだがよくわからなかった。金子氏も「その後の報告はない」としているので、基本的に怪しいと思われる。

 最後に白亜紀後期の地層から発見されたディプロドクス科、ディスロコサウルスの報告があったという話。これは金子氏じしん「かなり怪しい」「現在では多くの研究者が、これをモリソン累層産の誤りとしている」としているように、報告間違いのようだ。

 竜脚類の専門家であるアップチャーチが2009年に発表した論文の中でも、ディプロドクス科はジュラ紀と白亜紀の境界で滅んだと考えられてきたという記述がある。つまり、このあたりは金子氏のほうがやや早とちりだったうおうだ。

 じゃあディプロドクス科がジュラ紀末で絶滅したのかというとそれもまたちょっと早とちりということになる。というのは、ディプロドクス科の姉妹群にあたるディクレオサウルス科やレバッキサウルス科はもっと遅くまで生息していた。これらはまとまってディプロドクス上科というクレードを構成している。どちらも北米には生息していなかったのだが、アジアや南米などを中心に白亜紀前期に繁栄していた。

 でもそれは一つ上の分類じゃないかと言われるかもしれない。その通りである。ただここで少しややこしい話になる。

 この資料自体はちょっとあたることができないのだが、うまいことに同じ「The Dinosauria」第2版を下敷きにして作られた恐竜の小事典が「図解 恐竜ATLAS」(PHP、1997)に収められている。これを参考に比較的進化した竜脚類の分類がどうなっているか見てみると、ネメグトサウルスもレバッキサウルスもディプロドクス科に分類されている。つまりこの資料では、ディプロドクス上科に相当する恐竜が「ディプロドクス科」で包括されており、それ以上の細分された科に分かれていなかったのだ。それもそのはずでディプロドクス上科の下に4つの科をおく分類は1995年に提唱されたものであって、1992年の資料にはないのである。
であるので、この資料で系統樹を作るならば、ディプロドクス科は白亜紀後期まで生息していたことになる。

 まあこの「The Dinosauria」の分類は金子氏も絶対視していないというか「少し前の分類」という感じで修正されていくことありきで使われているし、実際問題その少しあとのページの系統樹ではディクレオサウルス科とレバッキサウルス科とネメグトサウルス科は独立した科として扱われており、いずれもディプロドクス科から分かれて白亜紀に生息しているように描かれている。一冊の本の中ではもう少し統一してほしいところ。
ただ、少なくとも「The Dinosauria」の中での分類を踏襲するならば、そもそもこの時点でディプロドクス科はジュラ紀末に消滅していないということになる。

 なお念のため補足すると、これはあくまで2001年時点の話なので、今ではネメグトサウルスはティタノサウルス類に属することがわかっている。ネメグトサウルスは白亜紀末のマーストリヒト期の恐竜なので、これがティタノサウルス類に再分類されたことでディプロドクス上科の存続した期間はだいぶ短くなってしまった。いまのところわかっている最後に生息していたディプロドクス上科はレバッキサウルス科のノプシャポンディルスで、これは白亜紀後期のはじめごろに生息しており、遅くともコニアク期に途絶えてたとされる。

 さらに余談になってしまうが、このいっぽうで、2014年に「本来の」ディプロドクス科に属する恐竜がアルゼンチンの白亜紀前期にあたる地層から発見された。これはレインクパルと命名された。結局ディプロドクス科がジュラ紀末に消滅したというのはまた覆されてしまったというわけである。

 話を戻します。
 次にカマラサウルス科である。一昔前の恐竜の本ではかなりポピュラーな分類だったと思うが、今では1990年代に比べて竜脚類の進化についての研究が進んだだいぶ結果、あまり使われていない科になってしまった。
 ここでは竜脚類の進化に深入りはしないが、ジュラ紀に原始的な竜脚類からまず分かれたのがディプロドクス上科で、そこから進化したグループがマクロナリアというクレードである。マクロナリアというのは「長い鼻孔」という意味で、ほら昔の恐竜図鑑で、ブラキオサウルスなどの鼻の穴が目の上にあったイラストがあったでしょう。あれです。今はあの復元は正しいとされないけど。

 今ブラキオサウルスの名前が出てきたが、このマクロナリアから次に分岐するグループがブラキオサウルス科である。これより少し原始的な恐竜がカマラサウルスやそれに近縁な恐竜となる。つまり昔と違い、ひとまとまりの系統として扱いにくいところにいるのである。さらにややこしいのは、(ほかの科の恐竜でも少なからずそうだが)分類が変わっていることが多く、特に、当時はまだよくわかっていなかった後期のグループ、ティタノサウルス科に属する恐竜がほかの科に見なされているものが多い。白亜紀のものは特にそうで、たとえばユーヘロプスは白亜紀前期のカマラサウルス科の恐竜と「恐竜ATLAS」では分類されているが、最近はブラキオサウルス科とティタノサウルス科の中間にあたりにおくことが多いようで、カマラサウルスからはだいぶ遠くなってしまった。

 でもまあ「恐竜ATLAS」でカマラサウルス科とされているものに関して言うなら、この時点でもオピストコエリカウディアが白亜紀後期の恐竜となる。そのほかアラゴサウルスとコンドロステオサウルスという恐竜が白亜紀前期に発見されている。オピストコエリカウディアは今ではティタノサウルス科に近いとされるが、アラゴサウルスは原始的なマクロナリアでカマラサウルスに近い。コンドロステオサウルスはそもそも化石が断片的なのだが、もう少し進化が進んでいるようだ。後者二つはどちらも遅くともバーレム期くらいまで生息していたので、いずれにせよこのころまで生きていたということになる。

 最後にケティオサウルス科だが、これはここまでの恐竜は逆にかなり原始的な竜脚類である。おおむね、ディプロドクス上科とマクロナリアとが分かれるより少し前の段階にあたる。ジュラ紀後期に北米にいたとして名前が出てくるのもハプロカントサウルス1属に限られる。金子氏はアップチャーチの研究をもとにカマラサウルス科にごく近く、本来のケティオサウルス科はもっと早く滅んでいたという見方を紹介している。ケティオサウルス科の扱いはこれまた色々な見方があるのでちょっとおいておくとして、ハプロカントサウルスの分類の位置づけも研究によってバラバラである。原始的なディプロドクス上科、原始的なマクロナリア(これならカマラサウルスに近縁ということになる)、ディプロドクス上科とマクロナリアとが分かれるより少し前の段階(これならケティオサウルスに近縁ということになる)、とこれじゃあどこもありじゃないかということになるが、最近ではディプロドクス上科の原始的なもので落ち着いてきたようだ。

 そしてジュラ紀末の北米にはいなかったので金子氏のリストには名前が出てこないティタノサウルス科がある。これはマクロナリアから進化したもので、主に南米やアジアで繁栄していたのだが、なぜか北米では見つかっていない。これは不思議っちゃ不思議で、主な生息地が高地なため化石に残っていないという説すらある。もっとも最終的には北アメリカに再突入しており、それが白亜紀末のアラモサウルスというわけである。


 というわけで、竜脚類は特に白亜紀に入って絶滅したわけではない。ただし、多様性が下がったことは確かなようだ。それと、ディプロドクス上科とブラキオサウルス科、ともに白亜紀後期の途中で途絶えてあとはティタノサウルス科が栄えたことになる。


実際には、金子氏も指摘しているように、白亜紀になってからも多くの竜脚類が繁栄している。では、「花に追われた恐竜」ではたくさんいた恐竜がわずか1種になってしまったとナレーションされていたのは何だっただろうか。

 これは話が北米に限定されているからである。いや、放送でも言ってるので別に隠蔽とかではないんですけどね。でもここは分かりにくいところで、なんとなく聞いていたら「北米からいなくなった」=「地球全体でもいなくなった」とうっかり思いがちじゃないですか。それは別に北米についての特異性みたいなものを前提する理由がないからなのだが、実は違うのである。

 金子氏が「最新恐竜学レポート」で考察しているように、

 というあたりは前回も書いた話なのだが、ただこれは、金子氏がD. Weishampel編「The Dinosauria 2nd edition」という資料を基にして考察したものなので、NHKが同じ資料を使ったかどうかは保証の限りではない。

 それはさておき、北米で竜脚類が大きく減少したのは確かである。しかしこのような激減はあくまで北米の話に過ぎない。ほかの地域、特に南半球では白亜紀に入ってからも多くの竜脚類が繁栄している。

 竜脚類の分類は90年代半ばと今ではじゃっかん違ってきているので、なるべく当時の分類水準でどう変遷したか語りたいところである。金子氏が「最新恐竜学レポート」で考察に使った「The Dinosauria 2nd edition」という資料自体はちょっと見つけることができなかったのだが、さいわいなことにおなじ「The Dinosauria」第2版を下敷きにして作られたという恐竜の小事典が「図解 恐竜ATLAS」(PHP、1997)という本の巻末資料として収められている。

これによると、ジュラ紀末に北米に生息していた竜脚類4科のうち、3科については白亜紀後期に生息していた属が含まれているのだ。あれ?

 金子氏の著書によると、「The Dinosauria 2nd edition」に基づいたジュラ紀末の北米(つまり、バロサウルスがいたところ)に生息していた竜脚類はケティオサウルス科(1)、ディプロドクス科(7)、ブラキオサウルス科(2)、カマラサウルス科(1)となっている。(カッコ内は属の数。疑問種を含む)

 これをふまえて「図解 恐竜ATLAS」でこれら4科の動向を見ると、ディプロドクス科からはクアエシトサウルス・ネメグトサウルス・レバッキサウルスの3属、カマラサウルス科からはオピストコエリカウディア、ブラキオサウルス科からはチュブティサウルスの各1属が白亜紀後期の地層から産出した属としてあげられている。ケティオサウルス科だけは後期以前に白亜紀には産出していないが、そもそもケティオサウルス科は原始的な竜脚類とされていたクレードで(現在ではいくつかの科に分けられている。今回の話には関係がないので省略)、その中でもジュラ紀後期に生息していたというのはその中でもかなり遅咲きのものに限られているので白亜紀になっていなくなったことに特に不思議はない。金子氏の本の中でも、ジュラ紀後期の地層から産出するケティオサウルス科として名前が挙がっているハプロカントサウルスはこの時点でもすでにカマラサウルス科に近い可能性が高いという示唆があること、これを除くとケティオサウルス科はもう少し早い時期(ジュラ紀中期)に途絶えたグループとなる、という点が指摘されている。
 当時の分類の妥当性はともかくとして、当時の知識の範囲でも実は竜脚類は「科」レベルでジュラ紀末に絶滅していたとはいいにくいということになる。

 なお、ここで紹介している分類は1992年の資料に基づくので今ではだいぶ違うところに位置付けられていたり、科としてあまり使われなくなったものもあるが、あくまで当時の話ということで。恐竜の「科」レベルの分類は著者や本によってもかなりばらつきがあるので、その点は留意しておく必要があるる。

 実は書籍版の「花に追われた恐竜」ではこのあたりの問題については多少予防線が貼られていて、南米やアジアの植物の移り変わりは、北米大陸より遅いという説明がコーネル大学のニクラス博士の言葉を借りて語られている。そしてそういう場所、例えばアルゼンチンなどでは白亜紀になってからも巨大恐竜の化石が見つかっているのだ、と。本当にそうなのだろうか?
 この部分については参考になりそうな資料が見つからなかったので何とも言えないのだが、しかし一つ思うことは、パクスアメリカーナじゃあるまいし、北米以外すべてを地球上の例外地域にするという発想はいまひとつわからない(しかもこの番組と書籍は日本人の制作である)ということである。 ちなみに日本にはタンバティタニスという竜脚類が白亜紀中期(アルブ期~セノマン期)の地層から見つかっています。2006年の発見だし、昔たまたまその地にいた生物なんぞをもってナショナリズムを煽る気は毛頭ないけれど。

 そして、これは「花に追われた恐竜」の時点では分かっていなかったから仕方ないこととはいえ、90年代半ば以降になってから白亜紀の竜脚類が多数発見されており、その中には北米で見つかっているものもあるのである。たとえば白亜紀中期、アルブ期~セノマン期のアリゾナの地層からはブラキオサウルス科のソノラサウルスが発見されている。白亜紀前期の地層というのはそもそもあまり存在しないため、見つかりにくいという問題もある。

 まあなぜ北米から竜脚類が消えたのかは確かにわからない。そこは確かに謎ではあるのだが、少なくともジュラ紀末に竜脚類が消えたわけではない、のである。そしてもちろん、竜脚類が消えたことは「恐竜」が消えたこととなんの直結もしないことは言うまでもない。


エドモントサウルスの胃の中

 白亜紀後期に繁栄した恐竜の多さはもちろん「花に追われた恐竜」も無視することはできなかったのだろう、さすがに完全に見なかったことにはしていない。
 代わりになされているのは、「生きてはいたがすでに追いやられて第一線を退かされていた」と思わせるかのような主張だ。そのひとつが、エドモントサウルスについての考察である。
 エドモントサウルスは白亜紀後期のカナダに生息していた恐竜の一つだが、この胃の中(もちろん胃は化石化しないので、「胃に相当するあたり」である)に裸子植物が見つかっているという報告がある。それだけならどうということもないのだが、これを「花に追われた恐竜」の中では、裸子植物を求めて極地方まで追いやられたのだと解釈して「花に追いやられた恐竜」の姿を示す根拠の一つとして描いている。

 ところで、恐竜が好きな子供なら(あるいは好きだった元・子供なら)すぐ思いつくと思うのだが、エドモントサウルスはカモノハシ恐竜(いわゆる「ハドロサウルス類」)の中の一つでしかない。ハドロサウルス類といえば白亜紀後期の花形みたいな恐竜である。となれば、もっと南に生息するものがたくさんあるのでは?という疑問がわきあがる。

 ここは公平を期すために、ちょうど番組の放映当時の時期に発行された図鑑である「恐竜の図鑑」(小学館)の「ハドロサウルスのなかま」に掲載されている属から生息地を引いてみよう。

マイアサウラ モンタナ州
バクトロサウルス モンゴル
エドモントサウルス カナダ、モンタナ州、ニュージャージー州
ハドロサウルス ニュージャージー州、ニューメキシコ州、カナダ
コリトサウルス カナダ、ヨーロッパ、アジア
アナトサウルス 北アメリカ
ランベオサウルス モンタナ州・カリフォルニア州、カナダ
チンタオサウルス 中国
ブラキロフォサウルス カナダ
パラサウロロフス ユタ州・ニューメキシコ州

……こうしてみると、どうも別に極地方じゃないところにもたくさん生息していたように見える。というか、当時かなり低緯度に位置していたとされる地域もちょくちょく含まれている。別に極地方はハドロサウルスの最後の楽園でも何でもなかったのでは?

「最新 恐竜事典」中のNHKスペシャルを徹底批判した箇所である「花に追われなかった恐竜」の項目を担当していた本多秋正氏によると、エドモントサウルスの胃の中に裸子植物が含まれていたことが植生を反映しているということ自体、ややあやしい考察だという。というのは、これはたんに死後に入り込んできただけのものである可能性が大いにあるというのだ。特にこのエドモントサウルスの腹にあった裸子植物は咀嚼した痕跡がなかったので、あやしいのである。

 「植物をそのまま飲み込んだんじゃないの?」と言われそうだが、エドモントサウルスを含むハドロサウルス類はデンタルバッテリーと呼ばれる歯を際限なく交換できるシステムが大発達していたグループである。植物を歯ですりつぶしていれば歯の方も摩耗する。それを補うかのようにどんどん歯が生え変わっていくシステムがデンタルバッテリーである。ようするに噛むのが得意で大繁栄したグループなのである。そこで咀嚼していない植物が見つかったら、それは食べられたものではないという解釈は確かに妥当だろう。

 まあ、死ぬ前で衰弱しており、噛めなかった可能性とか考えだせばキリがないかもしれないが…… しかし胃の中には炭や魚が共産することすらあるということなので、やはり信ぴょう性は低いようだ。

 ところでアラスカにいたのはなぜか?
 まあいて何が悪いのかという話ではある。そもそもすみ分けのことを「追いやられた」と受け取ること自体少しおかしい。ただそれはそれとして、エドモントサウルスは上の図鑑から引用した分布一覧からもうかがえるように、アメリカ中西部のかなり広い地域から産出している恐竜である。で、アラスカはその中でももっとも北限にあたっている。多くの場合はそれよりずっと南の地方から見つかっているわけだ(考えてみたらこの時点でNHKの話は破綻している)。

 なので、エドモントサウルスは渡りをしていた可能性が高いというのが本多氏の見方である。当時のアラスカでは、夏になると被子植物が咲き誇っていたので、それを食べるためにわたっていたのではないかというわけだ。

 そもそも、エドモントサウルスはあんまり首を高く伸ばせる構造をしていない。それこそディプロドクスやブラキオサウルスと比べてみたら分かるのだが、首が短い。そしてエドモントサウルスは四足歩行である。このことからいえることは、おそらくあまり高くないところの植物を食べていただろう、ということだ。つまり、裸子植物の巨木はエドモントサウルスにはお呼びではないのである。なんでこんな例に不適当な例を挙げちゃったんだNHK。








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