見出し画像

「ディメンター」と「なまはげ」は、真逆の存在 (’22/10/28)

街のあちこちで、ハロウィーンのカボチャを目にするこの時期。
死者の霊が、幽霊や妖精や悪魔などの姿で訪ねてくる日だ。
子どもが仮装するのも、そんな死者の魂に気付かれないようにするためだ。

今、赤坂シアターで、「ハリー・ポッターと呪いの子」の舞台が開催されている。
ハロウィーンのこの時期と重なって、赤坂の街は魔法色が溢れている。
このハリーポッターの舞台、「ディメンター」がスゴイ迫力。
ネタばれになるので、これ以上は言及しないけれども、劇中で出てくる、ヴォルデモート卿の手下の彼らの怖いことと言ったら…
もし機会があれば、ぜひ!一見の価値アリ!、です。

日本でも、お盆の時期にはご先祖様が帰ってきてお迎えする、という慣習がある。
また、手に包丁を持ってやってくる「なまはげ」は、年末の夜に各家庭を訪れる。
この「なまはげ」、実は神の化身で、家の中の邪気を払ってくれるという効果がある。
もともと日本では、「鬼」の存在は、同時に「神様」と同じ意識で扱われていて、
怖い存在、避けたいものではなく、逆に、正式にお迎えするべき尊い存在、
という話を聞いたことがある。

ハリーポッターの世界の、「ディメンター」とは真逆の存在だ。

お化けとか、死者に関連する感覚は、その社会に元々昔から存在している神とか魂に関する考え方、そこに暮らす人の文化のルーツにも関わってくる。

日々の暮らしの中でも、自分には常識であることも、違う文化を持つところでは全く受け入れられなかったりする。
身近なところでは、違う会社へ行けば、自社とは全く異なる常識が存在することに驚いたりもする。
そんな時に、なにが一番重要か。

 まずは、話してみる、ことだと思う。

違うことを、自分達の価値観に照らし合わせてあれこれ評することよりも、
まずは話して、なにが違っているのか、そこを理解することが大切だ。
多様性・ダイバーシティ、いろいろな言葉で言われているけれども、
その多様性を受け止めるための第一歩、それは、
 とにかく、相手の目を見て、話してみる。
当たり前で、簡単なことが、冷静に考えてみると意外と出来ていない場合が多い。

ちなみに、最近の秋田の家は、畳の部屋よりもカーペットの家が多いので、
藁(わら)のミノをまとった「なまはげ」に、家の中で暴れられると、あとで藁を掃除するのが大変になるので、「なまはげ」も家の中までは入らないケースが多いのだと聞いた。
これも、ある意味、「なまはげ」が私たちの生活慣習変化に伴う多様性を受け入れてくれた、ってことなのか…
神様も神様で、きっといろいろ気配りが大変なんだろうな、と思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?